肉食獣
静寂が満ちる虚の宙に伸びる、十二本の境界線。
正立方体に組まれた橙に光りを放つ絶対のラインは、その線が交わる頂点に浮かぶ球体、超高出力のヴァルジウムリアクター内蔵型防御壁精製装置から生まれた物だ。
起動中にラインを越えようとする流れ弾に反応し、迎撃やバリアを張る。ただ登録されている鋼殻等は撃つ事は無く、戦域離脱としてジャッジに報告が流れ反則負けとなる仕組みだ。
そして檻の間際に陣取る様々な鋼殻達。
いつもはチラホラ見える程度なのだが、今日の対戦相手の人気のせいか、100はゆうに越える数の機体が集まっている様だった。
あの合図の後、直ぐに移動を開始した俺は、普段見慣れぬ光景に辟易としながらも、ゆっくりと戦域に入っていく。
チラリと振り返ると、今回の宙域はコロニーから最も離れたら場所の為か、ラグランジュ・シックスの全貌がしっかりと視界に収まった。
ひっきりなしに入出港するシャトルが残すバーニアの光。初夏に飛び回る蛍の様にゆらゆらと蠢く、外壁の保守点検をする鋼殻が出すイオンの輝き。
デブリ対策のシールドも小刻みに角度修正を行い、その度に悠然と照らしてくる太陽光をキラキラと反射していた。
そんな雄壮とも言える景観の中、今日の主役と期待されている機体を、ワルキューレの視界が捕らえた。
MH-11改。【菱花】と呼ばれる純日本国産鋼殻が咲き乱れる花の如く、きらびやかに近付いてくるのがわかった。
機体の愛称が示す様に、背負ったヴァルジウムリアクターから広がる、花弁を模した三枚のフィンパネルが特徴的だ。装甲は赤系統をベースとしており、ワルキューレを淑女とするならば、さしずめ菱花は遊女。
それが俺の持った印象だった。
時折、檻の周りへ手を振る仕草は実に様になっており、観客鋼殻の反応で人気の高さが伺え、その何気ない動きからでも、搭乗士の持つ技術の高さを痛感出来た。
しかし俺もただ眺めるだけな訳も無く、映像データを随時ソラとヒノワへ送り、オンタイムで分析結果を頭にインプットしていく。
そうして戦域の中心部へ向かいながらも、並行して機体の細かな挙動確認をこなしていると、不意に秘匿通信を報せる表示がポップアップした。
ソラかヒノワかなと思い確認するが、映った番号はウチの二人の物とは違い、初めて見る回線からだった。
校内戦直前に、あまりに不審な通信……
「……無視が最善か……」
俺は怪しすぎるコールに思わず独り言ちるが、スルーを決め込む事にした。
……
…………
………………
が、しかし。
「だーっ!? しつけぇぞっ!」
一向に切れる気配を見せないコールに、俺の忍耐力は直ぐに底をつく。叫び声と共に、怒りに任せ回線を開いてしまった。
すると、開通一番で届くエ……女の声。
『おっ! やっと繋がった』
『あー、すいません。今ちょっと取り込んでまして』
『おいおーい。いきなりの焦らしプレイとは、お前も中々鬼畜だなぁ』
速攻で切ろうとするが千代島兄とは違った意味で、絡み付く様な声が返って来た。
『……えっと……』
『ん? もしかしてお前、アタシが誰かわかってない?』
『……すいません』
『あー、これでもわかんない?』
妙に勝ち気に溢れた声の主が笑いを堪える様に言うと、直ぐにモニター変化が現れた。
映像通話に切り替わると、そこには今日の主役が満面の笑みを浮かべ映っているのだった。
*
吉原出雲。
青みがかった黒髪と口元にあるホクロが特徴的な女性の出現に、俺が言葉を探しているとそんな態度に痺れを切らしたのか、吉原先輩が畳み掛けてくる。
『六木少年、もしかしてオネーサンに欲情しちゃった? 今、お前の中ではアタシを、くんずほぐれつヨロシクやってると思うと、濡れる程うれしぃねぇ』
