執着の剣(3)
自分と紅葉を襲った少女……茜の素性と生い立ちを聞き、その異常性の理由を知った東真は、正直なところ、悩んでいた。
知らなければ、恨めた。
だが、
知った今、
もう恨めそうにもない。
それどころか、
気の毒にすら思う。
どうにか話して理解してもらえないものかと、真剣に願わずにはいられない。
しかし、
先日の様子からして、彼女に聞く耳があるとは思えない。
冷静でさえいてくれれば、紅葉の生い立ちを話すことで、同じ関井の人間だとはいえ、決して仇となる立場ではないと分かってもらえるはずだ。
が、
それは期待しても難しい。
彼女の中には関井に対する純粋な、あまりに純粋すぎる憎悪しかない。
話し合いなどまず不可能。
英樹の言う通りだ。
現実は残酷すぎる。
戦う必要の無い者同士が、何故に戦わなければいけないのか。
「……そう言えば」
長い沈黙に耐えかねたのか、それとも本当に思いついたのか。
苦悩する東真に向かい、再び英樹が話し出した。
「照山さんに聞いた話と、君のその傷。総合するに、ひとつ思い当たるものがあるんだ」
「思い当たるもの……?」
「君らが戦った士倉茜。奇妙な剣を持ってたそうだね」
言われて思いついた。
確かに。
あれはおかしな剣だった。
柄と思っていたところから刃が出たり、鞘に鎖を仕込んでいたり……。
「急に話が変わると思うかもしれないが紅さん。君は水神から盗まれた太刀様の話を知ってるかな?」
「あ、はい。あの松若伝説に由来の刀のことですよね」
「知っているなら話は早い。その松若伝説、詳しいところまで知ってるかい?」
「確か……その昔、央田川が氾濫した時、娘を人柱にして水難を静めようとしたところを、旅の僧侶が神社にひと振りの刀を奉納して、水難を治めたとか……」
「そう。学校などで語られる話はその辺りまでだ」
「え?」
「実はその話、松若伝説には前後の部分にもっと詳しい話が残されてるんだよ」
初耳だ。
小学生時代に聞かされて以来、それ以上の話は聞いていないから当然かもしれないが、この話に前後があるとは。
「話の始まりはある仇討に関する記述から知られる。昔、肥後熊本藩に仕えていた狩野清兵衛という武士が、ひとりの刀工に刀を作らせたが、それがあまりに奇怪な剣だったため、それを打ち捨てていってしまったそうだ。そしてそれに怒った刀工は、自分で作った剣を携えて武士を追い、これを切ってしまった。刀工はそのまま逐電。無論、狩野の家は仇討のために追手を差し向けた。手勢は十人を超えたという」
「それで、刀工は討ちとられた?」
「普通はそう思うだろうな。だが、伝わる話は違う」
「?」
「確かに、刀工は刀を作れても、それを扱うことに関しては素人だ。それも、十人からの追手は各々に手槍や弓などでも武装していた。とても刀工ひとりが勝てる勝負じゃない。が、話によれば刀工はその追手を全滅させたそうだ」
これにはさすがに東真も眉唾という顔をした。
言う通りのことだ。
刀工ひとりに武士の追手が十余名。
完全武装で襲ってきたものを返り討ちなど、とても真実とは思えない。
「その顔を見るに、信用していないね。それはよく分かる。私だって信用していない。刀工がひとりで侍を十人以上相手にして勝つなんて話。だが、問題はそこじゃないんだ。この話には続きがある」
「続き……ですか?」
「追手の武士を十人以上も倒したという部分は置いておいて、とにかく刀工は逃亡を続けた。その途中、身分を偽るために剃髪し、坊主になりすました。どうだい。ここまで聞いて、何かピンと来ないかい?」
「あ……!」
「そう、ここからが真の松若伝説の始まりだ」
見ると、英樹は少しばかり顔を上気させていた。
意外なことだが、英樹はこうした話が思いのほか好きなようだ。
「逃亡を続けていた刀工は、ある時ついにこの辺りにまで逃げてきた。昔の松若村まで。が、そこでちょっとした不運だ。いつもは穏やかな央田川が氾濫。村も大きな被害を受け、そこで人柱の話が持ち上がる。手ごろな家から犠牲となる娘が選ばれ、央田川に沈められる寸前だ。その時、刀工は思うところがあったんだろう。水難で正気を失っている村人らを説得し、自分の刀を神社に奉納した。川の氾濫は自然現象だからね。連続することもあれば、一度で治まることもある。偶然が味方し、刀工は村人から水難を封じたとされて尊敬を受け、以後は松若村で幸せな生涯を過ごしたそうな」
ふむ、
昔話としては深みが増して、元々のものよりは確かにいい感じかもしれない。
ではあるが、
それが、何だというのだろうか。
どこが、何に繋がるのか。
「ここまでは、央田川古事という古書に記されていた内容から、私が憶測した内容だよ。で、今度は松若村まで刀工を追ってきた狩野家の人間が書き残した日記の内容からの推測に切り替わる」
「狩野……ああ、刀工に殺された武士の家の人間が、何か書き残してるんですか」
「うん。行方を捜していた狩野家の人間は最終的に松若村までたどり着いたようだ。それで、仇を討とうとしたんだが、その時にはすでに刀工は病で亡くなっていた」
「……はあ、結局は無駄足だったわけですね……」
「まあ、彼らにとってはね。でも、書き残してくれたことから話が繋がってくるんだ。刀工を探して松若村で彼の話を聞いて回った武士の記述によると、刀工は刀を奉納後、助かった娘と結ばれて、一男一女をもうけていたらしい。だから刀工の血筋自体は残っていたわけだ。無論のこと、仇の子供らは仇討の対象とされないから、この子たちに被害は無かった。おかげで、刀工が作り、奉納した刀の詳細が現代まで伝わることになったのさ」
「刀の……詳細?」
「狩野清兵衛が腹を立て、打ち捨てたという刀の正体だ。どうして、清兵衛は自分で作らせた剣に腹を立てたのか。そこの謎がここでようやく分かる」
なんだか、勿体ぶった様子で話をする英樹に、東真もどう反応したものだかと迷っていると、英樹は一拍置いて一言、
「……妖刀、五徳猫……」
そう言った。
どこかで、聞き覚えがある。
確か……、
そう、
斬人狩り……士倉茜が、自分を刺した時にそんな名を口にしていた。
あれはやはり、剣の名だったのか……?
