悪意の剣(5)
「そうか。そっちもひとまず片付いたんやな。おおきに、ご苦労さん」
言って、楓は携帯の通話を切る。
「確認出来たで。純花ちゃんと紅葉のほうにも、やっぱり襲撃があったようや。けど、うちが向かわせといた葵が間に合ってくれたみたいやわ。案の定、紅葉に剣を渡したら、一瞬で始末は終わったらしい」
「……で、ふたりは……無事なのか?」
「何事も無しとまでは言えへんな。純花ちゃんが怪我したらしいわ。今、色宮の道場まで送りがてら、傷の手当てもしとるそうや」
「くそっ……色宮が……」
「まあ、そう興奮しなや。葵の話からすると傷は浅いようやし、大事は無かったいうのだけは確かなんやからな」
しきりに頭を掻きながら、忌々しそうに地面を蹴る東真を、楓はやんわりとした口調と冷静な状況説明で落ち着かせる。
こんな事態となっては、怒りや焦り、苛立ちも止む無しだが、そう感情的になっていてはこの先が持たない。
起きてしまったことは起きてしまったこととして、次へ頭を切り替えなければ、状況の好転は望めない。
そうした楓の意思が伝わったのか、東真も多少、落ち着きを取り戻し始めた。
ひとつ、深呼吸をすると、まだ目の中に燃えるような怒りをくすぶらせつつも、冷静に楓へと向き直り、頭を下げる。
「何から何まで……本当にすまん。この恩は決して忘れん」
「せやから、そういうのは止めてぇやって言うてるやろ。うちからしたら、やっとあんたらに少しでも借りが返せてうれしいねんで」
「借りだなんて、そんな……」
「ええか。あんたらがもしもおらんかったら、うちは英樹さんには出会えへんかった。無論、非視ノ視を教えてもらうことも無かったやろ。今、うちがここにこうしていられるのは間違い無く、あんたらのおかげや。正味言うて、ぞっとするわ。あのまま暴走続けとったら、最後はどうなっとったかと思うとな。せやから、あんたらはうちにとっては命の恩人やねん。決して言い過ぎでは無く。返しきれんほどの借りがあるのはうちのほうや」
断固とした口調だった。
それだけに、胸に響いた。
視力を失う恐怖。
剣を失う恐怖。
それらに駆られ、狂気に染まった。
無理やりに剣への執着を捨てるため、自分を倒せる相手を探し、暴れ狂った。
そんな、闇の中へ取り込まれそうになっていた自分を救ってくれたのは英樹だ。
そして、それに引き合わせてくれたのは東真たちである。
視力は失った。
だが、
それ以上に多くを得た。
自棄から救われ、生きる希望を与えられた。
感謝の念は尽きない。
それが偽らざる楓の心中なのだろう。
「ほんま、生きとるってええわ。剣を振るえるって最高やわ。こんなに楽しいことが人生に、まだちゃんと残されとるって教えられたんやで。恩返しが出来るいうのは、うちにとって幸せなんよ」
「大場……」
思いをすべて伝えられた上で、それを理解した上で、東真は再び大きく頭を下げた。
有り難いのはこちらも同じだ。
心から信頼できる仲間を得られることほど、うれしいことなど無い。
感謝はお互い様。
助け、助けられる仲間同士の絆のなんと有り難いことか。
沈黙の中に、伝えきれないほどの喜びと感謝を込めて東真は頭を垂れ続ける。
その様子を感じ取り、楓はただ照れ笑いを浮かべて、頬を指で軽く撫でた。
すると、
急に、気まずさも手伝って口を閉じていた撫子が話しかけてくる。
「……ちょっと」
「ん?」
つぶやきに近い小さな声に反応し、ふと東真が振り返ると、撫子は神妙な顔で続けた。
「万事、うまくいって良かったですって感じでまとまってるとこ悪いんだけどさ。ふたりとも何か、大事なこと忘れてない?」
「大事なこと……?」
「レリアのほうはどうしたの?」
言われ、はっとなった。
瞬間、目を剥いて撫子を見た東真は風を切るような勢いで身をひるがえして楓を見た。
何か、レリアには対策はしているのかを確かめるため。
結果。
楓の表情からすべてを察した。
楓もまた、はっとした顔をしていたのである。
「……しもた」
「し……しもたって、楓、何がどうしたっていうんだ?」
「レリアのこと、完全に忘れとったわ……」
こりゃまずいといった風で頭を叩きながら言う楓を見ながら、東真と撫子は、ざっと血の気が引く感覚にめまいすら感じた。
またか!
