一笑
母を介護施設に入れる話は、前々から兄弟の間で出ていた話である。
父を早くに亡くして子供三人を、福祉の世話にもなりながら育ててくれたのは確かに母である。
しかし長兄は高校を中途退学をしてから、母を疎ましく思い始めたらしい。
家を出ていってからは一年に、一、二回、電話連絡があるくらいだ。
そんな長兄が、最近になって顔を出すようになったのも、時間に暇が出来たからであろう。
彼は五年ほど前に離婚をして、二年前に離職をした。
いま、どうやって生活をしているのかは、あえて聞かないようにしている。
聞いてみたところで、余計なことに巻き込まれるだけなのは目に見えているから。
私は母と二人の生活を、押し付けられるままに過ごしてきた。
長兄の下の姉が嫁いで、私と母の生活が始まったときに全ては決まったみたいなものだ。
町工場での私の仕事の給料では、二人の生活を続けるのが精一杯で、それ以上は望むべくもなかった。
つきあった女性もいないではなかったが、自然消滅していった。
いまの時代に私のように町工場で働いて母と暮らしている、そういう男には嫁いでくる相手もいないのであろう。
それは姉が嫁いで行ってから、どこかで分かっていたことだ。
しかし姉の幸福を邪魔するほどの勇気は、わたしにはなかった。
なんせ姉は、それなりの金持ちと愛し合って結婚に至ったのである。
まあ、そういう意味では私は犠牲者と言えるのかもしれない。
その姉も、いちおう母のことは心配していた。
認知症が進んできたからである。
兄も姉もわたしも、母を疎ましく思っていることは共通のようであった。
子供の頃から苦労というものはしたことがないが、暗い想いはしてきた。
母たちの世代には、色々と苦労というものはあったであろう。
それは母の疲れた笑顔から、子供の頃から自然に読み取れた。
だからといって親類がいうほどに、母を大事にしようとは思わなかったのも事実である。
違う家に生まれたかったとか、父親が生きてさえいればというものではない。
私たち兄弟は、それなりに満たされていた気もする。
しかし、いつも家の中には暗い空気が隅にあった。
それに耐えるのが、わたしたち兄弟の幼い頃の使命でもあった気がする。
そこから先に抜け出したのは長兄であり、次に抜け出したのは姉であった。
わたしには抜け出すチャンスはなく、いうなれば貧乏くじを引かされたということであろう。
そんな母が介護施設に入るのである。
わたしは、もっと喜んでも良かったはずである。
表に出しては、いけないであろうが心の中では良かったはずである。
それなのに私はどこか空虚なのであった。
「少し、金を貸してくれないかな。」
長兄である勇作は、弟の英二に言う。
無表情でまゆ一つ動かさない弟に、勇作の苛立ちはつのる。
勇作は、この弟を昔から好いてはいない。
真面目だけが取り柄の弟は、勇作の中では最低の部類の人間だった。
幼い頃からの暗い生活の中で、勇作は明るさだけは失うまいと心掛けてきた。
それが長兄である自分の役目に思えたし、また、そうしてきた。
しかし、弟である英二の存在は、いつも勇作を暗い思いにさせた。
もっと笑えばいいのに。
もっと楽しめばいいのに。
けれど、それを口にすることは兄として、間違っている気がした。
兄は弟を励ますのではなく、諭すのが大事なのだと、そんな思い込みがあったからだ。
それはいつ頃から自分の中に芽生えた感情なのか、勇作は覚えていない。
しかし、父が亡くなった時には、既に、そうであった。
古い価値観なのかも、知れぬが、兄と弟とはそういうものなのだと思い込んでいた。
そのことが勇作に英二の存在を重いものにさせたのかもしれないし、とにかく二人は疎遠にとなった。
高校を途中でやめたとき、英二のことが気にかからなかったわけではない。
しかし、家を出るときには、そんな思いはもうなかった。
母親や弟のことよりも、自分の未来のほうが遥かに大事だったから。
それに、そのときには、まだ妹が家にといた。
だからなんとかしてくれるだろうと、たかをくくっていた。
酷い兄であり、息子であったとは思う。
だが、そのときの気持ちは、確かにそうだったのだ。
自分が可愛くない人間を、勇作は信じられない。
誰だって自分が一番かわいいと思っているし、そう思って生きてきた。
だからこそ、どこか自己犠牲じみている英二の存在を、不気味にと感じていた。
なのに、いま勇作の口から出た言葉は、金であった。
この明るい日差しのあたる、海辺の町。
年々、風景は変わっていく。
日本の殆どの地方とかわりなく、子供の数は減り、老人が増えている。
食事にしてもスーパーに食材を買い出しに行く人もいるが、宅食をとる人も増えたみたいだ。
テレビやラジオ、新聞では、それが問題だとがなりたてるが、時間は穏やかにと流れていく。
老人が不幸だとは限るまいし、また子供が、ただ子供であるだけで幸せな時代も終わっている。
新しく建てられたマンションと、違う地区にある文化住宅。
どちらの部屋にも、それなりの生活がある。
ふれあいなんて言葉は、死語にとなり、他人の生活に入り込まない独り暮らしの人々。
明るさはテレビのバラエティーが奏でる戯けであり、一様に町の中に垂れ込めるのは乾いた暗さ。
