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70 黒翼の悪魔、襲来

 午後2時42分。

 1年7組では英語の授業の時間だった。

 良子が風邪で休んだ教室の中、菊花がいつも通り授業を執り行っていたとき、突然それは起きた。


 ダーンッ!!


 突然、腹の底に響くような凄まじい轟音が鳴り響き、地震のような強い揺れが教室を襲った。


 その音と揺れに教室にいた生徒は混乱し「何?」「地震!?」と口々に騒ぎ出す。揺れで生徒の机の上のものが落ちて床に散乱したり、椅子ごとこけたりした生徒もいた。

 その中でも菊花は動揺することなく、教卓からゆっくり歩いて窓に向かう。すると窓から見下ろした校庭は一変しており、地面にはまるで隕石が落ちたかのような巨大な穴が開いていた。


(体育のある時間でなくて良かったわね)


 菊花は外に誰もいないことに安堵した。

 その大穴の中心には隕石の代わりに、髪が逆立った鬼のような形相の大男が立っており、こちらを睨みつけていた。


「降りてこい、キッカ。おれと戦え」


 男の声は決して大声ではなかったが、その重厚な低い声は、距離が離れていても不思議とよく聞き取れた。

 そして、生徒達も校庭の異変に気付き、席を立って窓に集まってくる。


「何? どうなってるの!?」「隕石? 爆発?」「あそこに立ってるの誰だ」


 生徒達は目の前で起きている異常事態に興奮しており、騒ぎがどんどん大きくなる。


(私だけじゃなく、皆に見えているのね。普通の悪魔は見えないはずなのに)


 つまり考えられることは一つ。普通の悪魔ではなく、より強い力を持った悪魔――即ち上級悪魔だということ。彼らは、異空間という枠組みを越えて、現実世界に容易に干渉することができる。それだけの力を持った危険な存在だ。


(このままじゃ、生徒達が興味本位で校庭に出ていきかねないわね。それは危険すぎる)


 そう思った菊花の行動は早かった。彼女は生徒達に向き直り、ぱんぱんと手を叩き大きな音を立てると、先ほどまで騒ぎ立てていた生徒が躾けられた犬のように条件反射で静かになった。


「はい、落ち着いてね。先生は用事が出来ましたので、早退します。後の時間は自習とします」


 菊花が生徒を見渡すと、斎藤美智花という大人しそうな子が、不安そうにこちらを見ているのに気付いた。彼女の隣にいつもいるはずの良子は、今日は風邪で休んでいる。


「斎藤さん」

「えっ? はい。な、なんでしょうか?」


(良子ちゃんの友達の斎藤さん、か。何か言っておいた方がいいかしら……)


 ……もしかして、最期の言葉になるかもしれない


 菊花は脳裏によぎった後ろ向きの考えを即座に否定する。これが最期じゃない。そんなこと、させない。


「いえ、何でもないわ。ごめんなさいね」


 菊花は言わないことにした。「良子ちゃんを頼んだわね」とか「これからもあの子の友達でいてね」とか、言いたい気持ちがよぎったが、そんな遺言みたいなもの遺したくなかった。


「それでは、皆落ち着いて、決して外には出ないようにね……いってきます」


 そう言うなり、菊花は窓をガラリと開けて、窓から外に勢い良く飛び出した。階段など使っている暇は無い。人が集まる前に行かなくてはいけない。


「先生っ!?」「飛び降りた!?」「ここ4階だぞ!?」


 突然の飛び降りに驚愕する生徒達。窓から身を乗り出して、落下していく菊花を見ている。

 菊花は落下中にマジカルチャームを素早く取り出し、「変身」と言った。黄色い光が菊花の体を包み、彼女の衣装を象る。光が治まると、菊花の格好は黒いベレー帽に黄色を基調したひらひらした服になり、結ばれていた髪は解けてロングウェーブになっていた。


 魔法少女の姿となった菊花は何事もなかったようにストンと鮮やかに着地し、校庭の穴の中心にいる大男の元へと向かう。そのかたわらにはいつの間にか、黄色い紋様で縁取られた白い犬と、大きな魔女のような帽子をかぶった少女がいた。


「雷電! むつきちゃん!」

「最後まで授業をやってたのか? 律儀なヤツだ」

「最後じゃないわよ。これからもやるわ」

「キッカ……いくわよ」

「ええ、いきましょう。むつきちゃん」


 むつきによって予言された死。一度は確定された未来。話を聞いたときは信じられなかった。でも、むつきの正体を知った菊花は、彼女の言ったことを信じることにした。


 信じた上で、死地に向かうのだ。その運命を覆す為に。


「来たか、キッカ」


 腕組みをした大男がこちらを見下して言う。身長は3mほどだが、筋骨隆々のその体と、相手に与える圧倒的な威圧感が、その男を更に大きく見せていた。

 その男のことを、菊花は知っていた。何故今ここに、という疑問はある。だが忘れるはずがない、あのときの死闘を。

 その姿を見ると、身が竦む。手が震える。自分に死を与える強大な存在に、本能が恐怖しているのだと分かった。だが、その恐怖をねじ伏せ、毅然とした態度で菊花はその男と相対する。


「……久しぶりね、ゼド」

「あぁ」

「ここじゃ思いっきり出来ないわ。場所を移しましょう」

「最初からそのつもりだ」


 ゼドは背中から片翼の黒翼を拡げると、あたりの空間が歪んだ。歪みがゼドと菊花達、むつきや雷電も含めて包み込む。


「嘘……消えた?」


 窓から様子を見ていた生徒達には、ゼドと菊花達が突然消えたように見えた。そして校庭には、大穴だけが残っていた。

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