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プロローグ(4)


その日の帰り。

東真は自分の家路へとはつかず、純花の家へ寄ることにした。

彼女なりに今、身辺で起きている事柄についての対策を思っての行動である。


「ただいま帰りました」

道場入り口で純花が一声かけると、奥まった廊下の先から、するすると人影が近づいてきた。


稽古着にベリーショートの髪型。

一見すると少年かと見紛うが、れっきとした女子である。


それより、

今となっては東真も純花も見慣れているため、何とも思うことは無いが、事情を知らない人間にはひどく違和感を感じる部分が他にある。


この少女、

両目を完全に閉じているのだ。


にもかかわらず、何事も無く普通に廊下を真っ直ぐに進んでくる。

そして玄関の段差手前できっちり立ち止まると、


「お帰んなさい純花ちゃん。今日は東真も一緒なんか?」

笑顔でそう言った。


普通の感覚からすれば見てもいないのに何故、東真も連れ立っているかまで気づいたのだろうかとか、それ以前に誰かと一緒だと分かったとしても、それが東真だと何故分かったのかと、疑問は深まるばかりだろう。


しかしそれを彼女らは不思議に思わない。


純花の兄、英樹から直接、口伝奥義である「非視ノ視」を学んでいる彼女には、すでに目など見えずとも知覚出来ない事など無い。


そう、

彼女こそが大場楓。

撫子が語り、知る斬人のうちのひとり。

しつこいが、正確には元・斬人。


まだ視力を失う以前、東真たちを巻き込んだ彼女の暴走は当然、責任を問われ、結果としては斬人の資格剥奪ということで一件落着した。


ただ彼女の場合、手練者リスト欲しさに斬人になったという側面が強いため、資格剥奪は今となっては別段、処罰という認識ではない。


「その様子だと、もうほとんど体得できたみたいですね。非視ノ視」

「おかげさんでな。ま、英樹さんの指導の賜物やわ。そこはほんま、感謝感謝やで」

「それにしても、わずかに数カ月でここまで身に付けたのは、間違い無く楓さんの努力の結果ですよ」

「そう分かりやすう褒めんといてぇや。照れてまうわ」

社交辞令を言わず、裏表の無い純花の言葉だと、同じ褒め言葉でも異様に照れる。


楓もまた、困ったような顔をして苦笑交じりに首元を撫でる。

頬を赤く染めながら。


すでに失明してかなり経つが、始めの頃の荒れた様子はもう微塵も無い。

今は元場剣学校で普通に学生生活を送り、学校が終わると同時に色宮道場へと通っている。


思えばこれも不思議な縁であった。

紅葉が叩き込まれた関井心貫流はその昔、無外流と新陰流を学び、真元流を起こしたとされる大場宗右衛門おおば そうえもんの門弟、関井玄馬せきい げんばが大場から皆伝を受け、新たに開いた流派のひとつである。


