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76 大切な人が死ぬ夢を見た

 目の前に、黒い人影が見えた。

 黒い人影は燃えさかる炎のように姿が揺らめいて、近付いてくる。

 どんどん近付いてきて、巨大になっていく黒い影。私にはそれがとても恐ろしく感じた。

 私は逃げようとしたけど、うまく走れなかった。たどたどしい足取りで、何度もバランスを崩しながら逃げる。後ろから黒い影が段々と近付いてくるのが分かる。

 妙に息が苦しい。足がうまく動かない。黒い影が巨大な手を振り上げる。既に射程圏内で、逃げられない。


 だけど、その黒い影の前に誰かが立ちふさがる。両腕を広げて私を庇っているその背中を、私は知っている。


「キッカ姉ちゃん……?」


 背中しか見えなかったが、そう確信した。いつもは誰よりも頼りになったその背中が、今は小さく見える。黒い影はとてつもなく大きくて、ただいるだけで私達なんて吹き飛んでしまいそうだ。


 黒い影が標的を変え、彼女に対して腕を振り下ろす。ゆっくりとスローモーションで振り下ろされる腕。だけど、私の身体が妙に重たく、目の前で起こることが全て見ているのに動けなかった。


 ぐしゃ


 目の前に立っていた彼女は、あっけなく潰された。振り下ろされた巨大な拳の隙間から、赤い血が流れていく。

 取り返しのつかないことが起きてしまった気がして、心臓がばくばくと高鳴る。じっとりと汗がにじんでくる。そんな、うそだ。これは夢だ。こんなことが起きるはずがない。

 キッカ姉ちゃん……キッカ姉ちゃん……


「キッカ姉ちゃん!!」


 かすれた喉で、叫ぶように声を上げて私は目覚めた。目を開けると、ぼやけた自分の手が見える。そして意識の覚醒とともに、身体が急速に感覚を取り戻してきた。

 喉が酷く渇いている。頭が痛い。気分が悪い。


 今のは……夢?


 だるい身体を起こし、周りを見る。うん、自分の部屋だ。身体は熱を発し続けていて、汗が布団にへばりついている。心臓はまだばくばく鳴っている。ぼやけた視界で部屋を見渡し、落ち着くように大きく息を吐き出した。


 夢だ……ただの夢。現実じゃない。

 だって、今朝電話で話したばかりだし。


 

 今朝、風邪かと思ってた熱は、医者に診せたらインフルエンザだった。よほど酷い体調みたいらしい。あんな悪夢見るなんて……

 夢なんて、記憶を整理してるだけって聞いたことがある。確かにあの夢はどこかで見覚えがある。黒い巨人が少女を潰す……みちかの異世界で見た嫌な光景だ。でも、それとキッカ姉ちゃんとが結びつくのは突飛すぎる。


 とりあえず喉が渇いた。水を飲もうと思い、枕元に置いておいたペットボトルに口をつける。室温でぬるくなった水が、すごく美味しく感じられて、生きてるって実感した。


 平日の昼間は家族みんなが仕事や学校で出かけていて、家の中には誰もいない。体温が熱いはずなのに、どこか冷えた心地で私はぎゅっと布団をつかんだ。


(……よしこ……良子……)


 不意に頭の中で少女の声が聞こえた。どこかで聞いたことのある響きの声。遠くて、近くて、でもかすかに聞こえる。幻聴のように自分の名を呼ぶ声。何度も何度も呼びかけている。

 でもあたりを見渡しても誰もいない。インフルで頭がおかしくなったんだろうか。試しに、幻聴の話し相手でもしてみようか。


「……誰?」


 誰もいない空間に問いかけると、左手が急に熱くなった。私はあわてて左手を布団から出した。そこで左手が何か堅いものを握りしめているのに初めて気付いた。ゆっくりと手を開くと、中から黒く輝くマジカルチャームが現れた。いつの間に握りしめていたのか。


(良子……聞こえる? 私の声が聞こえる)

「うわ、びっくりした」


 マジカルチャームさん、喋ってる。幻聴じゃなかった。さっきから呼んでいた声はこれだったか。


(マナと呼んで。そう名付けたのは貴方でしょう)

