三者三様
書き換え前に比べ、滑らかに動くTR-35の左腕に、ボクの心が潰される。
口頭で伝えた指示のみで完璧に調整してのける腕。
レキの希望を反映させ、更に機動力特化にチューンされた機体へ、ヒノワが合わせて組み直したOS。
それらのおかげだろう。少し遠いモニターに映る数字は、初期設定時よりも遥かに優れた値を叩き出していた。
目に入った瞬間、ずっと交換されず使い古された潤滑油の様に、黒く粘度の高い感情が胸にポツリと染みを作る。
機体の挙動から、彼が興奮しているのが手に取る様に分かった。
まだ出会って半月位。
レキの事は【才能豊かだが荒削りで、お人好し】、実際に分かっている事なんてそれくらいだ。彼が何の為に国際資格を望んでいるかすら聞いた事もない。
趣味や好き嫌い、どうやって鋼殻の操縦を覚えたのか。
本当に何も知らない。
でも何なんだ?
この何年も一緒に過ごして来た様な感覚。
同じ空間にいるだけで、安心出来る空気感。
そして。
ボク以外の女と絡むレキをみる度に、生み出されるドロドロした思考。
今まで築いて来たボクの壁は、知り合ったばかりの年下の少年には、まったく効果が無かった。そればかりか自分自身でも気付いていなかった、知りたくもない本性まで引き摺りだされ晒された。
そう。
今この瞬間もだ。
レキはボクの整備した機体に、搭乗するのは怖くないと言ってくれた。
あの一戦の後は虚勢を張った。
嘘を本当の気持ちに塗り変える為に、繰り返し自分に言って来た。でもいざ指名が入りると、あっさりと崩れ落ちた。
ボクの取った行動は、真田教官への確認と指名回避方法の相談だった。結果は、受諾以外の選択は無し。ただそれだけだった。
ヒノワ。君は何故怖くない?
義理とはいえ兄なのだろう?
レプトムの翼が頭部じゃなく、胴体部位に直撃していたら、千代島雪路は死んでいたんだぞ?
レキ。何故ボクの機体に搭乗する事が怖くない? どうして躊躇せずに怖くないと言えるのだ?
なぁボクと君達は違うのか?
何で二人でワルキューレを弄ってるんだ?
何でそんなに楽しそうなんだ?
【お姉さんなんだろ?】
……どうしてボクを置いて行く言葉しかかけてくれなかった?
ボクにこそ君が必要なんだ。君もボクが必要って言ってくれたじゃないか。
レキ
レキ
レキ
レキ
捨てられるのは一回で充分なんだ。
この澱んだ気持ちに気付いてしまったボクは、
どうすればいい?
*
千代島戦での終盤に感じた、同種の悪寒を匂わせるヒノワさんの言葉に、背筋に冷や汗が浮かぶ。
『暦君。サクサクいくね』
しかし次に飛んで来た無線からは、いつもの彼女らしい声がした。……触れてはいけない。自分に言い聞かせ俺は、乾いた唇を開いた。
『了解』
短く答えた俺に、矢継ぎ早にヒノワさんから機能試験の指示が下された。
慎重に一つまた一つと確実にクリアしていく途中、ソラと二人で行った馴らし運転の時よりも、明らかに違和感が少なくなっているのを実感しつつも、掛けられる声の違いに、一抹の寂しさを感じるのであった。
*
『ん。暦君、今ので完了です。お疲れ様』
何処と無くホッとした様なヒノワさんの声で無事、修理及び書き換えの完了が告げられた。
モニター越しに見える彼女は、試験データを自分のアシスタへ転送している様で、椅子に腰掛けたまま左手で白い紙パックジュースから出たストローを口に咥え、中身を吸っていた。逆の右手は頭に伸ばされゴムを外し、解放された緩やかに波打つ黒髪を軽く振る姿に、匂い立つヴァーベナの薫りが可視化された様だった。
そんな色鮮やかな雰囲気を纏ったヒノワさんへ俺は、機能試験中ずっと考えていた事を話した。
『……ごめんヒノワさん。このまま宇宙に出る』
ピタリと動きを止めた彼女は、俺に背を向けたまま。
『陽輪。ヒノワって呼んでくれたら管制付き合ってあげる。私だけいつまでも【さん】付けは嫌なの!』
怒っているのか、恥ずかしがっているのか、俺には判断が難しい声色でヒノワ……が言った。
*
『……ごめんヒノワさん。このまま宇宙に出る』
インカムから流れた暦君の声に、全身の毛が逆立った。
思わず喉元まで上がって来た【そんなにあの女が大事なの?】、醜く汚い感情を乗せた言葉を寸前で押し留め、別の台詞にすり替える。
上手く言えたかは微妙だったけど、嫌な女だと暦君に思われるのだけは避けれたはず。
『……あーヒノワ……ありがとう』
試験データ転送完了のメッセージが浮かんで直ぐに、すんなりと願いを聞き入れた暦君の無線。小学生の頃からすっかり声変わりした男の声。
初めて
初めて
初めて
初めて。
純粋に名前だけを呼んでくれた。思わぬ形で達成された小さな願いは、それだけで私の心を蕩けさせた。
*
『暦君、許可下りたよ。管制塔に事情説明したら絶好の宙域を空けてくれたわ』
無線と共にモニターにワイプされた映像付きで、淡い藤色をベースにした動殻に身を包んだヒノワが宙域を指示してくる。
彼女の言葉通り、最高の場所だと思った。
大半の格納庫は、運用の利便性を考えコロニーの外壁間際に設けられ、俺達のベースも例に漏れていないのだった。そして当然、宇宙空間へ繋がっている気閘も備え付けらており、俺とヒノワはその調整室内に浮かび軽口を叩き合う。
『やっぱ生の方がいいよな?』
『当然。生に勝る事なんて有るわけないわ』
そしてお互いに視線は同じ向き。
隔壁に遮られて見えはしないが、ヒノワが無理矢理引き摺りソラを座らせた方向だ。普段はただの壁なのだが、シャッターが開けられれば、そこは超強度を誇る、単晶ガラス一枚で宇宙空間と遮られただけの窓になる。
そんな特等席の目の前を、宙域にしてくれた管制塔の職員達に感謝をして、強引に招待されたソラへ、ただ俺は証明するだけ。
ソラ、その翡翠色の瞳に今日刻め。
お前の全力を引き出せるのは俺だけだ。