そして、関井玄馬の兄弟子にあたる色宮宋雲しきみや そううんという人物が純花の実家である居合抜刀色宮流の始祖だ。


源流である真元流の楓が、分派の関井心貫流を使う紅葉と戦い、さらに同じく分派たる色宮流に奥義を授かって助けられるとは、人の縁というのはまことに奇妙といえる。


「さて、人ん家で言うのもなんやけど、ふたりとも早う上がりぃな。玄関先で立ち話っちゅうのもなんやろうからな」

言って踵を返し、再び廊下を奥へと向かう楓に続くように、東真と純花も早々に靴を脱ぐと、玄関先を上がって、その背中を追う。


その際、反射的に東真は一言、


「お邪魔いたします」

一礼して発する。


礼儀、礼節に対して人一倍に気を遣う東真ならではの、ともすれば堅苦し過ぎるところも多い所作と挨拶。

一見すると単に生真面目な東真らしい態度のひとつでしかなかったが、そこから何かを感じるということもある。

特に、今の楓にはそれを鋭敏に感じ取る能力が備わっていた。


視力を失って得た副産物。

非視ノ視という技を身に付けたがゆえに持ち得たオマケのようなものだろうか。


見えなくなって始めて見えるようになるものもあるということを、それは示唆しているのかもしれない。

後ろをついてくる東真と純花に歩調を合わせつつ、振り向きもせずに楓は、ふと声をかけた。


「東真、なんや相談事でもあって来たんか?」

「……え?」

「声の調子が、どことのう不安定やったからな。考え事や悩み事で頭が落ち着いてへんのかと思うたんや」

「声……って、それだけでそこまで分かるのか……?」

「そや。ちょっとした超能力みたいやろ。うまく使えば、いい銭儲けのタネになるかもなぁ」

クスクスと笑いながら、そんなことを言う。


無論、本気ではないだろう。

言葉の意味は別にある。

今やこんな冗談や軽口も叩けるほどになったと、そういうことだ。

改めて、楓の才能と、それを引き出した英樹の教育力には驚かされる。


「それにしても、相談があるんやったら英樹さんのおる時に来るんが普通やろに、純花ちゃんから今日は英樹さん出かけてはるって聞いてへんのか?」

「いや、それは聞いていた。だが、少しばかり急ぎの用件なんでな。相談相手を選り好みする気は無い」

「相変わらず、変なところではっきり言うなぁ。そらつまり、うちを英樹さんの代用にしよう思てるいうことやないか」

「え……あ、いや別に、お前を代用品扱いするとか、そういうつもりでは……」

「気にせんでええて。悪気が無いことくらい、よう分かっとるがな。ちょっとイジワル言うてみたかっただけや」

背後で、ばつが悪そうに頭を掻く東真の様子を知りつつ、楓が苦笑を漏らす。


楓に限らず、撫子にしてもそうだが、口が達者で快楽主義の傾向が強い人間にとって、東真の堅物らしい一挙手一投足は、からかいの対象としては絶好のものなのである。


もちろんのこと、当人である東真にはただのいい迷惑だろうが、周囲にとっては娯楽の種でもあるという事実は変わらない。


そうこうするうち、一向は稽古場入り口へと到着した。


「今日は英樹さんも草樹そうきさんも、士道協会に呼び出されてはるから、うちひとりで寂しいお稽古やったさかい、賑やかんなってうれしいわ。おかげで機嫌もようなったし、相談でもなんでも好きにしてくれて構へんで」

戸を開け、稽古場に踏み入りながら、言う通りの上機嫌で楓が話す。


ちなみに、

草樹そうきとは、長兄の英樹の下にいる純花の次兄である。


長兄の英樹は道場主。

次兄の草樹は師範を務めている。

その他の細かい事情については、当人の登場時にでもまた、改めて説明をすることにしよう。


馴染みの稽古場の端へ腰を下ろす楓を追うように、東真、純花は楓と対面するように床へ正座した。

堅い板間に躊躇無く正座。

あぐらをかいて座る楓に対して、まさに性格的な差異がここに現れる。


「ほな、落ち着いたところで話、聞こか?」

合図のように両手をパンッ、と大きく鳴らして叩き、楓が質問を促す。


それに納得してか、東真は純花のほうを向いて一度、小さくうなずくと、楓へと視線を戻して話を切り出した。


「今日は……ちょっと私的な事情で相談があってな……」

「ふんふん。遠慮無く言うてみ」

「お前と、悶着があった時より少し以前のことなんだが、照山の父親と……かなり大きな騒動があったんだ」

「知ってるで。照山……松若の斬人が自分で自分の親父がやっとる道場、叩き潰した話やろ。うちもそれ聞いたさかい、おもろい上に腕の立つんがおるなと思て、あんたらと勝負しようと出張ってきたんやからな」

加えて話の補足は必要無いといった素振りで、楓が手のひらをパタパタはためかせるのを見、理解した東真は、そこからは要点のみを口にする。


「そう。知っての通りで照山のいた関井心貫流道場は看板を下ろした。正確には照山個人だけではなく、私たち友人一同を含めての決闘で。そして、その場はそれで終わった。ところが、どうやら関井道場の門人であった連中がひそかに私たちへの意趣返しを考えているという話を聞いたものでな。こちらとしても最低限の自衛策を考えておきたいと思い、相談に来たんだ」

