うわがき
恐ろしく身体の芯が熱い。半覚醒の中で最初に感じた事だった。
「……キ! レ……!」
次に俺の意識に訴えかけられたのは、中枢を挑発する何とも刺激的な白薔薇の匂い。そして耳元と言うか、目の前から掛けられている様な、酷く切迫した雰囲気を出す声。
覚醒を拒否する脳の信号を、捩じ伏せ瞼を開く。
「レキ! ボ、ボクが判るか!?」
霞みがかった視界に、ピョンピョン跳ねる銀の影。
何故か鼻声だけど、心地良いの音。
半覚醒から次第に目覚めていく。
薄く消毒液の匂いも漂い勝手に医務室かなと決め付け、正面の白い天井が目に眩しい。
「ソ……ラ?」
掠れる声でどうにか答え、手を上げようと力を込めた途端に、混濁していた意識へ刺激が与えられた。
「っ!?」
針を深々と刺された様な痛みが腕全体を襲い、思わず声が出てしまう。
「だ、大丈夫か??」
ベッドに横になった状態で悶えると、力を入れた全ての箇所に同様の痛みが走り、更に俺は悶絶した。ソラは立って心配そうに顔を覗き込んでいたのだが、更に上から被せた真田教官が見下ろしてきた。
「神崎、落ち着け。意識が戻れば大丈夫だってさっき先生が言ってただろうが」
それでもアタフタと落ち着かないソラを放置し、教官は俺と視線を合わせて口を開く。……なんで意地悪そうな表情してるですか?
「六木。鋼殻戦お疲れさん」
「あ、どうもです……」
「内臓と骨には異常ないって事だから、落ち着いたらPODに入ってメンテナンスしとけ」
「……わかりました」
急速回復用メディカルデバイスを顎で示され、俺は僅かに頷いた。
「あと、親父さんにも礼言っとけよ。あの動殻じゃなかったら内臓のひとつも潰れてたぞ」
「はい……」
親父の動殻の性能を認められ、嬉しくなる俺へ言葉が続く。
「おっと、話しが逸れたな……勝敗だが、いいか?」
表情と姿勢を正し、真田教官が問う。
寝たまま聞くのは失礼か、と上半身を起こそうとしたが、激痛と硬直であえなく挫折し、そのままで聞く事に決めたのだったが。
「って、俺なんでここで寝てるんだ?」
自分が置かれている状況がおかしいと気付いた俺は、ハッと我に返り記憶を探っていると。
「あれだけ派手に気絶したら、覚えてないのもしょうがないだろ」
ニヤニヤと俺を見下ろされると、じわりじわりと記憶が再生される。
「あ……最後のインメルマンか……」
最初に鋼殻戦だった事を思い出し、続いてプツリと途切れた場面を呟く。
「死に体になった相手に、あそこまで無理をする必要は無かったし、気絶した事自体お前の鍛練不足でもあるな」
経験と肉体。足りていないが一朝一夕で身に付かない物への指摘をし、教官は続ける。
「判定は両者気絶による戦闘不能で、引き分けだ。まぁ内容はお前の勝ちだがな」
さらりと結果と批評を残すと濃紺の軍服を翻し、さっさと退室していったのだった。
*
二人となった医務室。
窓ひとつ無い、純然たる密室。
空調の音を掻き消す、サーキュレータの羽音。
ギギギっと顔をソラへ。
翡翠の瞳は赤く充血し、目尻から延びる乾いた跡。
視線に気付かれたのか、慌てた様子で腰に巻いたポーチから可愛らしい水色の兎が描かれたハンカチを取り出し、目元を拭った。
どうって事の無い仕草だったが、ググッと芯の熱量が上がり目の前の獲物を捕食したい欲求に駆られ、激痛を忘れ手を伸ばす。
ハンカチを顔に当てたまま、捕食者の手を見詰めるソラ。そして受け入れる様に、腫らした両目を緩め俺を待つ。秒速1センチメートルで近付いていく中。
「暦君!?」
ブシュッと顔の向きとは反対にあるドアが開くと同時に、飛び込んで来た影。名を呼ぶ声に手の進みは止まり、力無くベッドへ落ちた。
