ギャンブリング
遥か彼方に、だが目視出来る距離に浮かぶラグランジュ・ポイントと、衛星の様に配置されている各ラグランジュが見える。
『と、まぁ説明は以上だ。質問はあるか?』
そんな中毎度お馴染みの、極めてシンプルなレギュレーションを説明し終わった真田教官は、決まり文句の様に言うと俺達の反応を待つ。
真空の空間に身を置く三機の鋼殻。
灰。
洋紅。
そして……真珠。
大気の無い黒い背景は、それぞれの輪郭を際立させていた。
トクン、トクン、と自己の心音が聞こえる程の静寂。
定期的に届くのは、無意識に姿勢制御を行うスラスタの駆動音や、安定した反応をみせるヴァルジウムリアクターとジェネレータの鼓動。
軒並み基準値周辺で推移する各種数値だったが、教官の説明を聞き終わった辺りから伸びる物が一つあった。
『レキ』
すると、目敏く変化に気付いたソラから確認のチーム無線だ。
『大丈夫。いつも通りだ』
俺は努めて冷静に、腹の底で粘着性を持った黒いマグマの様な感情を隠して返すが、最近ソラとますます息が合ってきた方から釘をさされる。
『天回を持たせないで言うのもアレですけど、今日は冷静さを欠いたら暦君でも瞬殺ですよ』
『そうだな。旧型だが名機と名高い鋼殻に加え、重度のシスコンと言えあの馬鹿を抑えての学年最強だからな』
そして見事な連係で、更にヒノワの言葉を補足したソラ。
『だから大丈夫だって。ちょっと興奮してるだけだから』
俺は再度息の合った二人へ訴えかけると、すごくドロドロした御言葉が。
『巨乳だもんな』
『口元のホクロとか、男の子大好きですもんね』
『……今から大事な一戦なのですが?』
流石の俺でも解る程の嫌味を放った二人へ軽く抗議してみるが、綺麗にスルーされ回線が切られ、直ぐ様メッセージが届く。
【この巨乳好きが】
【発情期なんですね。エロザルが】
頭が痛くなった。
*
『んー。チーム内のすり合わせは終わったかー? 質問も無い様ならそろそろいくぞ?』
二人への言い訳を考える間も無く、両機が定位置へ移動が完了しているのを確認したのか、教官の催促が入る。
無機質な真田教官の声に急激に高まっていく緊張感の中、先に反応したのは相手。
準備完了の印である右腕を高く挙げたポーズをとる。
ヴァルジウムリアクターの出力が上がったのだろう。排気口から放出される蒼白い粒子が勢いを増すのがわかった。
同時に、背負った三枚の花弁が、俺を誘う様に艶かしく動く。しかしそれは次第に激しさを増していく。
有線型ではあるが、脳波操作式兵器特有の拡張と収縮を繰り返す姿に、敵機の挑発が透けて見えた。
そして【菱花】の一挙手一投足に、熱を帯びていく観客の声援。
だが逆に俺は、身体の芯に宿るどす黒い熱量から絶え間なく足される衝動を、集中力へ昇華させていく。
そんな俺とリンクする様に、機体も急速に臨戦態勢へと出力を上げる。
それを証明する様に目まぐるしくモニターの数値や、デジタルメーターが変化していくのだが、俺は表示される精神状態の酷さを視認すると、我慢できず笑ってしまう。
冷静に。
落ち着け。
平常心。
同期の影響で引っ張られ、攻撃性が増している精神の弱さに俺は、先程二人に注意された事も思い出しながら、深い呼吸と共にゆっくりと己に言い聞かせた。
すると吐いた息が一瞬だけモニターを曇らせ、画面を隠そうとするが直ぐに取れ元に戻る。そこに表れた攻撃性を示す数値は標準のレベルまで下がっていた。
だが、俺がいつまで経っても準備完了の合図を出さない事に苛ついた一部の観客から、野次が飛び始める。
最近ようやくクソ生意気な一年から、新進気鋭な小僧へ昇格出来たと思っていたのだが、今日は相手が悪いみたいだ。
全周波無線から届くのは罵詈雑言ばかり。
中には威嚇射撃までする過激な観客もおり、黄や白の線が流れ星の様に引かれては消えた。
さすがに戦域の中に撃ち込む馬鹿はいない様だが、今後の為にも俺への不満を無駄に蓄積させる事は得策では無いだろう。
俺は目の前でウォームアップを終え、花弁を収納した敵機に視線を向ける。
右腕を揚げたまま微動だにしない、見事な機体制御を魅せる吉原先輩の技量に、これまでとは一線を画す相手だと本能が訴えかけてくる。
俺は今の自分に合わせて最適化されたヴァルジウムリアクターの出力を、遠慮無しに上げていく。
ほぼ満タンなレプトム粒子量は、追加精製によってオーバーフロー寸前まで濃度を高められると、ワルキューレはしきりに抑制の警告を発する。
それと並行して少しでも粒子を消費しようと、ジェネレータは許容値限界までエネルギー変換を行う。
フィードバックにより持久系人工筋肉である赤筋が、貪る様に生み出されてくる電力を蓄積させ、瞬発系の白筋は、はち切れんばかりに膨れあがるのが、自分の身体のこと同然に理解出来た。
同時に相対する鋼殻からぶつけられる純粋な殺気も、犇々と装甲を通じて感じられ、否応無しに俺を刺激する。
無線でしか先輩と話した事は無いが、あの気安さは鳴りを潜め、ただ正面に見据えた機体を沈黙させる事しか考えていない様だ。
そんなこれまでには無い【何か】を持っていると感じられる相手に、俺の【何か】が震え脊髄反射の様に右腕を挙げると、間髪入れずに真田教官がカウントダウンを開始する。
静かに。
確実に。
たった10秒が果てしなく永く。
俺はその間、噴き上がる衝動を押さえ付け、奥歯を噛み締める。
本能と理性。
逸る気持ちを縛り合図を待つ。呼吸は自然と浅くなり、心拍数も早鐘を打つ。ただ頭は限り無く冷静に、敵機の機動を予想。
そして永遠かと思われた10秒は、やがて0を迎える。
真田教官の声が、最後の数字を塗り潰すと、洋紅が弾けた。
三枚の花弁が描く軌道線。
それは絡み合う螺旋。
赤い粒子を推進力に、MH-11改【菱花】が真っ直ぐ俺に迫る。
解れ散っていく螺旋の束は踊る花びらの様で、それを背負う姿に誰が戦の道具と思おうか。
観ている者全ての視線を絡めとる赤い鋼殻は、芸を魅せ付ける様に、優雅に橙の檻で舞うのであった。