「なるほど。委細は承知や。何せ意趣返しや仇討の類は、うちの専門分野やからな」

「……専門分野?」

「知っとるやろうけど、うちはそれこそ全国規模で手当たり次第の学校と斬人にケンカ売って回ってたんやで。恨みもたれて襲われるのには慣れてんねん」

「ああ……」

どこか得意げにそんなことを言う楓の話を聞き、東真は妙に納得してしまった。


これは思いがけず、今回の件の相談には適任の人間に当たったらしい。

ふと見れば、どうも同じことを思ったようで、隣の純花がこちらを見ながら微笑んでいた。


ところが。


「恨みを買った場合の対処はそれほど難しいことやない。あっちはこっちを襲う気ぃで満々なわけやから、こっちはこっちでいつでも襲われる用意をしとけば済むことや」

「ん……む、そ、それだけか?」

「なんや。不満か?」

「……こう、何かもう少し具体的な対策なりは無いのか?」

「覚悟に勝る対策無し。これ、戦う者の基本姿勢やで」

「むう……」

回答は想像していたよりも……いや、想像をはるかに上回るほどにシンプルだった。


正直、参考になるようなレベルの答えを期待していた東真としては、相当に物足りない。

その不満を感じ取ってなのかは定かでないが、続けて楓は言葉を次いだ。


「そうやな……あんたらの場合、うちと違うて相手がはっきりしとる。そこから考えていけばもう少し具体的対策も出てくるやろ」

「だから、始めに言った通り、私はそれを聞こうと……」

「まあ、焦りなや」

焦燥感が先行して落ち着きを失い出した東真を見かね、やや強めの口調で楓が制す。


生真面目ゆえに、責任感も後押しする形で焦りが積み重なる悪循環。

そうした東真の性格的問題についても、実は楓は気づき、話を進めていた。


「まずは、状況の整理からしてこうやないか。関井の残党どもの動きなら、うちもそれとのう聞いとる。道場主だった関井影正は剣士としては再起不能。しかも手勢わずか五人の、それも女子学生たちに三十人からの門人が全滅させられたんやからな。まっとうに考えた場合、意趣返しで名誉挽回でもせんことには、元の門人たちは世に出る道が無い。その憤懣たるや相当のもんやろ。今、この瞬間にもあんたらを叩きのめさな気が治まらんぐらいのはずやで」

「と……いうことは、我々に対する意趣返しの動きは……?」

「着々と進行中やろな。道場を再建するにせよ、他の道場に移るにせよ、まずは剣士としての名誉を取り戻さんことにはどうにも出来ん。連中も必死やと思うで。死に物狂いの人間ちゅうのは手負いの猪みたいなもんや。腹くくってかからんと、いつどこでどう攻めてこられるか、分かったもんやない」

「……」

「特に東真。あんたがある意味で一番、心配やねん」

「え?」

「士道を志す者は常に正々堂々。愚直に研鑽を積む。そういうあんたの性格は長所であるのと同時に、致命的な弱点にもなる」

「……それは、どういう……?」

「さっきも言った通り、相手は死に物狂いや。手段なんぞハナから選ばんやろ。闇討ち上等。得物にもこだわらんと思といたほうがええ。真っ向勝負なんぞは期待せんことやな」

意外なところを指摘され、東真はしばし当惑したが、すぐに顔を浅く伏せて考え込む。


闇討ちへの警戒。

尋常の勝負は期待できない。

相手は刀以外の得物も使ってくる可能性が高い。

総合すると、なるほど楓が最初に言った通り、とれる対策などは(覚悟)ぐらいしか無さそうに思える。


「具体的な対策があるとすれば、外出時には出来るだけ単独行動を控えることくらいやろな。登下校なんかも言うに及ばず。集団登校に集団下校や。ガキみたいやと思うかもしれんけど、自然界でも立派に通用する自衛策の基本やで」

そう言って、楓は閉じた目で東真の顔を覗き込むようにしながら、ニタリと笑った。


他人事と思って楽しんでいるようにもとれなくはない。

そんな顔つきで。


その態度に思索を中断させられた東真もまた、伏せた顔から上目遣いに楓を見る。

時刻はもうすぐ夜の七時になろうとしていた。


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