それも今度は確実にやばい。
影で対策をしていてくれた楓自身が、はっきり「忘れてた」と言ってしまっているのだ。
希望は欠片も無い。
あまりの絶望感に寒気すら覚える。
「ど、どうしよう。おまけにレリア、ひとりっきりじゃないの!」
「あ、慌てるなササキ。とにかく急いで橋まで引き返してレリアのとこまで……」
慌てるなと人に言っておきながらも、ふたり仲良く撫子と一緒に慌てた東真が、言葉をすべて言い切る直前。
東真の言葉尻を遮るようにして、その場の空気に似つかわしくない、陽気なメロディが静かに鳴り響いた。
「……なんだ……これ?」
「……あ、あたしの携帯……」
そう言い、なんとも決まりの悪い様子で撫子がポケットから携帯を取り出す。
一方の東真はといえば、空気を読まない撫子の携帯着信に、無意識ながら苛立った顔を撫子に向ける。
とはいえ、別に携帯の着信は撫子の罪ではない。
東真もそれは分かっているが、どうしても感情的に苦い顔を向けてしまう。
そしてそこに関しては撫子も同じで、自分に非が無いと分かっていても、理屈とは別口で肩身の狭い気分にさせられる。
横目にチラチラと東真の顔を見つつ、申し訳なさそうに携帯を耳に当て、通話ボタンを押す。
「……はい、佐々ですけど……」
『あ、撫子さんですか?』
「あ……れ……その声って、あんた……」
『秋城です』
「!」
驚きのあまり、背中がびくっと跳ねた。
まさか話題にしていた当人から、それも自分の携帯へ連絡が来るとは夢にも思っていなかったため、撫子も完全にしどろもどろになってしまった。
「……どうしたササキ。誰からの電話だ?」
「あ、え、レ、レリア……が、で、電話……」
「は?」
へどもどして要領を得ない撫子に、輪をかけて苛立っていると、撫子も口で言うよりこのほうが早いと考えたらしく、自分の携帯を東真に差し出す。
それをいぶかしく思いながらも、差し出された東真は携帯を受け取り、耳に当てた。
「もしもし、紅ですが」
『あ、東真さん。ようやくお声が聞けましたね』
「!」
先ほどの撫子よろしく、東真もまた、驚きに身を反らした。
『もう、何なんですか。わたくしが電話をかけると無視するのが流行ってるんですか?』
「あ……いや、そうじゃ、なくてだな……というかお前、無事なのか?」
『無事か無事でないかと言われれば、無事ですけど?』
「よかった……関井道場の連中、お前のとこには行かなかったんだな……」
『いえ、来ましたよ?』
「!」
『ですから、いちいち話の途中に黙らないでくださいな。こちらこそ何かあったのかと思って心配するじゃありませんか』
「や……しかし、襲撃があったのに無事とは、一体……」
『相変わらず、威勢ばかりよくて腕は大したことの無い連中でしたよ。今、そこらで四人ほど転げまわってます』
奇妙なほど冷静な調子でレリアは言う。
『それにしても馬鹿な連中ですね。遠くから弓で狙ってきたのがいましたけど、突き技が主体の西洋剣術を嗜むわたくしに、矢を放っても当たるわけがないじゃありませんか。ねぇ?』
「……」
呆れるほど問題無く、相手を撃退したらしきレリアの話に、東真は何度目かの絶句をした。
しかし思えば当然だったのかもしれない。
西洋剣術には、突きに対する独特の防御法がある。
パリー(受け流し)。
垂直に立てた剣を左右に払って敵の突きを弾く。
応用して考えれば、弓矢への対処には絶好だろう。
奇しくも、関井道場の残党たちはもっとも相性の悪い相手に挑んでしまったわけだ。
レリアの無事を確認したことに加え、そんな事実に考えが及び、東真は思わず電話口で苦笑を漏らしてしまった。