87 回想:井上菊花②
まだ私は夢を見ていた。ここがどこかも分からないまま。
体の感覚はないけど、このまま流されてどこかに行くのかという予感だけあって。
ただ、流れてくる映像は懐かしくて胸をしめつける。
郷愁に心を奪われたように、ただそれだけを見ていた。
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「うぅ、微分積分……意味分からない……そもそも何に使うのか分からない……」
私は数学の参考書を開いてうなっていた。高校生になってから全く勉強についていけてない。今の私は高校三年生。受験生というやつである。私は座布団でリラックスしてる白い犬の神獣に、藁をもすがる気持ちで話しかける。
「雷電んんん……教えてえええ……」
「そんなもの、吾輩が分かるわけなかろう」
「ふん、役立たず」
「元はと言えばお前が馬鹿なのが悪い」
私は薄情な犬にぼふんとクッションを投げつける。言い訳をさせてもらうが、私は決して馬鹿じゃない。魔法少女と育児を両方こなしているのだ。勉強時間が取れなくても仕方ないじゃないか。
ともかく、良子ちゃんも4歳になってイヤイヤ期も終わった。大分手間がかからなくなったし、これからはしっかりと遅れを取り戻さねば。私には絶対叶えたい夢があるから。
「おねーちゃん!」
私の部屋をどんどんと叩く音、そして良子ちゃんの声!
「あーそーぼー!」
「はーあーいー!」
無邪気な声に私はついつい返事をしてしまう。ペンを放り投げ、ノートを開きっぱなしのまま立ち上がる。
「おい、勉強はどうした」
「いいのよ! どうせ行き詰ってたところだから!」
「お前、今の状況分かってるのか。志望校E判定だぞ」
「そうね……でも、4歳の良子ちゃんと遊べるのは今だけしかないのよ!」
「駄目だこいつ……大学受かる未来が見えない」
「受かるわよ! 気合で!」
私の夢は学校の先生になることだ。良子ちゃんの育児をしているうちに、子供は可愛いし、教育することがすごく楽しいと思ってしまったのだ。それに私が先生になる頃には私は22歳で良子ちゃんは8歳。小学生の良子ちゃんの先生が出来たら……とひそかに野望を持っていた。
その為には、まずは大学受からなきゃだけど……いいじゃない! ちょっとくらい遊んだって!
そして私は良子ちゃんと二人で散々遊び、その年の大学受験に無事落ちた。
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私は流れてくる映像を見つめていた。ここから先は良子ちゃんの映像ばかりだ。
楽しかったなぁ……鬼ごっこにかくれんぼ、お絵かきに積み木崩し。弟のリュータくんもまじって色々遊んだ。あ、近所に住んでた瀬良ちゃんもよくうちに遊びに来てたわね。
……うん、勉強は全然捗らなかったわ。
(うん、何というか……若気の至りよね。人生そういう回り道も必要だって思うし……うん)
そんなことを考えながらも、映像は次々に切り替わっていく。
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「キッカお姉ちゃん、本当にこれから離れ離れになっちゃうの?」
良子ちゃんが私に抱き着き、服を引っ張ってくる。これは……私が就職して家から離れるときか。
「うん、お姉ちゃんはこれから国を守る職業に就くの」
「どうして!? せんせいになるって言ってたよね!」
「うん……そうだね。でも叶わなかったんだ」
そう言って私は良子ちゃんの頭を撫でる。まだ片手で覆えるくらい小さな頭だ。
「でもだからって急すぎるよ! ロウニンすると思ってたのに!」
「うん……よく浪人って言葉知ってるわね」
「しらべたもん!」
幼少期から無駄に色んなことを覚えてた良子ちゃん。この子は神童かな?
「えっと、ちょっと知り合いにツテがあってね。入れてもらったの」
「……コネ?」
「ほんと、どこからそんな言葉覚えてくるの……?」
私は大学を落ちてそのままだと浪人になる予定だったが、中学時代の魔法少女仲間の1人である風早さんのコネを頼って自衛隊に入ることが出来た。あの子の家はここらでは由緒正しい名家で、親族に防衛省のお偉いさんがいるらしい。
何故浪人になる道を選ばなかったというと……まぁ、佐藤家の家計事情がね。小さな子供2人抱えてるのに、これ以上迷惑かけられないわよ。大学落ちた理由も、学費の高い私学を選ばずに国公立を受けたからだしね。
「……それに、少し甘ったれてた自分の性根を叩きなおしたいし」
「それな」
良子ちゃんに聞こえないほどの小声で呟いた言葉を、雷電がめざとく聞きつけて同意する。
実のところ、最近かなり魔力が衰えてる。魔法少女として戦う実力がどんどん無くなってきているのを感じていた。魔法少女は第二次性徴期を終えるとだんだん弱くなるらしいし、むしろ18歳まで持ってるのが珍しいくらい。
でも、私が守るって決めたんだもの。せめてこの子が大きくなるまで……自分でも本当に独善的で、我がままで、どうしようもない人間だと思うけど。
本当なら、魔王ブラックモアを倒した後は平和になると思っていた。だけど、相変わらず悪魔は発生し続けている。吹津町に発生する悪魔は、魔王がいなくなってからかなり弱体化してるけど……それでも私は嫌な予感を感じていた。何より魔王が最後に言った「人の心に闇がある限り、我は必ず蘇る」という呪いの言葉が、私の心の中にずっと残っていた。
もし本当に魔王が復活するのだとしたら、今の私では何も守れないと思う。だから……
「大丈夫よ、良子ちゃん。離れ離れになったといっても、すぐ隣の県だもの。週一で戻ってくるわ」
「おい、週一は帰りすぎじゃ……」
雷電が即座に突っ込みを入れるが、無視する。
「ほんと? やくそくよ」
「うん、約束するわ!」
私は良子ちゃんと指切りをし、誰よりも強くなる為に自衛隊に入った。自衛隊では自ら志願して、人一倍きつい基礎トレーニングと実戦トレーニングをこなしたほか、空手の経験者や剣道の有段者と手合わせして戦闘のいろはを学んだ。あとカレーの作り方も学んだ。
そのかいあってか、私の魔力量は相変わらずどんどん目減りし続けていたが、魔法少女でいるときの身体能力が向上したので、なんとか弱めの中級悪魔と戦える程度には実力を取り戻した。
そして、本当に週一で帰省してたら、良子ちゃんに
「あの、あんまり無理して毎週帰らなくていいからね?」
と気を遣われてしまった。




