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エピローグ(2)


事件の事後処理はなかなかに大変だったらしい。


事情を知っていた英樹は警察はもとより、各方面へ奔走し、出来る限り穏便な解決を図った。


「まあ、説明したらどこも分かってくれたよ。五年前の事情を考えれば士倉茜の行動も、ある意味での仇討だ。ひどくいびつではあるし、無関係なのに被害を受けた人たちも多い。そんな人たちにも納得してもらうために誠心誠意、話はした。結果としては、私なりに満足してる」


一件が落ち着いた頃、英樹は東真たちにそう話した。


士倉茜への処分は、その犯した罪から考えると極めて軽く済んだ。


保護観察処分。


ただし、


「条件として、私が身元引受人になるということになったけどね」

英樹はそう付け加えて笑った。


お人好しと考えるか、

少なからぬ関井との因縁を受け入れようとしていると考えるか、

人によって見方は変わるだろうが、結果は変わらない。


そうして、

しばらくの時が流れ。


色宮道場に人が訪れる。


「ごめんください」

玄関先で一声、

元気のよい声が響く。


そのほぼ同時。

客人を迎えようと、廊下をするすると人影が進む。


「おう、久しぶりやな東真に撫子」

楓である。


「あれから、病院で見舞いに行ったきりか。無沙汰してすまんな」

「病院では顔がほとんどガーゼで隠れてたから、顔を見るのは確かに久し振りだわね」

東真と撫子が続けて話しかけた。


「ま、傷が傷やったからしゃあないわ。でも、あれはメシ食うにも邪魔くそうて邪魔くそうて大変やったなぁ」

「しかし、とりあえずはもう大丈夫なんだろう?」

「ああ、左手が十二針。顔は十五針。雑巾みたいに、ようさん縫われたけどな」

「十五針……なるほど、傷跡からしてもえらく派手にやられたのは分かる。よく無事で済んだものだ」

「まあな。どや、箔がついたやろ?」


言って、笑いながら楓は右目の縫い傷を撫でてみせた。


本来なら、とても笑えるような傷ではない。

すでに失明しているとはいえ、茜の一撃は軽く楓の右眼球にまで達し、前頭骨と上顎骨の一部をも切り裂いていた。


あともう少し深ければ、致命傷にもなりかねないほどの傷だったのである。


左手首の傷も後遺症こそ出なかったものの、太い動脈を切られていたらしく、危うく失血死となっていたところだったという。


「で、今日はあれか。うちの様子を見に来たなんてことはありえへんやろし、やっぱ英樹さんかい?」

「いや、お前の様子も気になったのは確かだ。ただまあ……本来の目的と言われたら、やはり英樹さんへの用事なんだが、な……」

「気にせんかて、ええっちゅうねん。ついででも見に来てくれたんはうれしいて思とるよ」

「そう言われると、なんとも言葉が無い……」

「ったく、相変わらず堅苦しいんは治らへんな、あんたは」


呆れつつも、笑って言う楓の様子に、東真も少しく安堵した。


紅葉の話によれば、士倉茜との戦いは肉体的にだけでなく、精神的にも厳しいものであったと聞かされていただけに、その辺りの心配もあったのである。


しかし、そうした心配はひとまず無用のようだ。

それだけでもいいニュースだと言える。


「さて、また玄関先で長話にならんうちに早よ上がりぃや」

そう楓が言うと、


「では、お邪魔いたします」

「お邪魔しまーす」

東真と撫子、揃って玄関を上がった。


廊下を歩いている間、特に会話は無い。

楓の傷もそうだが、他の事情もすべて、聞くよりも見るほうが早いものが多いと感じていた。


だから進んで口を開かない。

百聞は一見に如かず。

事実は目で確認するのがもっとも正確だ。


と、

しばらく廊下を歩くとたどり着く。


「こっちの客間で英樹さんなら待っとるで。詳しいことは直接に聞きぃな」

「えっ、英樹さん、わざわざ私たちを待ってたのか?」

「そうや。そろそろ来る頃やろう言うて、ほんま勘のええお人やわ」

笑って言い、楓はドアから身を引いた。


「後は中でゆっくり話すとええ。うちはちょっと野暮用があるさかい、ここまでや」

「あ……そうか。すまんな、いろいろと」

東真の言葉に、背中を向けながら手を振って楓が去る。


少し、楓の野暮用とやらが気になったが、それはいつでも聞けることだと思い直し、ドアへと向かうと、ノックを二度。


「どうぞ、開いてるよ」

英樹の声が返ってくる。


「失礼いたします」

「失礼しまーす」

言いながら、東真と撫子は客間へ入った。


言われた通り、

部屋の中央に置かれたテーブルの近くで、英樹は立って待っていた。


「ふたりとも、病院で顔を合わせて以来だね。調子はどうだい?」

変わることの無い、優しい微笑みを湛えて英樹が聞く。