その、死をもってしか贖えない暗さを、この町は甘受しているようだ。
昔々、この町も活気に満ちていた、そんな時があった。
暮らす人々は明日を待ちわびるみたいに、日々の暮らしを楽しんだ。
その時代にも問題は確かにとあったが、解決するに違いないという熱気というものが、まだあった。
しかし、今は、解決せぬことのほうが賢いやり方だと、町の老人も大人も子供も、生まれたばかりの赤ん坊も知っているみたいで。
いつからこうなったのかなんて、そんな稚じみた問いかけは誰もしない。
例え頼りのない空虚な明るさであっても、ないよりはマシなのだ。
ひとり暮らしの老人は、寝る前に聞くラジオのスリープタイムの仕方を、いつの間にか覚えていた。
認知症の老婆の娘である景子は、二人の兄弟の存在を好ましくは思ってはいなかった。
確かに母親には、感謝をしている。
母のひと押しがあったからこそ、母子家庭ではあったけれども、短期大学へと進むことができた。
他の学生のように娯楽を満喫した短大生活ではなかったが、それなりに自分の虚栄心はみたされた。
もしも高校卒業で働くことになっていたならば、惨めな気持ちを抱えたまま生活をしていたであろう。
子供の頃から、それなりに頭が良かった自覚はある。
中学生のときなど、家庭教師や学習塾にいっているクラスメイトよりも、自分のほうが成績は良かったりもした。
教師との関係も悪くはなかったし、学友との関係にも支障があるわけではなかった。
彼女の内面的な闇は、家庭のことにとつきる。
父親の死は彼女の中では、遠い朧気な記憶にすぎない。
それよりも気がついたときには自分を取り巻いていた、こびり付いた泥のような貧困が嫌だった。
貧しさを美談のように語る輩がいるが、それは必ず年配者である。
この国が敗戦から立ち直る途中の、多くの人々が貧しかった時代。
その時代では、貧しき人々は多数派であった。
いわゆるマジョリティである。
しかし、彼女が成長した時代は高度成長の恩恵をうけた世代であり、彼女のような家庭は少数派であった。
そう、マイノリティにと押しやられていた。
生まれ落ちた環境を恨みもしたし、憎みもした。
希望なんて言葉が、反吐が出るほど嫌いだった時代もある。
しかし、今の彼女は経済的に安定した家庭の主婦であり、一児の母親でもあった。
そんな彼女から見ても、母親の人生は不幸の言葉ではおさまらなかった。
一番にしっくりとくる言葉は、悲惨。
認知症にとなった我が母の背中や、顔の表情をみると、尚更にその思いがこみ上げてくる。
そして、たまらない嫌悪感。
一歩間違えれば己がそうなっていたかも知れぬという、拭いようのない嫌悪感。
だから彼女は母の存在にいわれも言えぬ恐怖を感じていたし、母にとつながる二人の兄弟の存在も忘れ去りたかった。
そして、そんな自分を嫌に思うほどに不幸ではない生活を、彼女はおくっていたのである。
世間一般にいわれる認知症と云う波音の中で、ひとりの老婆は生きていた。
いつからか末の息子の姿が現れては消え、消えては現れて。
それは、彼女の内部でおこっている物語。
窓辺にと鳥がとまって飛び去るみたいに、彼女の光は遠い昔に彼女に現れて、すぐに去った。
それが夫という存在であったのだろうと、それは三人の子供の了解に過ぎない。
彼女には三江という名前があった。
夫が亡くなってから子ども三人とあわせて四人の暮らしが始まり、彼女は自分の名前を忘れていた。
いや、正しくは「母親」につながるものが、名前であった。
夫とは熱烈な恋愛の末に結婚に至ったわけでもなく、親の世間体で結婚をしたようなものだった。
結婚をして、女として一人前。
子供を産むのが、女の幸せ。
子育てこそが、母親の喜び。
そんな時代が確かにあったし、それに抗うほどの勇気も彼女は持ち合わせていなかった。
夫が亡くなったあと、遺された三人の子供を育てていくのは、彼女の中で自然に義務にとなった。
夫亡き後の子育ては、全く楽しいものではなかった。
こんなことなら、結婚なんかせずに両親のもとで、ずっと独身のほうがどれだけ良かったか。
それは偽らざる、女性の、いや、人間の本音であった。
しかし、三人の子供は嫌でも育ってくる。
逃げ出すことは、こんな田舎では許されることではない。
わたしが私でいられる場所は…………。
そんなときに彼女に光がやってきたのだ。
相手は妻子持ちの、しがない男であった。
やけに高級なタバコを吸っていたことは、今でも鼻が覚えている。
日本製のタバコではなかったことだけは、確かだ。
薄暗い町はずれのモーテルで情事を終えたあと、彼女を抱きしめて、男は耳もとでいった。
「三江。」
幸せとは、こんな不思議なものなのだと、彼女は思った。
こんな満たされた気持ちには、夫と暮らしていたときにも、ましてや子供たちだけとの暮らしになってからも、なかった。
つまりは、初めての幸せであった。
その瞬間、夫を亡くしたことや三人の子供を産んで育てていること、全てが許せた気がした。
とても優しい気持ちにと、なれた。
全ては、この光に包まれるためだったのかと思うと、何もかもが輝いて見えた。
それを哀れだと云うものは、たぶん愛を語るだけの、愛を知らぬものであろう。