「そうだったわ……あの、初めまして?マナ」

(……やっと喋れた)


 抑揚の無い少女の声だが、どこかホッとしているような印象を受けた。


(良子、聞いて。さっきのは夢じゃない。今大変なことが起こっている。早く行かないと、貴方は大切な人を喪う)


 切羽詰まった感じで言うマナ。さっきのが夢じゃない……?じゃあ、キッカ姉が……


「どこへ行けばいいの!?」


 私はかすれた声を張り上げる。いてもたっても居られない。


(それは……)


 マナの声を遮るように、突然ぴんぽんと玄関のチャイムが鳴り、バン!と勢いよくドアを開ける音が聞こえた。あ、玄関の鍵開けっぱなしだった。そのままどたどたと階段を上る足音が響く。誰かここに来る。


「良子ちゃああああああん!」


 バンとドアを開けて、転げるように小さな人影が部屋に入ってきた。そのままぷしゅーと倒れこみ、ぜぇぜぇと息を激しく荒げる。

 こいつは……瀬良ちゃんだ。呆然としてる私に向かって、アラサーニートの瀬良ちゃんが胸倉を掴んだ。そのまま力任せに揺さぶる。


「よしこちゃん! やばいっす! 早く行かないとやばいっす!」

「ちょ、ま、落ち着け!」


 ごつん、と私がげんこつをかますと、瀬良ちゃんは「うぎゃー!」とわめき、頭を抱えて悶絶した。うん、若干本気で殴った。病人だぞ私は。


「はぅぅ、でもはやくいかないと!」

「げほっ……行くわよ。場所を教えて」

「……あれ? 調子悪いんすか?」

「平日の昼間に寝てた時点で察しろ」


 普通に真面目な私が学校行ってない理由が、ニート基準だと分からないらしい。私はよろよろ起きると、布団のそばに投げ捨ててあった服を拾って袖を通す。ばさばさとうっとおしい長髪を後ろで適当に結ぶ。寝癖が酷いが、そんなこと気にしていられない。


「いくわよ……」

「だ、大丈夫っすか? めっちゃふらふらしてるんすけど!」


 心配する瀬良ちゃんを押しのけて、部屋を出る。足がふらつく。私がふらっと倒れそうになると、誰かが体を支えた。


「全く、見てられませんわね!」

「オイラたちが来たからには、もう安心だっチュ」


 私の体を支えたのは、朱鷺宮銀華だ。ひょこりと銀華お嬢様の肩に乗ってるネズミは、銀華の神獣(ペット)だ。おい、いつの間にここに入った。不法侵入か。


「とてつもないことが起きているのを察しましたのよ。こんなときなのに菊花様とは連絡取れないし……貴方も来なさい!」

「まー、ぶっちゃけすげーヤバイ気配するんで、お嬢様一人じゃヤバイと思って、助っ人になって欲しいッチュ」

「チュースケ、おだまりなさい」


 二人のやりとりを見てて、なんというか、こいつらは非常時にもこんなだなぁ……と感心する。私とクロモもこんな感じなのだろうか? ……あれ、クロモどこいった?


「タクシーを用意していますわ。学校まで最速で行きますわよ!」

「あ、うちも乗っけてほしーっす!」

「だれ? 貴方。子供には危険な戦場ですわよ!」

「いや、あんたよりずーっと年上っす……」


 初めて顔を合わせる瀬良ちゃんと銀華。なんかすごいチグハグな感じがする。ただ、瀬良ちゃん特有のコミュ症は、同性の年下の子には発揮されないので、普通に話しかけれて良かったなって思う。


「とにかくいくっすよ! まだ間に合うっす! いや、間に合わせるっす!!」

「ちょっと、何で貴方が仕切ってるのよ!」

「とりあえずさっさと出発しろよ……ごほっ」


 私はふらつきながら、肩を支えられながらも、なんとか家を出てタクシーに乗り込む。左手にはマジカルチャームが握られている。もう声は聞こえなくなった。ぎゅっと握りしめて祈る。


 お願い……死なないで……


 頭の中で負のイメージがぐるぐると回って、また気持ち悪くなった。

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