「傷口が開いたりはしましたが、他は特に問題無しです。治りは少々遅くなりましたが、その価値はあったと自分では思っています」

「……って、ひとりで満足してる友だちに、お願いだからあんたが来る必要は無かっただろうってことを言って聞かせてやってもらえませんかねえ?」

突っ込むように発せられた撫子の言葉に、むっとした顔をする東真を見て、英樹は苦笑した。


実際、あの場に東真まで参じる必要は無かったのは確かだ。

まず戦力としてほとんど役に立っていない。


結局、現場での形勢を完全にしたのは葵と草樹の加勢である。

足手まといは言い過ぎとしても、無駄に傷を悪化させるために来たとしか思えない。


とはいえ、

東真の性格を考えれば、これは当初から無理からぬことだっただろう。


まことに面倒な義理堅さと言える。


「まあ、それはいいとして。ふたりとも、今日は別に顔見せが用事ではないんだろう?」

「……はい。その後、士倉……茜は、どうしているのか、と……」

「ふむ」

「照山からも様子を見てきてくれるように頼まれているんです。あいつは、特に気掛かりだと思いますので……」

「なるほど」

東真からの質問に簡潔な返事を発しつつ、英樹はよくよく納得した顔でうなずく。


「気になっているだろうことは私も察していたよ。だから、説明するより分かりやすいようにして待っていた。長々と説明するより、見たほうが早いことは多いからね」

「……待ってた……?」

「ああ。とりあえず、窓の外を見てくれ」

言って、英樹は客間の窓にかかったカーテンを開けた。


見えるのは、

色宮道場の中庭。


さほど広い造りではないが、季節を感じながらくつろぐには良い場所である。


柿の樹が一本。

隅に小さな池。

飛び石は無く、平らに固められた土の地面があるだけ。


そこに、


「あっ……!」

見て、東真は思わず声を上げた。


車椅子に乗った茜を押し、走らせている草樹の姿があったからだ。


ゆっくりと、時たま車椅子をウィリーさせて走らせたりし、ふざけている。


ふたりとも笑顔で。


草樹は笑っている。


茜も、

笑っている。


左手の三角帯がまだ痛々しいが、そんなことより、

笑っていることに驚いた。


以前に見た、狂気と殺意に満ちた歪んだ笑みなどでは決してない。

明るく、楽しげな笑顔を浮かべている。


「もう車椅子は使わなくても大丈夫なんだが、どうも気に入ってしまったらしくて、ああして草樹が押してやると、本当にうれしそうな顔をするんだ。おかげで草樹は師範の仕事が滞ってしまってね。代わりに、今は大場さんに師範代を務めてもらってる始末だよ」

「あー、それが楓の言ってた野暮用ってやつですか。でも、楓に師範代なんかが務まるとは、あんまり思えませんけどねえ」

「いや、それがなかなかのものさ。門人たちの間でも、(草樹師範よりよほど怖い)なんて、怖がられているくらいだよ。見た目に惑わされず、純粋に相手を見る目を養う意味でも、彼女は適任だったと思うね」

「そりゃまた……じゃあ、草樹はもうお役御免ってことですか?」

「それは無いよ。うちも指導する人手が足りなくて困ってるところだからね。ただ、茜ちゃんが草樹を気に入ってしまったもので、私としても参ってるんだ」

「……あの娘が、草樹を……?」


あからさまな疑問を顔に浮かべた撫子に、英樹も気づいて説明を加えた。


「知っての通り、私はいろいろとやることが多くて走り回っていたから、病院へ見舞いに行くにも時間が作れなくてね。で、草樹を代わりによこしていたら、すっかり茜ちゃんは草樹に心を許してくれたようだ。毒気が抜ければ、本当に良い子さ。ちょっと子供っぽいところのあるのが、少しばかり厄介なんだが……」


言いつつ、窓の外を見る英樹の目は優しかった。

いつもとは別に、特にそう見える。


「草樹も純花も、『新しく妹が出来たみたいでうれしい』と言ってくれてるし、後はあの子の心のケアだけだ。それもそれほど心配はいらないかもしれないがね。あの子は……剣にさえ、触れなければ幸せに暮らせるだろう。剣術道場の主がこんなこと言うのもおかしいのだけど、人によっては、剣を持たないことが幸せにつながる場合もあるってことなんだろうね……」


そう言い、

少し、英樹は遠い目をした。


改めて得た価値観からだろうか。


剣以外の道。

人によって違う幸せの形。


ただ決して、

容易に茜が幸せになれようとは思わない。


誰しも、幸せになるのは簡単なことではない。


それでも、

自分はもちろん、他人の幸せをも願わずにはいられない。


どうか、

うっすらと窓越しに聞こえる茜の笑い声が、これからも響くことを祈る。


不幸になるのは、悪人だけで十分だ。


東真は強く、心の中でそう思った。


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