悪意の剣(1)
「そういうわけだ。各自、これからは出来るだけ単独行動を控えるように。最低でも行動単位はふたり一組を原則に動け。相手がいつ、どこからどう来るかが分からん以上、しばらくの間はこうした地味な自衛手段に出るほかない」
色宮道場で楓から助言を受けたその翌日。
昼休みの集いで東真が語り出した提案は、そう言って締めくくられた。
それに対し、当然というべきか。
その場の人間はほぼ全員がポカンとして不思議そうな眼差しを東真に向ける。
例外は、話の詳細を知っている純花くらいのものである。
「ちょっと……東真、いきなり何言い出してんの?」
「今言った通りだ。関井道場の残党からの意趣返しに対する自衛策。何か異論があるのか?」
「異論っていうか……さ。それってちょっと仰々しくない?」
明らかに引いている様子で、撫子が戸惑いつつも問う。
言わんとしていることはよく分かる。
確かにこの東真の提案は大袈裟にも感じられる。
しかし、
「これでも私としては随分と譲歩したつもりだぞ。本当ならここのメンバー全員、登下校時も防断服を着用するよう指示したいところだ」
「あんたね……」
戸惑いを通り越し、撫子が呆れ声を漏らした。
防断服。
ナイフなどの刀剣類から身を守るため作られた防刃服をさらに改良したもので、士道学校における体育着のような位置にある。
特殊強化繊維で出来たそれは対刃防御力に極めて優れ、規格試験では刃引きをしていない真剣でも斬れることが無いように設計されているが、実際には刃引きされた刀を用いたとしても、実力者なら切断・貫通は十分に可能なのが唯一の難点である。
デザインは基本、日常でも剣の道をゆく緊張感を忘れぬためという理由から、各校とも学生服と同一のデザインで作られており、松若ならば女子の東真らの防断服はセーラー服そのものの作りとなっている。
ちなみに鈴ヶ丘に通うレリアの防断服はブレザー型。
見た目だけなら、普段から着用していてもさほど違和感は無い。
のだが、
「私もさすがにそれはやりすぎだと紅さんには言ったんですよ。それは注意するに越したことはありませんけど、あまり根を詰め過ぎると、逆に続けるのが大儀になってしまいますから」
間に入るように、純花が言葉を足す。
だが、撫子の呆れた様子はさらに強まった。
純花に諭されてすら、まだこれだけの注文をつけてくるとは……。
長い付き合いで理解はしていたが、それでも東真の物事に対する愚直さには辟易させられる。
ところが。
思いがけず……は、少しばかり嘘になるだろうか。
多少考えればそうなることは見当がついていた変化が起きるに至り、撫子は頭を抱えることになる。
レリアだ。
始めこそ、自分らと同じように不思議そうな目をして東真を見ていたと思ったら、東真の意図はさておき、それにともなって何をするかという実質部分に思考が移ったらしく、急に、
「わたくしもそれで構いませんよ。皆さんと一緒に仲良く帰路につく。別段、問題は無いじゃありませんか」
こう言って、肯定派へ即座につく。
すると、撫子のほうも席から立ち上がる勢いでレリアにまくし立てた。
「黙ってなさいよこのパツキンメガネ。あんたは単に東真と仲良くしたいって下心が見え見えなのよ!」
「あら、『仲良きことは美しきかな』と武者小路実篤も言ってるじゃありませんか。何か問題でもあるんですか?」
「だーから、その(仲良く)の意味合いがあんたの場合、気色悪いんだっての!」
「おかしいですねぇ。特にわたくしに他意は無いのですけど、撫子さんは何を誤解されているんでしょう。お分かりになりますか、東真さん?」
撫子とのやり取りから一転して、いきなり話を東真に振るレリアの声は、あからさまに撫子に対するものとは違っていた。
やんわりとした猫なで声。
それを聞いて、東真の背筋がぞわりとする。
「私に聞くな!」
反射的に大きめの返事が口をついた。
思えば、これもレリアと知り合った決闘の時から続いている悩みのひとつではある。
他意は無いと思いたい。
思いたいが、
あまりにも、レリアの東真に対する接し方が、一般的な友人へのそれとは異なって感じられて仕方がないのである。
傍で見ている撫子らでさえ気味悪がるほどであるのだから、当の本人たる東真などはたまったものではないだろう。
それでも東真は、無理に気を取り直し、わざとらしくひとつ咳払いをすると、
「ともかく今日からは全員、登下校の際は出来るだけ連れ合ってゆくことにする。とはいえ、それぞれの帰路は途中までこそ一緒だが、そこからは各自バラバラだ。そうなると、最善策はまずメンバー内の実力順に帰宅する方法だろう。実力の劣る者から先に家まで送る形を取り、最後に残り、ひとりで帰宅するのは一番手の実力者であるのが望ましいな」
しつこく話を続ける。
「っとに……まあいいわ。あんたは言い出したら聞かない子なのは知ってるからね。そこらで手を打つことにしましょ」
「納得してもらえたようでうれしいぞ、ササキ」
「……別に、納得してるんじゃなくて、こっちは諦めてるんだっていうのは理解しなさいよ。好き好んであんたの提案に乗るわけじゃないっての」
「分かってる。妥協してくれて助かると言い直そう。で、それではさっそく帰宅順を決めようと思うんだが……」
「そうね。話が決まったからには、細かいこともさっさと決めちゃいましょうか」
「私の理想としては、最後に残るのは照山に頼みたいところだ。剣さえ持っていれば、この中では実力的にダントツだろうし、他のみんなも異論はないと思う」
「うんうん」
「次に残るのは私で構わんな。自分で言うのも何だが、この中での次点は私でみんなも異論は無いだろう」
「うん」
「三番手は秋城といったところか。私には敗れているが、ササキとの勝負は今でも秋城のほうが一歩上手をいくと見る。ここまでの順番はこれで順当だな」
「……うん」
「問題なのはこの先なんだ。ササキか、それとも色宮か。このうち、どちらを一番先に家まで送るのかで悩んで……」
「ちょっと待てっ!」
ここで堪えきれなくなったか、撫子が東真に食ってかかった。
「ん、なんだ。どこかおかしなところでもあったか?」
「おかしいも何も、どうしてあたしと純花とで最下位競争になってんのよ。どこをどう考えたとしても、あたしのが純花よりは上に決まってんじゃないのさ!」
「とはいえな………お前、関井道場での戦いで結果的に純花に助けられてるだろう。純花は剣こそ使えんが、色宮流の体術に関しては折紙つきだ。そこを思うと、お前の居合ではどうにも心許無いというのが正直なところで……」
「人を馬鹿にすんのも大概にしろ、このベニアズマ!」
順番決めでまさかの激昂となってしまった撫子の怒鳴り声が昼休みの教室を響く。
今度は立場代わり、今にも東真へ食いつく勢いの撫子を、残りの全員が呆れ顔で見つめることとなる。
集団下校の帰り順。
まさか彼女たちも、この歳になってこのように幼稚な話が想像以上にもめることになろうとは思いもしていなかっただろう。