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51 机汚し濡れ衣事件

 ある日、教室に入ったら、いきなりクラスメイトの女子に話しかけられた。


「あんたの机、またやられてるよ」


 どきっとした。普段話しかけられないので、うまく返事を返せずに私は嫌な汗をかきながら軽く会釈する。話しかけてきたのは小川さんという、特に私と関わりの無い普通の女子。

 私が自分の机を見ると、悪口の落書きと灰色の汚れがこびりついた様子だった。何度かこういうことがあるけど、そのたびに心臓に氷が刺さったかのように苦しくなり、息がうまくできなくなる。自分に向けられた明確な悪意を感じた瞬間は、何度やられても慣れない。


 クラスメイトが私の机に野次馬のように集まっており、私が入ってくるなり私に注目した。その視線で恐怖を感じる。足が震えてくる。私は普通にしているだけなのに、誰にも恨まれるようなことをしてないのに、どうしていつも狙われるのか。私はそれが分からなくて、怖かった。

 私はあたりを見回し、良子ちゃんを探した。今日は園芸委員で早く着てるはず。どこ、彼女はどこ?

 だけど教室に良子ちゃんの姿は見当たらなかった。休み?風邪?どうしていないの?……私、一人なの?


「佐藤がやったんだってね」


 唐突に言われて混乱する。佐藤はこのクラスに一人しかいない。もしかして、良子ちゃんのことを言ってるの?

 誰かが言ったその一言がきっかけで、クラス中に伝播する。


「ああそれ聞いた」

「なんか怪しいと思ってたんだよねー。いつも最初に見つけるし」

「今日も最初に学校来てたって」

「なに?自作自演?」

「ガリ勉女の嫉妬こえー」


 口々に良子ちゃんの悪口を言うクラスメイト達。もう半数ほどの生徒が教室にいたが、男子も女子も皆良子ちゃんのことを悪意を持って罵る。


「最悪なヤツね、あいつ」


 私の正面に立ち、同情するような視線を向けてくる女がいた。木村えりな。バレー部に所属し、活溌で女子の中でも発言力が強い彼女。私が中学校からの同級生で……私は彼女のグループにいた。

 彼女は対外的にはいじめられっ子の私を守る立場であったが……私は知っている。彼女の行動は悪意に満ちている。かばっているようで、むしろいじめを助長するような行動を取る。


「大丈夫、私があいつから守ってやるから」


 嘘だ。私には分かる。良子ちゃんがこんな下らないことするはずがない。木村さん……木村の取り巻きがにやにや笑っている。これはお前らの自作自演だ。

 木村が手を差し伸べてくると、私は初めて抑えきれない感情を感じた。さっきまでの恐怖とは違う。怒りが止まらない。


 ばしん!


 私は大きな音を立てて、彼女の手を弾いた。頭が熱を持ったように熱い。頬に熱いものが伝っていた。


「ってめぇ!何すんだよ!」


 取り巻きの一人、吉田が怒った声で叫ぶ。怒る?違う、怒っているのはお前らじゃない。私の方だ。良子ちゃんを悪者にし、私に良子ちゃんを裏切るような真似をさせるお前らに、私が怒ってるんだ。


「ちがう!」


 泣きながら自分でも出したことのない大声を出してた。感情が洪水のように押し寄せ、怒りを蓄積していたダムが決壊した。


「よしこちゃんは……っ!」 


 私が声を張り上げようとすると、ぽんと頭に手を置かれた。


「ん、呼んだ?」


 軽い口調でぽんぽん頭に手をのせてくる。そこに良子ちゃん本人がいた。

 無表情の空気クラッシャーは普通にすたすた歩いて私の机に向かう。何故か雑巾を持って。周囲は唖然として動かなかったが、取り巻きの吉田が気付き、良子ちゃんの肩を掴んでくる。


「無視してんじゃねぇ!」


 女子らしくない脅すようなだみ声。普通の人ならびびると思う。だけど彼女はばしっと手をはたき落として無言で進む。


「てっめえ……このクソガリ勉野郎」


 再度手を伸ばそうとする吉田だが、その手は別の人に止められた。


「佐藤さん、駄目でしょう。洗剤もなしでどうするつもりなの?」


 吉田の手を止めたのは担任の井上先生だった。何故か手に台所用洗剤を持っている。


「その洗剤で落ちるんですか?」

「油汚れに強いから、多分油性でも大丈夫かなって」


 平然と話す良子ちゃんと先生。空気クラッシャーは2人いた。


「おまっ、何勝手に消そうとしてんだよ!」


 取り巻きの一人が叫んだが、「汚れてるからよ」の一言で一蹴された。


「先生、洗剤かけすぎです」

「あら、ごめんなさい。思ったより勢いよく出ちゃって」


 クラスがしーんとしている中、黙々と雑巾をかける良子ちゃん。私の方をちらっと振り返り、こう言った。


「ほら、あんたも手伝いなさいよ。自分の机でしょ」


 彼女は雑巾を何枚も持ってきていたらしく、私に雑巾を手渡し、手伝うように言った。えっと……この状況で? 雑巾を持って呆然としていた私だったが、良子ちゃんに目で催促され、一緒に机を綺麗にすることにした。

 灰のような汚れはすぐに取れたが、マジックがなかなか取れない。良子ちゃんが力任せにがしがし雑巾をかける。「タワシが必要だったか……」と彼女がつぶやいてると、井上先生が「はいこれ」と言ってスポンジタワシを渡してきた。受け取った良子ちゃんが容赦なくガシガシタワシをかける。みるみる綺麗になっていくけど、あの……それ、机傷つかない?