そう、下ネタで……
ぽてっとした唇をなぞる様に舌が這うのを見ながら俺は、赤い舌先とは裏腹に急速に冷えていく頭の中で、モニターに映る彼女の別名を思い出す。
花魁出雲。
ラグランジュ・シックスきっての肉食系女子に付いた直球過ぎる輝名だが、吉原先輩は気に入っており本人公認の呼び名でもあった。
しかしながら無実の言い掛かりを、そのままに出来る訳もなく俺は溜め息一つで切り返す。
『はぁ、切りますね、では』
『えー……ノーリアクションって……不能なの?』
おい、ちょっと待て。
『ヒーヒー言わすぞこら?』
『あ、怒った……んー顔に似合わず随分と強気だけど、残念ながらベッドでも宙でも少年には無理っしょ。逆に泣かせて許しを乞わせてやろうかしら?』
『あぁ? やれるもんならやってみろっつーの。って言うか、こんな直前になんなんすか?』
見た者全員に勝ち気な雰囲気を持たす最大の理由であろう猫の様な瞳に、短いやり取りの間で剣呑とした色が混じり始めた相手へ、俺は秘匿回線を使ってまで接触してきた説明を求めた。
『今夜、ベッドの上でなら教えてあげてもいいけど? って何よその表情は』
だが当然の様に下ネタを返して来た相手に、俺は隠す事無く全力で嫌そうな表情をみせると、流石の吉原先輩もちょっと傷付いた様だ。が、何か面倒くさそうな人なので、叩き切りたいが……
『まじで切りますんで』
『ちょっ! わかった! 言うから!』
『いえ、結構ですので』
『お前は鬼かっ! 普通女のお願いは聞くのが男でしょうが!?』
『機会があれば、今度聞きますね』
『いやいや、今聞くのが流れでしょ?』
『じゃあ五文字までなら聞きます』
『もうヤった?』
悪・即・断。
最後の一言で有無も言わさず俺は回線を切断するが、執拗さに負けて譲歩した自分を呪うのであった。
*
だがまぁ回線切断後、直ぐにメッセージが届いた。差出人は考えるまでも無く先輩だろう。
げんなりとしつつも、とりあえず開いて読んでみると、普通にまともな内容で逆に驚く。
どうやら毎回勝利者インタビューに、搭乗士じゃなくてソラが対応していたのが気になっていたらしく、謎に包まれた俺の事を知りたかった、との事だった。
……確かに。
一年のみってだけでも珍しいのに加え、負け無しの連勝街道まっしぐらで、嫌ってほど注目を集めているのにも拘わらず、露出が一番多いはずの搭乗士はインタビューすら出ていないのだ。
客観的に考えると、どんな人間なのか気になるのも当たり前かもしれない。まぁ俺の性質を探りたかった、てのが本音だろうが。
そうして今一相手の性格が掴めず、返信を送るか送らずかを考えている内に、気付けば戦域中央に近付いていた様で、全周波無線からすっかり慣れた親しんできた声がした。
『よぉー』
識別信号で気付いたが、ニュートラルな雰囲気の真田教官が載るのは、珍しく日本仕様の灰色に塗られたFL-15Jだった。
だが俺はそんな小さな事よりも、本来小刻みにちらつく光りが無い事に気付いてしまう。
おいおい……手を振ってるのに一切スラスタを使わずにって……どんな精密挙動だよ……
と、俺には到底真似出来そうに無い芸当に自分との差を感じながらも、追いかけるべき背中を見た様で嬉しくもあった。
そして俺も手を挙げ返事をすると、隣でも同じ様に赤い鋼殻が腕を振っていた。
『ちっ、同伴出勤かよ。まぁ、手っ取り早くていいか。じゃあーひよっこ共、早速だがとっとと定位置に行けー』
しかし真田教官は何を勘違いしたのか、俺が思ったよりも近い位置に留まっていた【菱花】と、申し合わせて来たと勘違いしたのか、ちょっと不機嫌そうに言うのだった。




