ひび割れる
校内戦、校内で結成されているチームで行われる鋼殻戦。勝者側には資金が提供され、各チームの主だった収入源になっている。合わせて戦闘内容に応じポイントが付与され、他のラグランジュとの鋼殻戦への代表選考の面も持っていた。
そして指名とは、勝利チームのみが得られる権利で、言葉通り次の対戦相手を指名、かつ三日以内に校内戦が出来る物なのだが……
そんなヒノワさんの問いに無言で頷き、油で汚れた手で頭を掻きむしるソラの行動に、俺も同調して表情が厳しくなる。
それもそのはず明確には規則上禁止されてはいないが、機体が損傷した場合二週間は指名を避ける、それが暗黙のルールのはずだった。
そして千代島戦からまだ9日。
「ルール上は問題無いからな」
「そりゃそうだけど、何とか出来ないのか?」
「辞退金払って回避する以外は無い、と言われたよ」
既に対処を試みた後だったらしく、ソラは軽く横に首を振ると、ワルキューレ一機しか置かれていない格納庫が、やけに冷々した空間の様に思えた。
「なら答えは一つじゃないですか」
一気に重く停滞し始めた空気を、春の日差しを思わせる声で、ヒノワさんは笑う。
「校内戦に勝つだけで、全部解決ですよぉ」
明るく言うと俺達の反応を見もせず、彼女はカチャカチャとゆっくりとキーを叩き始めた。
「っ!? おっ、おいヒノワ!?」
前置き無しで始まってしまった書き換えに、慌てふためくソラ。しかしヒノワさんの指は止まるどころか、どんどんと加速していく。
キーは弾かれる音に変わっていく。小気味いい連続音に比例する様に、モニターにはアルファベットと数字、記号が羅列されては消え、また構築され上書きされていった。
画面に映る文字列を見たソラは観念したのか、深い溜め息と共に言葉も出した。
「やるからにはカリッカリにチューンしてくれ」
ただ台詞とは裏腹に、ソラの顔色ははっきりとしない物だった。
*
「でもなんで辞退金払って回避しないんだ?」
少しでも集中させる様に、ヒノワさんから離れた位置に移動してから俺はソラに聞く。正直不完全な機体で出て、また鋼殻を損傷させる方が金銭的には痛いはずだ。
「……それが一番の悪手だからだ」
リズミカルに鳴るキーボード。
「悪手?」
「……今回避けても、すぐ別の指名が来るだけだ。それを逃げても、また次……で、現状の資金では二回辞退したらアウトだ」
お互いに視線は、髪を吹き出した汗で額に貼り付け、一心不乱に腕を指を動かし続けるヒノワさんに向けたままだ。
「ならヒノワさんじゃないけど、出場の一択しかないだろ?」
歯切れの悪いソラを不審に思いながらも、俺は彼女に同意を求め隣へ向き直すと、小さな身体を更に縮めた少女がいた。
「……レキは怖くないのか? ボクの整備した鋼殻に乗って戦う事が怖くないのか?」
「はぁ? 何言ってんだ? 怖くないに決まってるだろ」
「……怖く無いのか……でもな、ボクは怖いんだ。不完全なまま君を乗せた。結果、ブラックアウト。大事には至らなかったが、タイミング次第では最悪の事態だってありえたんだぞ……」
ソラの言葉に正直イラっとした。
「……あれは俺の注文通りに仕上げただけで、ソラの責任じゃないだろ?」
無意識に語気が強くなってしまうと、ビクッとソラが更に怯えたのが分かった。しかし健気にも彼女は唇を噛み締め反論してくる。
「それでも……最終判断をしたのはボクだ。そして今回の校内戦も」
「ちょっとぉ!? ソラさん??」
ヒノワさんがキレた。
キーを弾く指を止める事無く、モニターに刻まれる文字から目を離す事も無く。
ただ声をこちらに放り投げる感じでキレた。
「さっきから聞いてりゃぁ……ウジウジウジウジ鬱陶しいっ! そんなに自信が無いなら金輪際、暦君の乗る機体に触らないで! て言うか、今回からは私がいるじゃない? それとも私程度じゃ不満なのかしら、ねぇっ首席様!?」
黒い癖毛を猫の様に逆立て、捲し立てたヒノワさんは、この時代では貴重な部類に入るキーボードのエンターキーを、バチーンッと豪快な音を上げ叩きつけた。
「書き換え完了! さぁ暦君! 時間無いんだから、そんな成長しない女ほっといて、動作チェック!!」
口を挟む事が出来ない剣幕で叫び、作業成功の合図と共に、クイッと顎で俺を呼びつけた。ヒノワさんは貼り付いた前髪をかき上げ、そのまま後ろで一つにゴムで留めると、俺を待たず機材の電源を入れていく。
言葉尻で切られたソラは、ただ呆然とヒノワさんを見つめるだけで、動こうとしない。
弱々しい姿に、つい慰めの言葉が出そうになるが、グッと堪え一言だけにした。
「お姉さんなんだろ?」
*
【Soon,please put】
再び動殻を着込んだ俺は、相変わらずの声にドキドキしながらもチェックの為、鋼殻と接続を完了させ準備万端となっていた。すると直ぐに無線が入る。
『とりあえずゆっくり左腕から動かして』
『了解。左腕動かすぞ』
オーダーを復唱して、言われた通りゆっくりと持ち上げていく。
変化は劇的だった。
『……ヒノワさん……すげぇよ……』
まだ馴染んでいないはずの新品の人工筋肉が、同時に交換した骨格材を締め上げる様に力強く軋む音を全身で感じながら、神経線と繋がるMasterSlaveを通じてフィードバックされてくる感覚に、心の底から湧き上がった想いを伝えた。
すると計器類の前で、目を皿の様にして食い入るヒノワさんからも、同じ感想が漏れ出る。
『……数値も凄まじいよ……くやしいけどやっぱり本物の天才ね……』
『え?』
『私が想定していた数字よりも、遥かにいいの。あのムカつく女が言う通りに調整した結果』
ボソボソっとした声で話すヒノワさんから、煮えたぎるマグマの様な感情を感じた。