 黙々と作業を続ける良子ちゃんに対し、木村がイライラした声をかける。


「……佐藤、何やってんの?」


 しかし、良子ちゃんは返事をせず、振り返ることもなく完全に無視した。


「あんた、自分でやっといて何やってんのよ!」


 木村の叫びにも似た非難の声が上がる。取り巻きの吉田と江川もそれに便乗する。


「今更点数稼ぎ?先生まで呼んできて。この偽善者!」

「あんたが陰で散々美智花に嫌がらせしてること知ってるんだからね!」


 取り巻きは口々に良子ちゃんを責める。良子ちゃんは何もしゃべらない。完全無視を決め込むつもりだった。だけど、洗剤を持って立っている先生の方が木村たちに向かって静かにこう言った。


「じゃあ、貴方たちは何をやってるの?そう言って見ているだけ?」


 とても穏やかな表情でそう言った先生。だけどいつものとぼけた雰囲気が消えていた。その口調には静かな怒りを感じた。木村は先生に気圧されたが、なんとか絞り出すように反論する。


「でも元々と言えばそいつがやって……」

「根拠は?」

「だって、いつも最初に見つけるし、今日だって朝一番に学校に来てたのはそいつしかいないんですよ!」

「そんなの何の証拠にもならないし、犯人探しなら後にしてくれないかしら?」

「でも先生!」

「木村さん」


 よく通る声で木村の名前を呼び、話を遮る井上先生。氷のような冷たい瞳がギラっと木村を睨みつける。他者を圧倒するその気配に何も言えなくなる木村。そして静かに周りを見渡し、こう言った。


「あなたは……いや、あなたたちも結局何もしないのね」


 木村だけでなく、クラス全体を非難するような言葉を先生は言った。とても静かだが、明らかに怒気をはらんでいた。この先生が怒ったところを見るのは初めてだ。雰囲気が一気に重くなる。そんな中で、平然と良子ちゃんは仕上げに乾いた雑巾をざっざっとかけて、こう言った。


「終わったわよ。雑巾、片付けにいきましょ」


 ぽんと私に雑巾を手渡して、無表情でそう言う良子ちゃん。あの、まだちょっと跡が残ってるんだけど……と言えずに雑巾を受け取る私。


「先生、その洗剤職員室のですよね。一緒に片付けときます」

「ああっ、ごめんなさい。ありがとうね佐藤さん」


 気まずい雰囲気にもかかわらず、堂々とした態度で先生に話しかける良子ちゃん。その勇気がすごい。先生の怒気も一気に霧散してしまったようで、良子ちゃんにいつもの笑顔を向ける。洗剤を先生から受け取った良子ちゃんは、私に「ほら、行くわよ」と声をかけて教室から出ていく。私は良子ちゃんの背を追いかけて、慌てて走る。


 結果、私たちは誰にも咎められることなく、流れで教室を抜け出せたことになった。教室から十分に離れたとき、良子ちゃんが「はぁ、疲れた」とため息をついた。

 ……平然と対応してたように見えたけど、本当に平気なわけない。あんな悪意に晒されたんだから。そしてあのとき机掃除を私に手伝わせたのは、彼女の気遣いだ。衆目に晒されてる中、当事者の私が何もしてないのはいたたまれない。


「ありがとう、良子ちゃん」

「……あんたは私がやったと疑わないのね」

「疑うわけないよ」

「好かれたものね」


 彼女は顔をこちらに向けないままで返事をする。照れくさいのかもしれない。

 私はこの件ではっきり分かった。彼女は空気を読めないのではなく、空気を読んだ上でぶち壊すのだ。クラスに嫌な空気が流れると、それを台無しにする行動をあえてとる。

 彼女は本当に強い人だと思う。そして……本当に優しい人だ。今まで彼女が、私が虐められてる風潮に加担することは絶対になく、虐めを受けている私に同情する描写は全く見られなかった。あくまで淡々と処理し、私に対していつもと同じように話しかけてきた。それがとても嬉しかった。


 いつも無愛想で目つきが鋭くて、言うことがきついけど、真っ直ぐに自分を通す彼女のことが、私は好きになっていた。私も彼女のように強くなりたい……そう思った。

結局先生思いっきり介入しました。

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