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37 ノアとの邂逅

 雨である。といっても豪雨というほどではない。しとしとと降り続くうっとおしい雨だ。このような雨を地雨(じあめ)というらしい。

 学校が終わり、帰りのバスに乗り遅れた私は30分後に来る次のバスを待っていた。普段はチャリで通学しているのだが、雨の日はバスで通学する。混むし雨くさいから嫌いなんだけど、濡れたくないからしかたない。

 私は特に特徴のない無地の藍色の傘をたたみ、バス停のベンチに座る。多少雨水で濡れているが、とりあえず腰を降ろして落ち着きたいところであった。

 周りに人はいない。さっき乗り遅れたバスに全員乗ってしまったようだ。今ここにいるのは、私と神獣のクロモだけ。まるでこのバス停の狭い空間に閉じ込められてしまったような気がする。

 私は暇つぶせるものはないかと鞄を漁るが、あいにく教科書くらいしか入ってなかった。仕方なしに濡れた鞄から英単語帳を取り出す。


「絵に描いたようなガリ勉だね」

「うるさい。癖みたいなものよ」


 私はクロモを無視しつつ、若干しっとりとしている英単語帳のページをめくる。今の学校では必要ないほどの勉強だけど、なんかやってないと暇だ。


「おや、勉強ですか。勤勉ですね」


 私が頭の中で英単語を復唱していると、隣から突然声が聞こえた。


「お隣、よろしいですか?」

「……どうぞ」


 私に声をかけたその男は、少し奇妙な雰囲気をしていた。牧師のような黒くて裾の長い服を着て、黒い傘を持ち、胸には十字架の刺繍をしている。男は見た目20代ほどで若く見えるが、落ち着いた雰囲気が若さを感じさせない。

 男は傘をたたみ、私の隣に腰を降ろした。常ににっこりと微笑んでおり、少しうさんくさい感じもする。男は私の傘を指さして質問した。


「青い色がお好きで?」

「……黒い傘だと傘入れで見分けがつかなくなるので、青い傘にしています」

「なるほど、面白い」


 何が面白いのだろうか?男は質問を続けた。


「雨は嫌いですか?」

「……あまり、好きではないですね。濡れるの嫌なので」

「そうですか。私は好きですよ、雨。物事を考えるのに、とてもいい環境です」


 うーん、なんで突然知らない人が話しかけてきてるんだろう。男は表情を変えずににこりと微笑んでいるだけだ。今度は私から話しかけてみた。


「……その格好、神父さんですか?」

「おや、そう見えますか? まぁ、特に服装に意味はないんですよ。貴方は神を信じますか?などと言ってまわるわけでもありません」


 男は笑顔のまま、こちらを見つめている。奇妙な男だ。神父みたいな服装なのに神父ではないという。コスプレ?いや、それにしては違和感がなく、自然すぎる気もする。男は少し思案し、こちらを見つめて聞いてきた。


「そうですね……貴方は、神が本当に存在すると思いますか? 空想や神話ではなく、本当に実在していると」


 よく分からないことを聞いてくる。いきなり神とか言って、やっぱり宗教関係者なのだろうか。とりあえず当たり障りの無い答えで返そう。


「存在するとは思いますけど、実際見たことは無いので分かりませんね。普段何やってるんでしょうね、神様って」

「ふっ、ふふっ」


 私の返答に対していきなり笑い出した男。何がウケたのかよくわからない。普通の返答をしただけなのに。


「あの、どこかおかしかったですか?」

「いえ、すみません。ではもう一つ質問を。貴方は運命を信じますか?」


 今度はいきなり運命論ですか。宗教関係者は哲学じみたことを聞きたがる。さっきは笑われてしまったが、今度こそ普通に答えるぞ。


「運命を信じますかといわれても……私には未来のことが分かりませんので、信じる運命がありませんね」

「あはははは」


 男はお腹をかかえ、爆笑しだした。なんでだ。普通に答えただけなのに。


「あの、やっぱりどこかおかしかったですか?」

「いえ、とてもいい意見が聞けました。ありがとうございます」


 男は微笑んで頭を下げる。うーん、釈然としない。


「……さて、そろそろバスが来ますね」


 え、もうそんな時間?男の指差す方向に古ぼけたバスが走ってくるのが見えた。


「ああ、貴方とは別方向のバスのようです。ここでお別れですね」


 男はすっと立ち上がり、最後にこちらを振り向いた。


「雨もたまにはいいものです。貴方と話せてよかった。ではまたいつか会いましょう」


 男は手を振り、バスに乗った。そのバスには男以外乗客はいなかった。私も軽く手を振り、さっき会ったばかりの見知らぬ男を見送る。


「……あんなボロいバス初めて見たわ」

「ん?どんなバスだって?」


 突然クロモが話しかけてきて、私はハッと気付く。


「クロモ、さっきからいたっけ?」

「ちょ、いたよ!ずっといた!失礼だな!」


 ……いたっけ?さっき神父みたいな男と話してるときはいなかった気が…


「バスまであと何分だっけ?」

「あと30分。暇だよね」


 私は時計を確認し、まだ1分も経ってないことを知った。でも、さっきの男と話してる時間は5分くらいあった気がするけど。

 さっきの男は一体……あれ?顔が思い出せない。


「……化かされたような気分だわ」

「どうしたの、よしこ?」

「んー、話すのめんどくさいなぁ……」


 考えても仕方がないので、私は英単語帳を開き、暇つぶしの勉強を再開した。英単語を脳内で復唱していると、不意にポケットからじわりと熱を感じた。ポケットにしまったマジカルチャームがどくんと脈動すると、私の脳裏にある単語が思い浮かんだ。


「……ノア」


 ぽつりとその名を呟いた。それと共にさっきの神父服の男の顔が思い浮かんだ。思い出してみるとなんのことはない。中肉中背で特徴のない薄い顔の男が糸のような細目で微笑んでいるだけだった。

 何の根拠もないが、あの男がノアという名前であることをなんとなく理解してしまった。


「ノア……か。本当に狐につままれたような気分だわ」


 ぽつりと落とした呟きはクロモにも聞こえなかった。

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