見限られるその日まで
最初は聞き間違えだと思った。
でも、ゆらりと顔を上げたソラの表情から俺は、自分の耳は正常で彼女の言った言葉もまた、そのままだと察した。
形の良いアーチを描く眉を下げたソラは、瑞々しい唇の端を引き吊らせ、苦く笑う。幼いながらも整った顔立ちのせいで、より一層彼女の乱れが見てとれてしまう。乾いた笑顔を貼り付けたソラは、何かを求める様に俺を見る。
無言で視線が絡むが口を開く前に、彼女は目の前の男に見切りを着けた。
「……否定しない……んだな……」
俺が言い訳をする事を望んでいたのか、普段の弾む様な声は今、ひび割れ、掠れ、弱々しく綴られた。そして視線を俺から外すと、静かに立ち上がり手で椅子をずらす事もせず、ズズっと身体で押し退け、ヨロヨロと立ち去ろうとした。
ちょっと待て。
たったそれだけの事も言えず、スローモーションで流れて行くソラを、俺は目で追う。
すると脱力しているのか開かれた手のひらが見え、同時に容姿からは不釣り合いな、ゴツゴツした職人の手が視界に写ったのだった。
*
「……手を離せ」
怒気を孕んだ低い声が耳朶を叩く。
「……ボクの手を早く離せ」
続け様の催促でようやく俺は、自分の手の行方に気付く。
無意識だった。
俺はいつの間にか立ち上がり、限界まで伸ばされた手はソラの手を強く捕まえ、逃すものかとキツく握っていた。
「……痛い」
ボソリとしたソラの言葉にハッとなり、握った彼女の手を見ると、白く血流が滞り始めていた。慌てて力を緩めると、スゥっと血行が戻って行く。もとの肌色に染まるのを確認していると、自由になっていない自分の手と俺を交互に見たソラが、不機嫌そのもので言った。
「ボクは離せ、と言ったのだが?」
最終的に俺の目に落ち着いたソラの視線。
揺らぐ感情を隠す為か、ぶっきらぼうに言う。
しかし俺は離すどころか逆に力を込め、逃がさないとばかりに拘束して彼女を引き寄せると、たたらを踏んだソラに想いをぶつける。
「離す訳ないだろ」
「……離せ」
「嫌だ」
「……しつこい。早く離せ」
「嫌だ」
イヤイヤと首を振るソラと、生産性の低いやり取りが繰り返され、握った手がジトリと汗ばんで行く。しかし最初こそ振り払おうと、小さな身体全体を使って抵抗していたソラだったが、次第に動きが収まっていった。
そして俺の言葉を最後に彼女は抵抗を止め、蛍光灯を乱反射して光る瞳を黙って向けて来た。
たしか132センチ位だったな、と先ほど見たラグランジュ公認ページに載っていた、ソラのバイタルデータを思い出した。
小学生でも通じるソラの華奢な身体を、身長差から自然と見下ろす形になる。反対に彼女は見上げる形となり視線が絡む。しかし絡んだ視線は直ぐに切れる。
顔を下げたソラは俺の胸目掛け、震え声で言った。
「……何で……離してくれないのだ……?」
苦しそうに声を絞ったソラの問いに、ドクンっと心臓が脈打つ。決して機体だけが欲しいだなんて微塵も思っていないが、さっきのやり取りで恐らく勘違いしているソラへ、かける言葉が思い浮かばない。
薄っぺらな言葉しか出てこず、一瞬が永遠に感じられ、ますます混乱の渦に引き摺り込まれていく。そして黙っていると、ソラの手は再び俺から逃れようと暴れる。それを慌てて捕まえ、指を絡めとる。すると去年のクリスマスの時、親父の横で春菜さんから言われた事が過った。
『女の子は言葉にしないとダメな娘が多いのよ』
お隣に住んでいた美貌の未亡人の言葉と、妖しい笑顔がリフレインした。
*
「理由が欲しいのか?」
綺麗な旋毛を巻く銀の頂を見つめ、覚悟を決めた俺はソラに聞く。コクンと頷くだけだったが、話しを聞いてくれる意識はあるのが分かり、浅く息を吐き言葉を綴った。
「あー……正直な気持ち機体も魅力的だ。ワルキューレいらないから、とは言えないし言うつもりもない。でもな、ワルキューレのみって話しなら俺の答えは別だ」
ここまで言って一旦区切ると、ソラは上目遣いで視線を合わせてきた。心なしか鼻の頭が赤い。ただ、相変わらず無言で見上げるのみだが、構わず俺は先を綴る。
「ワルキューレオンリーならば、俺は機体なんて必要無い。ソラ、君がいないなら意味は無い。俺はソラとやっていくと決めている。君に見限られるその日までソラと一緒に戦っていくと、もう決めているんだ。だから、この手を離すつもりは無い」
重なる二人の手をソラに見せながら俺は言った。
上手く言葉に出来たかは分からないが、自分の想う本音を伝えた。それでも尚ソラが離れて行くなら、見限られたという事なのだろう。
そう思って目を瞑ると、俺は大きく深呼吸をしながら天井を仰いだ。
すると上着に左胸辺りが、鳥に啄まれる様な感触がした。目を開き顔を下げると、原因と目が合った。彼女は手を繋いだまま限界まで後ろへ下がると、俺達の腕は伸びきる。
そんな状態で、ソラはたった一言だけ聞いた。
「本当に?」
俺は腕を限界まで伸ばしたまま答える。
「任せろ」
言葉と同時にソラ手が返事代わりなのか、俺の手を全力で握る。立てられた爪が食い込み、肌を破って血が溢れる。ジクリと痛むが気にならない。正面より頭1つ分は低い位置にあるソラの顔。目尻に溜まる涙に、俺も指へ力を入れてソラの間に嵌め込んでいく。お互いの指が交互に並び、隙間なく握られる。汗ばんだ手は、滲んだ血も手伝い滑らかに深く絡み合う。
俺達は確かめ合うように、何度も握り合う。
どれ位絡めただろうか。眼前に彼女は浅い呼吸を繰り返し、露出している全ての肌をサクラ色に変えていた。そして俺の頬も上気していると分かると、ソラはようやく笑った。太陽にかかった雨雲が、晴れた瞬間だった。
笑顔の拍子で流れた雫は、頬に跡を残し散った。