誰か分からず戸惑っていると、ダダダっと足音を鳴らし近付く気配。ふと目に入ったソラの顔から、スゥっと感情の色が薄くなるを見てしまう。
背筋に、ぶわぁっと冷や汗が吹き出てくる。
逃げ出したくなる頭とは真逆に、身体は反応を示さず俺は何を思ったのか、言ってしまう。
「ど、どちら様でしょうか??」
多分一番選んではイケナイ選択をしてしまった。
【あ”ぁ?】
背筋を凍らせるソラの幻聴に……ダラダラ冷や汗が……
だ、だめだ……このままでは状況悪化の一途だと焦っていると、濡れた声が降ってきた。
「あ……意識あるんだ……よかったぁ……」
あはぁっと大きく息を吐いた陰……千代島陽輪だった。
正体に気付き錆び付いたロボの様に顔を戻すと、吐息に乗り爽やかなヴァーベナの薫りが、ソラの匂いを上書きしていく。ドクンっと一つ大きく跳ねた胸。後に直ぐ別の意味で跳ねる。
「対戦相手様が何のご用で?」
初めて聞く険のある声色で整った眉を歪めたソラが、俺を挟み向かい合うヒノワを睨み付け、何故か俺の手を取ると、握り締めた。
相変わらずマメだらけで大好きな職人の手のひらを、つい握り返してしまうと……何を思ったのか、スルリと俺の指と指の間に、ソラの細く華奢な指が入り込んできた。
しっとり湿気を帯びた肌がいやに生々しい。等と思えるはずも無くソラの行動の意味も、絡んだ指と指を瞬きもせずに凝視するヒノワの事も、さっぱり分からずアワアワとするしかなかった。
しかし幼女と少女は止まらず、突如幕を上げた言葉の女人戦。
「お見舞いですが何か?」
「それならば、お気遣いは結構です。【ボクが】責任を持ってレキのケアもしますので」
「……あんな雑な機体調整しか出来ない方に、暦君のケアこそさせられないんですが?」
「ざ、雑!?」
「えぇ。失礼かと思いますが率直な感想です。機動性能特化ならば慣性中和も合わせて調整するのが当たり前では?」
「時間がた」
「足りなかった。何て言い訳しませんよね? あとさっさと手を離してください」
粛々と言葉を重ねたヒノワが主導権を握り、詰まったソラに畳み掛けた。後半の怒気が半端ない件。
「武装も大切でしょう。でも最も優先されるのは搭乗士の安全。そもそも整備士や開発士は後方支援です。それが逆に暦君の命を削る様な調整って……おかしいでしょ。違いますか?」
「……その通りだ……」
「なら! ……解っていて、何で慣性中和や重力制御から手を着けなかったんですか!?」
昂ったのか黒曜石の瞳を潤ませ、ソラを問い詰めるヒノワは怒りから来る震えか、小刻みに揺れる腕を目一杯伸ばし相手の襟へ手をかけようとした。
不味い。直感の訴えに従い俺は待ったをかけた。
「すいません。ちょっと補足と言うか説明を。武装を優先させたのは俺なんです。システム優先させたかったのを、無理言って変えて貰ったんですよ。だからソラは悪くないし、そもそも気絶したのは俺の鍛練不足なだけなんですよ。あ……あと何で俺の名を?」
ポロリと出た俺の最後の言葉に、ぱぁっとヒノワの表情が変化した。
ビキビキ。
効果音が聴こえる程の青筋が、黒髪癖毛少女のコメカミに浮かんだ。
「へー。へー。へー。へー。ソラとか呼び捨てなんですか。へー。へー。へー。俺の責任とか言っちゃうんですか。へー。へー。へー。まだ指とか絡めたままですか。へー。へー。死ねばよかったのに」
震え声で言い切り、ギンっと睨むと踵を返しズンズンと扉に向かうヒノワを、俺は何であんなに怒っているのか分からず、呆然と見送るしかなく困惑するしか無かった。
「……私の事は名前で呼んでくれた事無かったクセに……ばーか……」
退室の際にヒノワが何か言った様に思えたが、俺の耳には内容までは届かなかった。




