陰影
しかし議論が始まった一言目が、実にひどかった。
「まぁ、難題と言っても解決方法は簡単なんだがな……」
「は?」
「いや、だからな……煽っておいてアレなんだが、解決方法はあるのだよ……」
そう言ったソラは、携帯端末から俺へ視線を変えるが、恐らく酷い顔だったのだろう。彼女は俺を見るやいなや下を向いてしまい、肩を震わせ両手を口に当て、笑いを堪えて始めてしまった。すると、揺すられる銀の毛先が、天井から届く照明に踊る様に跳ねた。
俺は猫じゃらしに誘われるネコの気持ちを、少々理解出来たのだけれど、やはりちょっと腑に落ちないので声を上げる。
「……人の顔を見て笑うとか、酷くないか……?」
「そうですね。最低! 最悪! だと私は思います」
軽い抗議の意を込めてソラへ放った言葉に、真後ろから強烈な意思が塗りたくられた音が被さり、瞬く間に凍る空間。
食堂特有の柔らかい空気など、一瞬で消し飛ばす何かが、俺達の周辺限定で場を支配した。
同時に、笑っていたはずのソラの額に浮かぶ、怒りの四つ角が禍々しい。
どうやら彼女も俺と同様に、振り返らなくとも声の主を特定したらしく、先程とは別質の震えを纏っていた。そしてデジャブの様に、女人戦が繰り広げられる。かと思われたが一転。
ソラは顔を上げゆっくりと振り返る、と花の蕾と見間違える様な口を悠然と開く。そんな彼女の振動はいつしか消え去っていた……
「【ボクのレキ】に……何か用かい?」
前半部分を、やけに強調した感じでヒノワさんへ言うと、ソラは優雅に笑みを見せつける。表情こそ友好的だが、オーラは真逆で、鉈の様な物騒さを滲ませていた。
ちなみに俺はと言うと、真横からの圧力にビビりながらも、実はこっそり振り返っており、幼女の言葉を受けたヒノワさんの表情変化を目の当たりにしてしまう。
見事に描かれた、腹部の括れから臀部の膨らみまでの曲線を、ピタッとした灰黄緑の制服が、より強く主張させる。
更にヒノワさんは、両腕を腰骨の位置に置いており、それなりに実った対の夢袋を、張り出しているのだった。
ここまでなら俺も、眼福眼福。
男の子でよかったー、と表情を崩さない様に苦労しつつも、目の保養に努めるのみだったのだが、そう簡単には問屋が卸さなかった。
最初こそ何故か勝ち誇った顔だったのだが、ソラの言葉を聞いた途端に、ヒクヒクっと左の目尻が痙攣した。
合わせて白く滑らかな肌が朱に染まっていくと、ヒノワさんの眉間に縦筋が入り、黒く潤んだ両眼もキツく吊り上がってしまう。折角の美人っぷりが台無しとなってしまったが、彼女は表情を維持したまま、俺へ向き直り言った。
「いつから、貴女の人になったのでしょうか?」
きっと。
否。
間違いなく。
ソラに投げられた質問だと思うのだが、揺らいだ声が……おかしな事に、俺へ向けられた。
予想外の展開に麻痺した俺の思考回路は、意味不明の回答を導き排出した。
「えっと……千代島さんもウチに来ない?」
*
清潔さを保ち、真っ白に拭き上げられた樹脂製のテーブルトップと、定食の黒いお盆はモノクロのコントラストを生み出す。
ただそれは、先ほどまでの事だった。ソラが俺の言葉を聞いた傍から、近くに席を構えていた恰幅の良い生徒へ、「よかったらどうぞ☆」、と食事主の許可も得ず譲渡してしまったのだ。
その結果、二つ返事で受け取った重量級は、嬉々として俺の朝定食だった其れに手を付けると、料理達は砂の城が崩れるが如く消えていってしまった。
そして、それに平行して陣形も変化し、俺の左側にソラ、右側にはヒノワさんと横並びとなっており、所謂。
よしっ! 両手に華だっ。
と呑気に思える程に、俺は鋼の精神力は持ち合わせてはいなかった。永遠に続くかと錯覚しそうな笑顔で、牽制し合う二人に挟まれ、ジットリとした嫌な汗が全身を湿らせていく中、銀髪の幼女が初撃の口火を切った。
「レキ。説明」
ゴツーン。
ゴツーン、とテーブルを叩く指先が放つ、鈍く重い打音。
ガン切れである。
が、恐らくここで退いたら、精神的な死ってやつを迎えそうな予感が過る。本能と理性を総動員し、俺は体内の全ブドウ糖を使い切るつもりで、脳をフル回転させた。そして……一つの答えへ辿り着く事に成功したんだ。
「……優秀な整備士必要じゃん?」
やっとの想いで、先日ソラが言っていた事を思い出した俺は、恐る恐るお伺いを立て相手の反応をみようとしたのだが……
ヒノワさんが【本当に優秀な整備士】なのか。
言った直後に、ソラと一緒に1回作業を見ただけの情報量しかない事に気付いてしまう。説得力が弱い、と内心顔を青く染めていると、当人が口を開く。
「まぁ優秀か否か、それは私が判断するべき事では無い、と思いますが、それでも……どこぞの高飛車ぺったん娘よりは、役に立つと思いますよ……なので逆に暦君、私と組みませんか?」
柔らかく表情を崩した黒髪が、チラっと銀髪の一部分を一瞥し鼻で笑うと、自分の胸元へ右手を当てて俺へ逆に、誘いをかけてきた。
だが当然ソラが色々な理由で、黙っているはずも無く、慎ましい胸部の盛り上がりを両手で隠し反応する。
「っ!? おい! ちょ、ちょっと待てっ!?」
しかし、相当に動揺している為か要領を得ない言葉になってしまい、そこをヒノワさんに突かれてしまう。
「ほら暦君。あんな精神的に未熟な整備士が弄った鋼殻に、貴方みたいな搭乗士が乗る事なんてダメだよ」
そしてヒノワさんは追い討ちを掛ける様に、胸元にあった手…………夢袋に当てていたホカホカの掌を、俺の右手に遠慮がちに合わせると、そのまま掴み引き寄せるのだった。




