流星群
ボクたちの格納庫に設置されている400インチの大画面の中で、洋紅 と真珠の鋼殻が交わる度に、詰め将棋をみている気持ちになっていく。
まさかこまでとは。
近接格闘戦であれば例え上級生だろうが、レキとワルキューレなら何とか出来る。
と、この校内戦が始まるまでは思っていた。
それは希望的観測では無く、過去の戦闘データやシミュレーターでの検証を行ったうえでの確信だったのに。
だが現実はどこまでも残酷だ。
ワルキューレから随時送信されてくる菱花の数値は、ボクたちの想定を大幅に越える物だった。
すると、先ほど弱気になりかけたレキへ檄を飛ばしたせいか、少し喉が痛むボクの隣から、ひび割れた声がした。
「うそでしょ……」
ボクは横目で覗くと、腰掛けたパイプ椅子のうえで、項垂れるヒノワの姿がみえた。
ボクも同じ気持ちだったがかける言葉は見つからず、黙って画面へと視線を戻すが、スピーカーから流れる淡々とした解説の声がやけに耳に障る。
しかしそれは八つ当たりか。解説者の言葉通り、間合いが近すぎる。
いくら近接特化のワルキューレと言えど、あの距離では共振刀を自由に振れないだろう。
反面、菱花の主武装は花弁。
近接を越えた近接。
超近接格闘戦で真価を発揮する物だと、今まざまざと見せつけられ、ギリギリで耐えていた均衡が破れ去っていく。
「っ!」
生々しい赤に色をつけた花弁が、ワルキューレの左手を捉え、そのまま捕食。
喰いちぎる様にもぎ取ると、距離をとろうとするレキを二重、三重の網を張るように追い込んで行く。
決して無理はせず、狡猾に安全マージンを確保しながら一手、また一手と詰めていく菱花。
もがけばもがく程に絡まると解っていながらも、必死に足掻くレキだったが、遂に三枚の花弁はワルキューレを包囲してしまう。
女の肉を連想させる淫靡な光沢。
悦びに上気し輝きを増すフィンパネル。
内包出来ず溢れ出す蜜。
レキを咥え込もうと二枚の花弁がネットリと口開く。
破裂しそうに心臓が跳ねる。
固まる身体。
叫びだしそうな喉。
崩れそうな膝。
殺すつもりで放たれるであろう仕上げが、ボクの目の前で行われようとした瞬間、それは何の前触れも無しに来た。
レプトムの色によく似た光の混ざった光束が、流星群の様に降り注いだ。
*
詰んだ。
回避先の軌道延長線上に待ち受ける、二枚の花弁に気付き唇を噛む。
俺は勝利を棄て己の命を取り、緊急脱出しようとした時。
俺に止めを刺そうと舞い踊った菱花へ、突如蒼白い一筋の柱が頭から入り、胴を通過し臀部より出ていったのがみえた。
『へ?』
俺の間抜けな呟きが、全周波無線に流れた次の瞬間。
けたたましい音量で、緊急発進のアラートが鳴り響いた。
空回りする思考と、電池の切れた玩具の様に弛緩した菱花。呼吸すら怪しくなる位の、先程までとは比較にならない焦燥感。
頭頂部と臀部から、様々な液体を撒き散らす菱花が視界をかする中、これまでに聞いた事のない焦りを含んだ叫びが、鳴り止まないサイレンと、赤く点滅を繰り返すモニターを突き破る様に届く。
『レキ正体不明機だ! ベールを纏え!』
千代島戦後、レプトム粒子による防御膜の事を、見た目から【ベール】と名付けたソラからの指示。
俺は追い付かない思考の中、ただソラの一句で迷わずレプトムスラスタを操る。
機体の全周囲にベールを張る為に3D機動をとると、流れる視界にラグランジュ・シックスから蜂の巣をつついた様に、鋼殻達が出撃していくのが映った。
けれど徐々に、見えない敵からの攻撃は激しさを増す。
無作為に落ちる稲妻の様に、様々な色で真空とギャラリーを焼く無慈悲な光。
健気にもバリアの維持を続けていた球体は、一際太い光の筋によって呑み込まれ霧散する橙の檻。
それを見て俺はようやく、菱花を沈めた一撃は球体の檻を貫通してきた物だと気付き、この場が本物の戦場になったと漠然と理解した。
そして保護を失った俺へ、容赦無く死の塊が押し寄せる。
檻の外にいた鋼殻達の阿鼻叫喚の叫びが支配する無線。
俺は愛機が健気に放つ警告と、自分自身の勘を頼りに回避を試みるが、何発かは機体をかすめていく。
ベールのおかげで、損傷には繋がらなかったとは言え、このままではジリ貧なのは明らかだ。
減り続けるレプトム粒子の残量ゲージ。
焦る気持ちを振り絞った理性で捩じ伏せ、生き残る方法を考えていると。
殺意の海を、有り得ない機動で行く見覚えのある一機の鋼殻に気付く。
灰色に塗られたボディはFL-15Jだった。
軌道は一直線に襲撃点に向かっているのにもかかわらず、機体に迫った攻撃は僅かな機動修正で避けてるデタラメな真田教官の姿に、恐怖とは別の感情によって全身が震える。
『おい! とまるな馬鹿者! いいからさっさと、死んでも生きて還って来いっ!』
感情の昂りによって甘くなった動きへ、ソラの支離滅裂な最早絶叫としか言えないレベルの無線が入り、俺が【了解】と返す寸前。
絶え間無く点滅を続けるワルキューレのモニターに、飛び込んで来たのは生命兆候。
条件反射で方向、距離、識別を確認すると、発信源は菱花だった。
乗り手に呼応する様に、後先考えず出力を上げる戦乙女。
俺は考えるより先に動きだし、叫んでいた。
『吉原出雲っ生存兆候あり! P.O.D準備頼むっ!』
『なっ、正気か!? 機動性が落ちたら君まで死ぬぞ!』
『わかってるよ! でもここで見棄てたら母親に顔向け出来ないんだよっ!』
俺がまだ物心つく前、一人の子供の命と引き換えに、この世を去った母を思い出し一方的に言う。
そしてソラからの返事を待たず、カサカサに乾いた唇へ舌先をなぞらせ、覚悟を決める。
ベール破棄。
A/B点火。
正真正銘のフルブーストに世界が歪む。
性能を上げた慣性中和システムを持ってしても、眼球が飛び出そうになる程の加重で毛細血管が破れたらのか、視界の一部が赤く色付き斑に映る眼で俺は捉えた。
懸命に機体を護る様に動く三枚の花弁を。
沸騰する血液。
意識があるのか!?
俺は叫ぶ。
『吉原先輩!?』
しかし返って来た声は男。
『六木ぃ……頼む出雲を……出雲を見棄てないでくれぇ……』
鼻を啜り懇願する男は、吉原出雲のチームメイトだった。
彼は語った。
それは藁にもすがる想いでとった行動の結晶。
搭乗士が意識不明になると直ぐ様、花弁の操作権を自分たちに移し、降り注ぐ攻撃を耐えた結果。
最悪を想像しながらも諦めなかったからこそ、繋がった可能性。
俺は避難命令を無視してでも。
絶望に押し潰されそうになっても。
1を0にしない為に、追撃を防ぎ続けた先輩達に誓う。
『必ず連れて還ります』
内側の熱量は一片たりとも無駄にしない。
俺は戦場と化し荒れ狂う宙を、機動の激しさとは真逆に、絶対零度の冷静さで菱花の下へ最短距離で飛んだ。




