Antinomie
薄く引き延ばされたレプトム粒子。
蒼白く発光するオーロラの様に揺らめくが、度重なるワルキューレの軌道変更によって攪拌された粒子は、何も無い空間へ溶け込んでいく。
パッと消える訳でも無く徐々に光度を落とし消滅していく姿に、俺は自分の置かれた状況を一瞬忘れかけ、雪解けの様だと思った。
そして包む様に蒼白い残滓が機体を覆ったその時、ワルキューレが囁く。
【スカイ・ロンド、アクティベート】
と同時に刺す様な気配も左脚を襲った。
頭が理解するよりも先に身体が動き、ワルキューレの囁きを無視して俺はスラスタを噴かす。
浮遊関節機構の可動範囲ギリギリの捻りによって加えられた勢いそのままに、右腕を外壁へ叩きつけた。
単体晶ガラスに半分程めり込んだ拳を起点に無理やり軌道をねじ曲げると、ヌルりとした慣性中和の中、相殺しきれなかった加重が肺から空気を押し出していく。
歯が疼く様な鈍い音も機体全身から伝わってくるが、俺は人工筋肉の事を気遣う余裕がある筈もなく、機体を旋回させ回避機動をとらせるが、執拗に追い掛けてくるくせに付かず離れずの距離に保たれる殺気に、俺は確信する。
……弄ばれている。
クラッキング犯のもとへ一刻も早く行かなきゃならないのに、と盛大に舌打ちを鳴らしながら俺はノズルを操り機体を振り回すと、執拗に繰り返された加減速の機動が俺を、空間識失調へと引き摺り込もうとした瞬間だった。
飛ぶ様に景色が変わっていくモニターに、故障したのか機能を停止した防衛壁が映り込む。
そして、その陰。
宙に紛れる為か、艶消しの黒で塗装されたスナイパーライフルを構える人型の巨人。
今か今かと撃鉄を待つ臨界の体をみせる光る銃口。
淀み無く銃身を支えるその姿は美しくもあり、また酷く醜くも写る。
ただそのどちらであったとしても、銃身は俺を捉え放す事は無いと言っており、それを証明する様に殺気が膨れ上がるが、刹那の時間で通り過ぎていった一コマ。
しかし偶然とは言えようやく捉えた敵影に、狂いかけていた平衡感覚を捩じ伏せ俺は機体を翻す。
連続した高G機動によって慣性中和は飽和しており、全身の血液を背面に集めようと加重が襲う。
気を抜くと一瞬で持っていかれそうになる中、唇を食い縛り痛みによる刺激でもって意識を保つと、正面にスナイパーライフルと同色である艶消しの黒に塗られた機体を捉えるが、俺は自分の眼を疑った。
鋼騎。
鋼殻とは別の発展経路を持つ鋼鉄の巨人のシルエットに思考が割れた。
日米が供給を独占するヴァルジウムを嫌い、ヘリウム3による常温核融合炉を用いた、人型兵器を配備している国が浮かび上がる。
火星じゃなくてロシアだと?
と集中力を乱した瞬間だった。
左脚が粟立つ。ピタリと照準を合わされていた銃口からリングエフェクトを砕く様に、銀白色の筋が飛び出した。
唇の肉を破る程に食い縛った歯。
唸るレプトムスラスタ。
軋む機体に鞭を入れA/Bを焚き3D機動をとると、惜しみ無く撒かれた高濃度の粒子達は、互いに互いを繋ぎ準結晶化していく。
そこに初弾到達。
ベールに到達するや否や、弾頭は拡がるように延び粒子の結晶を抉っていくが、何とか軌道を逸らす事に成功する。
が、速度が著しく低下した俺は格好の的に成り下がった。
追撃の弾丸が立て続けにベールを抉り、あっと言う間に纏った粒子が削り取られていく。
そして完全にベールを破られると狙撃も止まり、変わりにスナイパーライフルのマガジンが排出されるのが目に入る。
その隙を利用し俺は距離を詰めるべく全力を傾けるが、慣れた手つきで新品のマガジンを取り付けた敵機は、再び俺に銃口を向け、ニヤニヤと笑った。
いや、当然相手の姿など見えている筈も無いが、間違いなく笑ったのが分かった。
燃えるように身体が熱くなっていく。
燃えるように精神が熱くなっていく。
【スカイ・ロンド、アクティベート】
血が上りきった頭へ、再び艶のある電子音声の囁き。
凍える様に脳髄が冷たくなっていく。
さっさとコイツを排除して、クラッキング犯のもとに行かないと。
凍える様に言葉が冷たくなっていた。
「スカイ・ロンド、点火」
温存とか、そんな事はもう考えていなかった。
*
あー……そういやぁシックスにTR-35載りがいたんだっけか……しかしレプトム粒子って、あんな使い方できるのかよ?
しかも結構防御能力たけぇぞあれ。
「ちっ……」
初めてみる防御方法に興奮したのか、全弾撃ち尽くした事に気付いた俺は、舌打ちをひとつ。
だが……これだけの距離がありゃあ、どうにでも出来るし関係ねぇか……
とりあえず交換交換……
ってさすがに射線から位置特定されるわな……案の定突っ込んで来るか……
あーしかし健気だねぇ……どうせ間に合うわ……
んー何だありゃ?
イジェクトされ宙を漂うマガジンを無視し新品へ交換した直後。
真珠色の鋼殻の腰回りから【何か】が飛び出したのを認識した瞬間、俺の勘が警鐘を鳴らした。
強制的に切り替えられた意識のスイッチに反応した下僕が、真珠色をした円柱状の物体を捉える。
飛び出した数は四つ。
ケーブルの類いが見えない……無線タイプの脳波操作式兵器と推測。
形状からすると低出力の光学兵器。
で、四つを連動させた全方位射撃。
……パッと見は標準的な仕様なのに、何だこの違和感は。
取るに足らない只の豆鉄砲だろうが。
しかし視覚から得られる情報を鵜呑みにするな、と頻りに勘が訴えて来る。
そんな胸騒ぎに、俺が躊躇したコンマ数秒の間で変化が起こる。
子猫ちゃんが射出した四つの筒の回りに、撒き散らされ消滅するだけの筈だったレプトム粒子が集束していく。
うっすらと渦を描く波紋は、加速度的に勢いを増していき、その中心を筒から機体へと移行していった。
急速に蒼色を濃くしていく粒子。
淡い蒼色は見る陰も無くし、レプトムスラスタから吐き出された直後と遜色の無い輝きを放つまでになっていた。
そしてそれを見て俺は推測に変更を入れる。先程みたレプトム粒子の膜を思い出した俺は、あれと同様のバリアを生成する発信器の可能性も考慮し警戒を強めた。
すると俺の狙撃が止まったのを好機と判断したのか、子猫ちゃんは照準もつけずに拡散タイプのレールガンをぶっぱなした。
首裏に立つ鳥肌。
浮かぶ狂喜。
巡る血潮。
小生意気に弾幕張ったってこたぁ、狙いは……
あれか?
狙撃さえされなきゃ。
近付きさえすれば。
刃の届く距離なら。
負けねぇってか?
そんな健気な想いが透けて見えると、怒張した肉の塊が震え湿り気を帯び、俺は電磁狙撃砲を投げ捨て、最大推力で獲物へ駆けた。




