エピローグ(3)
央田川にかかる多くの橋のひとつ、桜木橋。
他のどの橋もすべて歩道と車道の両方があるのに対し、桜木橋は歩行者専用。
そのためか、川沿いの各校に通う学生たちにはよく利用される。
対して、車道が無いためか、歩行者の多い通勤通学や帰宅時間以外は意外に閑散としている。
そんな、人通りもほとんど無い桜木橋。
夕闇が迫る中、
その上に数人の人影が立っていた。
「すまない。少し待たせたか?」
橋の真ん中辺りで佇む一団に向け、東真が声をかける。
「いえ、それほどではないですよ」
中から、代表して純花が返答した。
集まっていたのは、
純花、レリア、レティシア、葵、そして、
紅葉。
「悪かったな、忙しいところを私のわがままで集まってもらって」
「構いませんよ。わざわざ東真さんが声をかけてくるなんて、よほどのことでしょうし」
「いや……まあ、そう大したことかは難しいんだが、な……」
何か思っていたより大仰に構えていたレリアの言葉に、東真は少し苦笑いして答えた。
「じゃあ、早速で悪いが照山、例のものを……」
「……はい」
東真に言われ、紅葉は一団から抜けてくる。
そして、
珍しくも肩にかけた収納ケースから、ひと振りの剣を取り出す。
それを見て、
その場の誰もが少しばかり緊張した。
五徳猫。
楓と茜が繰り広げた戦いの凄まじさを物語るように、全体に血で塗り固めたようになったその異様な姿に、別の意味でも息を呑む。
「血染めの妖刀かぁ……やっぱり、こうして見ると迫力あるね……」
「確かにな……ただ、これが妖刀であるかについてはまた議論が必要だろうが……」
撫子の感想に答えつつ、東真は自然と紅葉が差し出してきた五徳猫を受け取った。
それから、
おもむろに話し出す。
「今日、みんなに集まってもらったのは他でもない。ササキと色宮、照山にはすでに話してはあるんだが、これからこの五徳猫を……処分しようと思うんだ」
言った途端、
小さなざわめきが起こった。
処分とは何事だろうか?
一体、何をするつもりなのか?
疑問に思うのは当然である。
だから、東真も先回りし、答える。
「知っての通り、この五徳猫は元々、水神に祀ってあった太刀様でもある。が、今回の一件で分かったのは、その太刀様である五徳猫が、恐ろしく手の込んだ殺人剣だったということだ。今後に遺恨を残さぬ意味でも、この刀は処分するのが妥当だと、私は考えた。もう、士倉茜のような人間を出さないためにも。剣自体に罪があるわけではないのは百も承知だが、そうした考えをもってしても、この刀はあまりにも殺しに特化され過ぎている。陰惨な事件を起こすに足る条件が揃いすぎている。そこで、処分という考えに至ったんだ」
断固とした口調だった。
無論、考えを押し付けるようなことを東真はしようというわけではないのも分かる。
単純に、自分の考えとしてはこうだと、きっぱり明言しただけのことである。
それに対して、
少しの沈黙。
誰もがしばし考え、それから、
答える。
「……わたくしは、賛成しますわ。確かに、その剣はこれからも何かのきっかけで人の争いを助長する危険があります。その点だけでも、処分という判断は妥当だと思います」
「私は正直、ちょーっとだけ惜しいかなぁ。こんだけ手の込んだ剣、扱ってみたいと思うのもまた剣士の業ですよね。けど、まあ東真さんが言うなら、私は賛成しますよ」
レリアと葵の意見は聞いた。
と、
後ろで何やら、どう答えてよいものなのか分からず、おろおろとしているレティシアを見て、レリアが一言、
「レティシアの意見はわたくしが代弁しておきます。答えはイエス。異存は無いでしょうね、レティシア?」
「……あ……はい……」
戸惑いつつ言うレティシアに満足してか、レリアは深くうなずく。
というより、
やはりこの姉妹は、妹に基本的な権利はほとんど認められていないらしい。
ともあれ、
