83 運命の日
私たちが着いたそのとき、あたりは不思議なほどの静寂に包まれていた。息が詰まるような威圧感が場を支配している。魔力を感じない私でも、体にのしかかるプレッシャーに汗が吹き出た。体が熱くて頭痛が酷い。自分の心臓の鼓動がバクバクとうるさい。さっきまで忘れていたインフルエンザの症状がぶり返したように、気分が悪くなった。
触れていたむつきの体が、かすかに震えている。いつもなら騒がしいはずの銀華も思わず息を呑んで黙り込んだ。
そこにいたのは、4枚の黒い翼を生やした鎧の大男の悪魔、そしてその対面にキッカ姉ちゃんだった。
既にキッカ姉ちゃんは膝をついていた。その胸のマジカルチャームの輝きはほとんど失われている。荒い息をつき、それでも前を見ていた。
そして彼女にゆっくりと近づいていく黒い悪魔。
「己は今まで多くの魔法少女と戦い、葬ってきた。ただ、純粋に力を振るう。それだけでみな死んでいった。今まで負けたことなど、一度も無かった」
ゆっくりと、思い出すように話す悪魔。
「だが、お前とセラ……二人がかりだったが、ただ一度の敗北をした。絶対的な力への自信が初めて揺らいだ。あんな惨めな想いは初めてだった。だが、不思議と懐かしい感情でもあった。己が何故生まれたのかは知らんが、己という悪魔が生まれた起源は、案外そういう感情だったのかもしれんな」
キッカ姉ちゃんは膝をついたまま、明らかに弱々しくなった呼気と吸気を繰り返していて、もう相手の声を聞く余裕があるのかさえ分からなかった。
「己はお前に感謝をしている。初めての敗北を与えてくれたこと、そしてあれほどに勝利への渇望を与えてくれたことをな。見ろ! 最初は与えられた一枚しか無かった黒翼が今は四枚に増えている! 己は翼を得るごとに更に強くなっていった! この翼が六枚になったとき、己は魔王ブラックモアに匹敵する力を得るだろう!」
悪魔の声が歓喜に震える。既にキッカ姉ちゃんの目の前に悪魔はいた。ゆっくりと腕をふりあげていく。
「死ね! 己の糧となれ! 稲妻のキッカ!」
悪魔が叫び、腕を振り下ろす。何故か、スローモーションのようにゆっくり再生されていく。キッカ姉ちゃんは腕をつき、それでも起ち上がろうとしているが、力が入らずに起ち上がれない。
「させませんわーっ!!」
銀華が絶叫し、その腕から鎖が伸びて悪魔に向かっていく。振り下ろそうとしたその腕にぎゅるるるっと巻きついた。悪魔は巻き付いた鎖を見て、こともなげに横にぶんと振るう。
「はわぁっ!?」
鎖と繋がっていた銀華も一緒に思いっ切り宙へ吹き飛ばされる。そして地面に叩きつけられた。あんなに強そうな相手なのに、銀華が動いてくれた。私も動かなきゃダメだ。
「むつき!」
私はむつきを呼ぶと、むつきがこくりとうなづき、空間移動をする。移動先は悪魔の背後。間近で見ると更に大きなその悪魔に、私は無我夢中でステッキを振るう。
ごっ!
ステッキがぶつかる音。ぶつかった後、私のステッキに"初めて"抵抗が発生した。じーんと腕がふるえる。
「……なっ!?なんでっ?」
この感触、例えるならボーリングの玉をゴルフクラブで打ちつけたと言えばいいだろうか。硬い。とても硬いものを打った衝撃だ。
悪魔はぎろりと睨むと、鎖を巻き付けた腕でぶんと私の腹を打ちすえた。
どすっと腹に衝撃が走る。何が起きたか分からなかった。少しの浮遊感を感じた後、そのまま地面を転がった。
「うぅ……うぐっ……!?」
背中に何故か柔らかい感触。振り向くと、むつきが下敷きになってた。二人ごと一緒に飛ばされたのか……
少し遅れてずきずきと打たれた場所が痛みだした。今まで私はどんな戦闘でも無傷だった。そして、私の攻撃は当たりさえすれば、どんな相手にも通じた。だけど……初めての相手だった。私の攻撃が、通じていない。
痛い……痛すぎて、足が震えている。
前を見ると、悪魔がぶちぶちと腕に巻き付いた鎖を引きちぎり、再びキッカ姉ちゃんにとどめを刺そうとしていた。立たなきゃ……痛がっている場合じゃない。ここで立たなきゃ。
震える足を抑えながら、私は起ち上がろうとする。半ばまで起ち上がったが、膝の力が入らなくてかくりと前にこけてしまった。
「うわあああ!!」
瀬良ちゃんが半ば悲鳴のような叫び声をあげて、悪魔の足にしがみついた。悪魔は造作も無く足を振るい、瀬良ちゃんが宙を浮く。冗談みたいに軽く飛ばされたあと、地面に鈍い音を立てて転がった。
「助けが来たか。だが……無駄だったようだな」
ごしゃっ
あまりにも呆気ない音が聞こえた。
悪魔の腕がキッカ姉ちゃんの胸の中心を貫いていた。
腕で胸を貫いたまま、悪魔は見せびらかすように持ち上げる。
「これで終わりだ」
胸を貫かれながら、キッカ姉ちゃんの顔が私の方を向いていた。その腕がなにかにすがるように少しだけ上がる。キッカ姉ちゃんの唇がかすかに震えて、何かを言っているようにも見えたが、既に声は出てなかった。
あきらかに致死量の鮮血が流れていた。
少しだけ上がった腕が、ふっと力を失うと、彼女の目は静かに閉じた。




