随分と無防備なのだなぁ……
「地球圏だけに人類はいる訳じゃないぞ」
何の揺らぎも無い声で、真田教官は言い残し去って行く。握り潰されたジュースのパックは、俺の気持ちを代弁するかの様に、テーブルの上で頭を垂らしていた。
すると、後ろからパックへ腕が伸びて来る。
ピンクに塗られたスーツに、直ぐ響教官だと気付くが、俺が声を発する前に先手を取られた。
「レッキー君は若く、まだ少年ダヨ。でもだからこそ、真ちゃんの言葉の意味をよく考えてネ」
振り返り見上げた俺へ、ソラとヒノワに向けていた表情を同じ様にくれた響教官は、思い切り俺の髪をシェイクすると、パックを持って真田教官の後を追ってスキップで去って行った。
*
火星戦役
後にそう名付けられた、人類史上初の星間戦争は、長期化するだろうとの当初の予想に反し、短期間での終息を迎えた。
要因は幾つかあったが、一番の理由は当時、火星統治責任者だったガラリア・ミラーの即日地球側への協力だった、と言われている。それにより【ラグランジュ・ポイント】の防衛ラインに、押し戻されていた強硬派部隊への挟撃が可能となり、風船の様に膨らんだ戦火は、一瞬にして鎮火したのであった。
*
俺は両教官が去った後、教えられた事を復習する女性陣の声の中、携帯端末の画面に写る両星間にまつわる文章や画像を、普段とは比較にならない程の集中力で読み漁った。
戦役以降、地球と火星との関係は歪な物となり、公の交流としては食糧と技術の交換位しか行われておらず、新天地や一攫千金をを求める人々の開拓地とされていた。
しかし実際には結構な数の火星人が、地球で生活をしているのもまた公然の事実だった。その証拠に親父の職業柄、工房に鋼殻乗りが頻繁に訪れ、その中に火星人も混じっていたのだ。
地球人よりも鋼殻の搭乗時間が圧倒に多い火星人は、例外無く凄腕だった為に重宝されていた。
そしてそのせいか皆、地球に馴染んでいたし、外見も色素が薄いとか銀髪が多い、と言う位なので特に火星人と意識する事が無かった。
が、逆にその事で火星を無意識の内に排除してしまったと気付き、真田教官の言葉と表情が、俺の胸を焦がした。
「暦君ー?」
すると教官達の真意に気付き、項垂れた俺へ、またしても背後から声が掛かる。なんとか顔を上げ振り返ると、手に付いた汚れをボロ布で拭いながら、ヒノワとソラがこちらに近付いて来るのが目に入った。
「レキ。全部聞いてた」
呼び掛けに反応が無い俺に業を煮やしたのか、ソラが自分の耳の裏を指でつつきながら眉を細めて言ってきた。
「あ……」
波打つ銀髪が目に入ると思わず声が出てしまった。自然と俺の手は彼女と同じ場所に動き、骨伝導式のネックバンドに指が当たった。それでようやく無線を切り忘れていた事に気付くと、更に俺は狼狽えた。
しかし、狼狽している俺を見た二人は笑った。
「なんだ、その表情からすると、もしかして君は気付いてたのかい?」
「ちょっと意外ですけど、そーみたいですねぇ。ただし半分だけでしょうけど」
意地悪そうな表情を浮かべる二人。
綺麗に拭い終わったのかヒノワは、ソラからウエスを受け取ると、そのまま近くのダストシュートに放り込み、ウエスはボッと言う音と共に吸い込まれていった。
掃除機の様な吸引音が収まり、ヒノワが発した【半分】の言葉も気になったが、俺はまずはソラと思い、重い口を開いた。
「……やっぱりそうなのか?」
「ボクは両親が共に火星人なだけだ。生まれは此処だから、括りとしては地球人だがな」
俺の言葉に、それがどうしたのか?
と、肩をすくめ顔で語るソラに続いて、ヒノワも口を開く。
「ちなみに私の場合、ソラさんには伝えてありますけど、実の両親は地球人だったのですよー。でも妊娠出産が火星だったので、括りとして火星人になりまして」
特に癖の強い、蟀谷部分の髪を指で巻き取りながら彼女は、あっけらかんと言い切った。
「え?」
またしても俺は、予想外の事実に声が漏れる。そして銀髪幼女と黒髪少女を交互に見ると、喉から絞り出す様に言った。
「……ヒノワが火星人で、ソラが地球人……逆じゃなくて?」
「まぁ、その反応が普通だろうが、そもそも血統的にみればボクは火星人で、ヒノワは地球人だから、容姿で識別するのは無理な話だ」
俺の反応が面白かったのか、片方の口角を器用に吊り上げたソラが、ヒノワと同じ様に銀髪を指に巻き付け笑った。
「生まれた場所で星籍が決まっちゃうから、こんなややこしい事が起きちゃうんですよねぇ」
「たしかにな。しかし星籍で何か待遇に差がある訳でも無いし、格段不便は無いだろう?」
「そうですねぇ。実際にギスギスしているのは権力者同士だけですし、民衆レベルでは特に感じた事ないですよ」
二人で会話し始めたソラとヒノワは、俺を挟み込む様にそれぞれ椅子に座ると、両星間について盛り上がっていた。
やがて、とりとめの無い話題に移って行こうとするので、俺は意を決して飛び込んだ。
「……怒っていないのか?」
「ボクは怒る理由もないな」
伺う様に二人の顔色を気にすると、会話を中断してソラがまずは答えてくれた。
そしてヒノワも口を開く。
「んー正直に言うと、怒るとかそんな気持ちは湧かなかったかな。ただ小さい時に地球に移住して来たから、記憶とかは無いんだけど、やっぱり母星だからね。少し寂しいとは思ったかな」
俺の目を真っ直ぐ見つめて話すヒノワは、ちょっとだけ唇を尖らせ答えると、おどける様に拗ねた振りをして最後は、はにかみながら締めくくった。
そして彼女はこちらに手を伸ばすと、手袋越しに俺の手をギュッと握った。大きな黒目に俺の姿が写り込み、そのまま捕らえられた獲物の如く固まっていると……
「ほぅ……レキ。君は搭乗士なのにも拘わらず、随分と無防備なのだなぁ……」
間髪入れずで反応が、逆側の席より冷気を伴ってやって来た……
「いえソラさん、違いますよ。私だから構えず自然体でいてくれるんです」
あきらかに意図的に油を注いだヒノワに、瞬間湯沸し器の如く熱せられたソラの目元がひきつる。直ぐ様、俺を跨いで即座に舌戦が開始される。
あぁ……火星の話は何処へ……
しかし落ち込んだ俺を、気遣ってくれてる気持ちが分からない程、唐変木でも無い俺は賑やかに花咲く二人のやり取りをありがたく受け入れるのであった。




