悪意の剣(3)
緊張状態での時間経過は大抵ひどく緩慢に感じる。
それゆえ、現実にどの程度の時間が経過していたかは、第三者の客観をもって答えとするよりない。
そして、その第三者の登場が、事態を急転させた。
「ぎゃっ!」
短い悲鳴が立ち並ぶ木々のどこかしらから響いたと思うや、次には悲鳴の声とは違う人物の声が木陰から飛んできた。
「……飛び道具で牽制しつつ、隙を狙うて一気に攻める。ベタやけど、効果は高い戦法やな」
いきなり現れ、そんなことを言い放つ第三者の出現に、襲撃者たちは少なからず動揺したが、東真と撫子もまた、違う意味で動揺していた。
その声に、聞き覚えがあったからである。
「な、誰だ!」
またしても襲撃者のひとりが代表して声の主に問いを投げかけると、木陰から声の主は、すいと出てきて答えた。
「真元流、大場楓。義によって助太刀いたす……とでも言うたらええのか?」
両目を閉じ、口元だけニタリと歪めた笑いを浮かべる。
「お……お前、なんでこんなところに……?」
「下らん質問やな東真。こんだけバッチリのタイミングでうちがここにおるっちゅうことは、つまりあんたらを監視してたいうことやろ?」
言い返され、すぐさま理解した。
やはり相談相手として楓は適任だったということを。
口に出さずとも、東真たちの身辺に注意し、わざわざ後をつけていてくれたのだ。
そうこうするうち、いつの間にか東真たちの間近まで近づいてきていた楓の姿が外灯に照らし出される。
元場剣学校の制服姿。
東真たちの着る松若のセーラー服とは若干、デザインは違うが、同じセーラー服であることに違いは無い。
それの、胸元辺りがべったりと血で染まっている。
「弓の担当しとった奴には気の毒したな。弓で狙て集中しとるとこ、後ろからバッサリやってもうたわ。今はそこの木の下で、自分の血で出来た血溜まりん中に倒れとるで」
平然とそんなことを言いながら、腰に帯した長柄の刀の柄を軽く撫でつつ、なおも楓はこちらに近づいてくる。
すると、そんな楓の様子の不気味さに冷静さを失ったのか、一番近くにいた襲撃者のひとりが地を蹴り、無防備に近づいてきていた楓へ斬りかかった。
が、転瞬。
挑みかかっていった男は絶叫してその場に倒れた。
見れば、脇腹をざっくりと断ち割られている。
まさしく、目にも留まらぬ居合抜刀。
「言うとくけど、目ぇの見えへんうちに、この暗がりは何の役にも立たんで。むしろ、うちにとっては有利にしかならへんよ」
「くっ……この女郎がぁっ!」
喚きを上げ、残るふたりが東真たちを無視して楓へと突進してゆく。
だが、
「じゃかぁしぃわ、このゴロツキどもがぁっ!」
立ち並ぶ木々まで震えそうな大喝を楓が上げると、男たちは反射的に足を止めた。
止めずにいられなかったのだ。
そのあまりの迫力に。
ふらふらと近づいていたように見えていた楓の姿は、今や剣気を噴出する鬼の様相に変わっている。
「ついでやから、もひとつ言うといたる。うちは手加減なんてようせんよって、向かってくるからには殺す気ぃでいくで。刃引きしとるとはいえ、うちの居合喰ろうて無事に済むやなんて思わんことや!」
吐き捨てるような台詞にすら、威圧感を感じる。
そのためか。
いや、確実にそのせいだろう。
残ったふたりは、立ち止まった位置から後ろへ数歩、もつれるように退いたかと思うと、急に反転してその場から逃げ去っていった。
誰の目にも明らかな全力疾走で。
無論、楓は追わない。
去る者は追わず、である。
そんな襲撃者たちの後ろ姿が、もうほとんど暗闇の中へと消えていったのを確認した辺りで、東真と背中を合わせていた撫子が、深く大きな溜め息をひとつ吐いた。
「……危なかったぁ……」
続いて、うなだれるように顔を落とし、絞り出すようにそう言う。
よほど気が気でなかったのだろう。
当然、そこは東真も同じ心境であったのは疑い無いが、東真のほうは撫子よりも警戒心と覚悟の両面で勝っていた分、事後の余裕に差が出る形となった。
東真も、ふうっと一息つくと、刀を鞘に収めつ、楓へ話しかける。
「……手数をかけてすまない。本当に助かった」
「水臭いこと言いなや。うちとあんたらの仲やろ?」
「そう言ってもらえると、有り難い……」
言いつつ、東真は深く頭を下げた。
「せやから、そういうんが水臭い言うてんねん」
相変わらず、こうしたことには堅苦しい東真の態度に、楓も苦笑する。
「それにしても、まさか連中、飛び道具まで使ってくるとは……」
「だから言うといたやろ。意趣返しいうのは綺麗ごとやない。目的のためなら手段を選ばん。そんな連中ばっかりや。汚い手なんぞ、いくらでも使うてくるで」
「私の考えが甘かった。情けない限りだ……」
悔しそうに唇を噛む。
そうした東真の心情を察してか、楓はそれ以上は話を掘り下げず、優しく東真の肩を叩いた。
事情はどうあれ悪いのは関井道場の残党たちであって、それに襲われた東真たちは被害者だということに変わりは無い。
この場合、被害者側の自己責任を問うのはいくらなんでも無茶というものだ。
襲う側はいつでも襲えるが、襲われる側はいつ襲われるかも分からない。
その点だけでも大いに襲われる側が不利なのである。
油断や不備を責めるのは筋違いというものだろう。
とはいえ、
撫子のばつの悪さは拭えない。
自分ももう少し強く注意していれば、こうした事態は防げたかもと思ってしまう。
手痛い油断で足を引っ張ったのは自分ではないかと思わずにおれない。
そう。
下らない順番争いで腹を立てなければ、結果的には純花の提案した折衷案を受けずに集団下校となっていたはず。
それを思うと……、
思うと、
思う?
ふと、そこで気がついた。
「あ……」
「どうしたササキ。もう終わったというのに、そんな深刻そうな顔して……」
「……や、やばいよ東真!」
「え?」
急に取り乱した様子の撫子をなだめようと、再び声をかけようとした東真が口を開くより早く撫子が言葉を次ぐ。
「あたしらが襲われたってことは、純花や紅葉、レリアも危ないってことじゃんか!」
言われ、東真は目を剥いた。
またしても!
何故、そこに頭がいかなかったのかと自分の額を小突く。
噛み締めた歯が、ぎりぎりと音を立てた。