「妖刀伝説は昔から枚挙に暇が無い。有名なところでは村正などが挙げられるが、他にも妖刀という伝えではないが、人智を超えた力を持つとされる剣は、立花道雪が所持していたという千鳥……後の雷切や、山姥切。天下五剣も名刀だというだけでなく、それぞれに神秘的な話がついてくる」
ここに至り、話の飛びように東真もついに忍耐が切れた。
なんでこんな時に、有りもしない妖刀などの話をしなければいけないのか。
子供の頃ならともかく、この歳でそんなものを信じているのはいくらなんでも滑稽だ。
「英樹さん……申し訳ありませんが、私は妖刀なんてものは信じていません。そういう、迷信めいた話は……」
「誤解しないでくれ。私だってそんなものは信じていない」
「……は……?」
「私が言いたいのは、妖刀伝説が何故にこうも人を惹きつけるのかということだ。人は安易に力を手に入れたがる。努力も無しに。誰だって苦労はしたくない。楽をしたい。だが力は手に入れたい。そういった手前勝手な妄想が、人々に妖刀というものが、あたかもあるのだと想像させているんじゃないか。そう思うんだよ」
「……なるほど」
「そこで、話を戻そう。神社に奉納された刀工の剣、銘を五徳猫という。かつては刀工がいた地区で妖刀として語られていたようだ。理由は察しがつくと思うが、十人以上の追手から逃げ延びた事実を、人々が自分に都合よく脚色した結果だろう。特に刀工のいた地区は他の刀鍛冶も多かったはず。すると、妖刀伝説は刀の価値を高めるマーケティングの一種としても使われていた可能性もあるわけさ」
「今で言う、霊感商法に近いものですね」
「だね。さて、話が大分逸れてしまったが、まずはこれで水神に祀られていた太刀様の正体が知れたろう」
「……太刀様は、刀工が奉納した刀で、銘を五徳猫。そこまでは分かりました」
「そして事実をさらに付け加える。刀工は今から四百年以上前の人物だ。当然、明治の太政官布告の前だから、姓は無い。が、昔の人は便宜上、同名の者との混同を避けるため、出身地区の名前を姓の代わりとすることも多かった。でだ。はて、件の刀工はどんな姓を名乗っていたと思う?」
「……さあ……?」
「刀工の生まれた村は士倉村。と言えば分かるだろう?」
「……!」
「松若村で一男一女をもうけた刀工……士倉某は、子供たちに自分の刀……五徳猫についての話をちゃんと伝えていたんだろうね。だからその子孫は士倉の名で剣術の流派を起こし、道場を構えた。いつの日か、自分たちの先祖が作った刀……五徳猫を使いこなすため。私はそんな気がしてならないんだ」
「使いこなすため……?」
「これも想像ではあるが、恐らく間違い無いと見ている。照山さんと紅さんが見た少女の剣。明らかに普通の刀ではない。ある種の仕込み刀のようなものだと考えていい。それなら武士が腹を立てた理由も分かるし、もしかすると刀工が追手を撃退した理由も分かるかもしれない。特殊な作りの多目的刀。それが五徳猫の正体。士倉茜は知っていたんだ。五徳猫の扱い方を。それゆえに水神から盗み出した。誰よりもうまく扱え、最大の威力と効果を発揮できると確信していたから。そういう意味では、妖刀という表現もあながち嘘とも言えない。どんな仕掛けがされているかも分からない刀。その内容如何によっては、真に妖刀のような力を出すことはあり得るからね」
五徳猫。
妖刀。
仕込み刀。
どちらにせよ、どんな呼び名かは関係無い。
重要なのは、どんな作りの刀なのか。
一体、自分たちが見た以外にどんな仕掛けがあるのか。
その対策はどうすればいいのか。
どうやら、東真たちが悩むべき要素は精神的な事柄だけに止まりそうにはない。




