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執着の剣(6)


英樹の説得により、紅葉がようやく剣と正面から向き合う覚悟をしたその時、


同じ時刻の、同じ色宮道場。

別の稽古場でひとり、いつまでも剣を振り続けている少女がいた。


撫子。


普段は陰に隠れ、決して剣に対する努力を見せない。


それが今、人目もはばからずに剣を振っている。

残り三日という逼迫した状況が、彼女のポリシーをわずかに曲げさせたのである。


隠れる時間すら惜しい。

人目につかぬ場所を選ぶ手間すら惜しい。


そうした焦りだけが理由ではないだろうが、撫子の必死さはもはや異常だった。


居合抜刀。

そして、


その剣を素早く返し、さらにひと振りして鞘に収める。


この行為を何度、繰り返しているだろう。


数えるのもしんどい。

考えるのもしんどい。


出来ればもう止めたい。


そんなことを、すでに東真の見舞いへ病院に行き、家には帰らず、純花と一緒になって色宮の道場に来てから幾度と無く思っている。


なのに、

手を休めない。


また姿勢を正し、

居合抜刀。


そこから、

さらに切り返して剣を振り、鞘に収める。


自分の心臓が、今にも爆発しそうな音が耳元で聞こえる。

血は、沸騰したように熱い。


腕は、焼け付いたような熱さとともに、鉛をくくりつけられたような重さとなり、感覚も無くなってきている。


息のしすぎで喉が痛い。

肺も痛い。

横っ腹が差し込むように痛い。


ゼェゼェと息を切らす口の端を通り、顎まで達した汗が、ボタボタと床へと滴り落ち、小さな水溜まりが出来始めている。


それでも、

撫子は剣を振るう。


「も……無理……」

言って、もう一度。


「も……限界……」

言って、もう一度。


「マジ……絶対……無理……」

言って、もう一度。


傍目に見ても、すでに腕の筋肉が痙攣を始めているのが、はっきり分かる。


「もう止めてください佐々さん、オーバーワークしたって体が壊れるだけですよ!」

「うっさいわよ純花、黙っててちょうだい!」


側で練習を見ていた純花が、さすがに見かねて制止するのを、撫子は、しゃがれてしまった声を振り絞って怒鳴りつけた。


声を出すのもしんどいのに、無駄な体力を使わせるな。

そんなニュアンスを含めて。


「だけど……どう考えたってこんなの無茶ですよ。焦るお気持ちは理解出来ますけど、わずか三日で出来る事のほうが限られてるんです。肉体的にどうこうという方法を考えるより、他に戦略的な手段を考えたほうが現実的なのは、佐々さんだって分かってるはずでしょう?」

そこまで言われ、


撫子はようやく止まった。

今にも倒れそうな状態で。


焦げたように痛む喉で早く、浅い呼吸を繰り返しながら。

だが、少しして。


呼吸が気持ち、落ち着いてくると撫子は、床を見つめるような姿勢で震える腕を腹立たしげに床に打ち付けると、言う。


「……分かってるわよ。自分でも……こんな、無茶な練習したって……どうにもならないかもしれないってことぐらい……でも……」

ひと間、置き、


「あたしには……これしかないのよ。東真にも、バカのひとつ覚えだって言われてたけど……それでもあたしに、できる技なんて……(これ)しかないのよ……」

絞るように、そう言った。


燕返し(つばめがえし)。

一度切り放った剣を素早く返し、間を置かずに二度目を切りつける技の総称。


初太刀から二ノ太刀へと即座に移行するため、居合抜刀術では極めて重要とされている初太刀を損じた際の隙を埋める役目としては非常に重宝である。


が、結果として初太刀、二ノ太刀ともに損じた場合、その隙がさらに大きくなるという致命的な弱点を持つ。


そのため、基本的には初見の相手に対して意表をつく意味合いで使われることが多い。

汎用性こそ高いが、実用性は前述した欠点のため、決して高くない。


「……はっきり言うけどさ……あたし、この技って、見た目と覚えやすさだけで安易に選んだのよ……それを、東真も見抜いてたんだろうね……結局は、見た目が派手なだけで、実戦にはとても向かないって……さんざ言われて……おまけに、実際の稽古でも破られて……」


そう話すと、撫子は汗まみれの顔に苦笑を浮かべる。

自分の馬鹿さ加減に呆れたように。


それを見て、

純花は、やるせなくなる。


分かっていても、せずにいられない。

そんな撫子が不憫に思えて。


だから、

ここに至っては無駄だと分かりつつ、声をかけた。


「……残酷なものの言い方かもしれませんけど、撫子さん。人にはそれぞれに分というものがあると思うんです。才能とか、そういう言い方でも構いません。人には、生まれついた時点で個人差があります。だから、それは決して努力では埋まりません。もちろん適切な努力をして伸びる範囲を最大限に伸ばすことは大切だと思いますが、効果に疑問のあるような努力で体を壊しでもしたら、それはもう努力ではなく、単なる徒労になってしまいますよ」

「……人の分ね……なんとも、凡才に優しい言い訳だわ……」

「……佐々さん……」

「分かってもらえなくたって結構よ。こんな、欠陥だらけの技に固執するあたしのバカさ加減なんてさ。もっと有効な技を身に付ける努力をすればいいのにって、みんな思ってるのなんて知ってるわよ。だけど、あたしは……そんな器用に、動けないのよ……」


ふと、

噛み締める撫子の、歯の音が聞こえた気がした。


悔しさか。

苛立ちか。

情けなさか。


恐らくはそのすべてのせいだろう。


純花にまで、その一風変わった気迫が、形を変えて伝わってきた。


「……そうよね……純花の言う通り、努力は必ずしも報われるとは限らない。それは百も承知してる。でもね……」

再び、


痙攣する手で剣を握る。


振れるまで振る。

振れなくなるまで振る。


そのために。


「報われないかもしれないからって、努力しないでいいなんてこと、あるわけないでしょ!」


小さな叫びとともに、


撫子の剣が、

また鞘から一閃する。


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