50 再び始まる嫌がらせ
それは唐突に始まった。
私がいつも通りに登校し、下駄箱を開けると、中に落書きと画鋲と灰色の液体で汚された私の上履きが乱暴に突っ込まれていた。
私はそれを見て、絶句する。これは、あの頃と同じだ。高校生になってから、こういう嫌がらせは一度もなかったけど、今になって再び行われている。
私は何も考えられなくなり、呆然とそこに立っていた。どうしよう、これ。誰にも見られたくない。でも履くものが無い。靴下のままだと、変に見られる。目立つのは……やだ。
「おはよ、みちかちゃん」
唐突に後ろから声をかけられる。良子ちゃんの声だ。
「あっ……おはよう。よしこちゃん」
私は普通に挨拶を返そうとしたけど、弱々しい声しか出なかった。不審に思った良子ちゃんが、こちらを見つめてくる。やだ、この子にこれを知られるのは絶対にやだ。そう思って隠そうとしたけど、体が凍ったように動かなかった。
そして彼女は、下駄箱にある上履きの残骸を見つけ、若干目を細める。知られた…良子ちゃんに知られた。こんなのやだ。
だが、彼女はすぐに普段と同じ無表情に戻り、平然と言い放つ。
「ガキのやることね。気にしなくていいから」
彼女の口から出たのは、私が嫌がらせされたことに対して、全く同情も何もない、驚くほど淡白な反応だった。彼女は騒ぎたてることも何も無く、あたかも普通の会話のように言ったのだ。今までになかった反応だった。
だけど、私は嬉しかった。あからさまに感情を露わにしない良子ちゃんの反応が嬉しかった。
彼女はやれやれとため息をつき、自分の上履きを履く。
「んー、ちょっと職員室いくわ。代わりの履くもの探して……」
良子ちゃんは、この場で動かない私に対して、冷静な対処をしようとしてた。そして私の下駄箱のフタをそっと閉めようとする。だけど突然、大声が聞こえた。
「うわひっど!どしたのこれ!?滅茶苦茶落書きされてんじゃん!!」
つんざくような声、とても聞き覚えがある。私はその声に心臓をガシッと掴まれたような冷たい感覚がして、冷や汗が出てきた。
……あの子の声だ。中学校のときのクラスメイトの…木村…さん。
「誰がこんなことしたの!?信じらんない!」
その声に、周りの生徒が集まって来る。やめて、もう騒がないで。これ以上見られたくない。
「ひっどいことするヤツがいるよね!私先生呼んでくる!!」
そう言って木村さんが駆け出し、先生を呼んできた頃には、周りに多くの生徒が集まっていた。良子ちゃんの顔が少し不機嫌になり、眼光が鋭くなる。
やだよ……せっかく良子ちゃんと友達になれたのに、失望される。こういう空気が出来たら、おしまいだ。みんな私とは普通に接してくれなくなる。中学校のときはそうだった。
周りの生徒からの同情や哀れみの視線が刺さる。怖くて足が震えてくる。もういいや…私はいつも、こうなんだ。きっと良子ちゃんも愛想をつかす。これでおしまいなんだ。
先生にはとりあえずスリッパを履くように言われ、とぼとぼ教室へ向かう。周りの奇異の目が怖い。でも、私はどうすることもできない。
そのとき、ぽんと頭に手を置かれた。気付いたら良子ちゃんが隣りにいた。
「ん、行くわよ」
彼女は特に気にする風もなく、何事もないようにそう言った。そう、彼女はさっきから普通に側にいた。相変わらずの無表情で、何考えてるか分からない。
でも、いつもより半歩くらい距離が近くなっていた。
その日から、私を標的にして嫌がらせが続くようになった。机の中にカミソリが入ってて指を切ったり、教科書が破かれたり、体操服がビリビリになって花壇に投げ捨てられたりした。
クラスの雰囲気が変わってしまったように感じる。私が教室に入ると、空気が重くなる。クラスメイトがまるで異物を見るかのように私を見る。この空気がたまらなく嫌だった。
だんだん良子ちゃんの隣にいるのも辛くなって……普通に話せなくなった。一人でいるのが怖いけど、良子ちゃんと一緒にいても不安を感じるようになった。私が友達と楽しげに談笑してるのを、空気が許さなくなった気がした。
だから彼女から離れようと思った。私が被害者でいじめられっ子であることを、空気が望んでいるような気がした。
昼休み、誰にも言わずに外に出て、人目につきにくい裏庭のベンチで静かに弁当を広げた。
校舎を見上げると、だんだん校舎が巨大な化物のように見えてきた。怖くて、手が震えてくる。この化物の中にいて、どうして皆平気なんだろうと思う。箸を手に取り、身をかがめて卵焼きを口にする。全然おいしくない。胃が気持ち悪い。まるで固形物を取り込むのを拒否しているようだった。周囲の音も遠くに聞こえる。私だけが世界から存在を否定されているようだった。
「ふーん、今日はここで食べるのか」
空気をぶち壊すように、平然とした声が聞こえた。気がつくと隣に良子ちゃんがいた。どうして…でも声が出ない。どう声をかければいいか分からない。
そんな私を良子ちゃんはジト目でにらみつけて、両手でほっぺをつねってきた。いつもより力がつよい。
「これは罰です。分かるよね」
そう言い、彼女はぐにぐにと頬肉をもむようにひっぱる。食事どころではなくなっていた。さっき口に入れた卵焼きを噛まずに飲み込んだ。く、くるしい。
というか罰って一体……
「教室の空気は今、よどんで腐っています。気にいらない連中もいます。あの中に私を置いていった罪は重い」
よ、良子ちゃんの顔が怖い。結構怒ってるみたいだ。にらみながら顔を近づけてくる。距離がどんどん近くなり、私は何も言えなくなる。
「反論しないのね」
「う、うぅ……」
「まぁいいわ」
ぱっと手を放して私のほっぺを解放する。今日のは結構痛かった気がする。ほっぺがじんじん熱を持ってる。私が頬をさすっていると、良子ちゃんが頭をわしゃわしゃ撫でてきた。不機嫌が現れているような撫で方だった。
「私は慰めないからね」
不機嫌そうに言い放つ彼女。髪が乱れるほど私の頭を撫でた。あの、じゃあなんで撫でるのだろう。彼女のコミュニケーションは相変わらずよく分からなかったけど、側にいても離れようとはしなかった。側にいていいんだと思った。