意見が出揃ったところで純花が補足し、
「私と照山さんも、すでに紅さんの案で賛成しています。とすれば、これで満場一致。後は、紅さんのご随意に……」
言って、締めくくる。
すると、
東真はおもむろに橋の欄干へ近づき、
五徳猫を、橋の外へと、
突き出す。
が、
そこで急に、
撫子が東真の横へ来ると、顔を覗き込み、最後の確認をしてきた。
「……あのさ……東真、しつこいかもしれないけど、ほんとにこれでいいのかな……?」
「どうした。お前としてはまだ納得しかねるか?」
「だって、元々は水神に祀ってあったものなわけだし、ちゃんと警察に届けたほうが……とか思ったりもするわけで……」
「そうだな。道理としてはそうかもしれん」
撫子の確認に対し、東真もその正当性を認める。
しかし、
その上で、言う。
「でもな、考えてみたんだ。本来、人柱となる娘の命と引き換えになるはずだった刀が御神体のように祀られていたというのが、そもそも不自然だったんじゃないかと、な」
「……?」
「娘の代わりとなるのなら、川に沈めるのが道理のはずだ。なまじ神の如く祀ったりなどするから、刀は人の欲望の憑代となってしまう。結果が今回の事件。私はそんな気がして仕方ないのさ」
「だけど……もし五徳猫が無かったとして、それだけのことで茜は関井に対する復讐を止めてたかなあ……」
「それは何とも言えん。私たちには、五徳猫ありきの結果しか知る術は無いからな」
「だったら……」
「そうだとしても、こいつが茜の中にあった復讐心を増幅させる一助となったことは疑いようが無い。まあ……それを含めて、これは八つ当たりなのかもしれない。五徳猫……こんな剣がそもそも無ければ、茜はあそこまで追い込まれずに済んだのではと、剣に責任を転嫁したいというのが私の偽らざる本心だよ」
「……」
掛け値無しの本音。
それゆえによく分かる。
東真の気持ちが。
確かに今回の事件、
責めるべき対象が見つからない。
だからといって、必ずしも責めを追うものが必要なわけでもない。
それも分かっている。
その上で、
五徳猫を憎んでしまう。
事件は防げなかったかもしれない。
ただし、
ここまでの事件にはならずに済んだかもしれない。
それらはすべて単なる(もしかしたら)だ。
ではあるが、
けじめは必要だ。
今、五徳猫が無くなったところで、誰が救われるわけでもない。
忌まわしい過去が修正されるわけでもない。
それでも、
「昔の人はよく言ったものだ。『水に流す』か……」
そう、
言った瞬間、
東真は、
投げた。
五徳猫を。
しばらく、
五徳猫は放物線を描くようにして宙を舞うと、そのまま、
川の中へ、
沈んだ。
小さく広がる波紋。
少しすると、
川面に、うっすらと朱色に染まった水が浮き出す。
五徳猫から溶け出した血が、名残惜しそうに川を流れてゆく。
「残念ながら、人の不幸は水なんかでは流せない。だが……」
ひと息、切って東真は、
「物事の区切りを生み、終わりから新たに始めるきっかけぐらいは……水が運んできてくれたとしても、ばちは当たらんだろう……」
言って、川に背を向けた。
振り返らずに。
それからしばらく。
川面を見つめる仲間たちの中で、
紅葉は、
泣いていた。
川風に髪をなぶられながら。
時に吹き上げられる前髪の間から見える目に涙を溜め、
静かに、泣いていた。
零れ落ちる涙が川面に落ちても、その波紋は小さすぎて見ることはできない。
それと同じ。
紅葉の心は、
紅葉にしか知り得ないだろう。
だから、
誰も何も言わない。
声もかけない。
ひとり、純花だけが優しく彼女の肩に手を添えるのみ。
だが、
思いは同じ。
皆、紅葉を思っていた。
ゆえに目を向けない。
東真は、
流せぬ彼女の業を流すため。
無情な天を睨まぬため。
寒気に澄んだ空。
黄昏の空。
そんな、
藍の空を、茜雲が流れてゆく。




