プロローグ(2)
西暦2127年。
科学技術の発展は目覚ましく、人々の暮らしは豊かになり、利便性も大きく向上したが、それとは反比例して社会の根幹を揺るがす問題も大きく進行した。
人心の荒廃。
根本的道徳観念の欠如は社会風紀を大いに乱し、特に先進国においては利己主義世代とも呼ばれる人間たちによって社会秩序は崩壊寸前まで追い込まれていた。
そこで、多くの国々はそれぞれの国に伝わる道徳観念の復古に注力を始める。
始めこそ、行き過ぎた懐古主義とまで揶揄されたその政策も、根気強い啓蒙の成果は徐々に広がりを見せ、やがて見事に公序良俗の復活を成し得るに至る。
そして日本。
復古主義の名のもとに、改めて復活した過去の武士道が息づくそんな世界で、学校教育もまた大きな変化が起きた。
始めこそ道徳授業の一環として、さらには道徳教育の必須項目とされた武士道。
しかし、それは後に大きくその地位を向上させ、最終的にはそれらを主体とした教育体制がとられてゆく。
剣に生きる道を通し、人の道を学ぶことを目的とした学校。
士道教育等目的刀剣取扱認可学校。
俗に士道学校と呼ばれる学校形態は全国に分布し、それに伴って社会風俗も極めて独特なものに変わっていった。
明治の帯刀禁止令発布からすでに二世紀以上。
今では腰にこそ帯びていないものの、男女にかかわらず学生たちが刃引きした(刃を潰すことで切ることを出来なくした)刀剣を持ち歩く姿がまるで当然のように見られる。
武士道の復活した日本がそこにあった。
そして今ひとつ、復活した制度がある。
決闘制度。
定められた規定によって行われ、あらゆる諍いの解決策として機能する独特の制度。
かくして、
明治時代に制定された決闘罪の廃止に伴い、広く一般に普及した決闘の文化華やかなりし時。
全国に分布する士道学校のひとつ、松若刀剣学園に通う、学生たちの一団の中、この物語の主人公たちが今日も歩を進めている。
「だーからさぁ。平和なわが町でちょっとした事件なんだから、あんたももうちょっとこう、『物騒ねー』とか、『怖いわねー』とか、それなりの反応しなさいよベニアズマ」
相槌を求めてか、話しかけた相手の肩を親しげに叩き、セーラー服の少女が言う。
肩よりも少し上辺りの短い、脱色でもしたのだろう琥珀色の髪を揺らし、(事件)などと物騒なことを言っている割にはやたらと快活な様子だし、イベントに浮かれてわくわくしているとすら見えるその態度は、上機嫌そのものである。
「ササキ……お前、いい加減でひとのことをイモの品種呼ばわりするのは止めろと再三再四、言っているだろうが。大体、お前の欲してるリアクションはどれもそこらの耳聡いご婦人連中みたいな反応じゃないか。何で私がそんな軟弱な言動しなきゃならん」
琥珀髪の少女にベニアズマと呼ばれた同じくセーラー服の少女。
正確には名を紅東真という。
紅みがかった背中ほどの黒髪を白の結い紐で結わえ、身長はササキと呼んだ琥珀髪の少女よりも頭半分ほど低い。
後ろを振り返りつつ、すごい睨みを飛ばしてはいるが、どうにも愛玩犬のような可愛らしい顔でそんな顔をしても迫力に欠ける。
セーラー服には似合っても、威嚇には向かない顔立ち。
それでも、当人としては精いっぱいに目元、口元を引き締めている姿は、彼女の士道に対する真摯な情熱がうかがえる。
ただ、多分に生真面目さが空回りしている感は否めないが。
「それならあたしも言わせてもらうけどさ、あんたもあたしの名前、一向にちゃんと呼ばないじゃんか」
わざとらしくも不満そうな顔をしてササキと呼ばれた少女も言い返す。
彼女の名もまた、正確にはササキではない。
佐々撫子という、少しばかり珍しい名をしている。
簡単な話、互いに学生らしい、あだ名での呼び合いをしているにすぎない。
険悪なようでその実、ただのじゃれ合いである。
「ま、そんなことより話の続きよ続き。楽しい楽しい通学途中のおしゃべりターイムってね。『楽しまずんば是如何』とか、伊達正宗だって言ってるでしょ♪」
「まったく……自分に都合の良い知識だけは無駄にあるから始末が悪い……」
「なによう。その言い方だとまるで一般的な知識には乏しいけどー……とかって、続きそうな感じじゃないのさ」
「無駄な知識はあれども、知性に欠ける、だ。そういう意味で言ってるのに、どうして素直に意を酌まんかな、お前ときたら……」
「うー……いちいち食ってかかるわねあんた。そう可愛げが無いと男にモテないわよ」
「色恋沙汰など、こっちから願い下げだ。私は今、この道だけで十分に忙しいんだからな」
そう言い、東真は肩に背負った細長い収納ケースを指し示す。
士道学校に通う生徒の必需品。
誰もが自分専用の刀を持ち歩く。
極端な話、教科書を忘れても剣を忘れる人間はまずいない。
畢竟、東真の言いたいこととは、士道に邁進する自分に色恋は無用。ということである。
「ほーんと色気無いわね、あんたってば。ま、あたしもそう言っといて、今はこっちが本命なわけだけどさ♪」
おどけた風で言い返したかと思えば、急に自分の収納ケースを引き寄せ、撫子はうっとり顔で頬ずりして見せた。
まこと、表情豊かなところは彼女の特徴にして長所であろう。
「そんなことより、さっさと話を済ませろ。お前は話が脱線しすぎだ」
「あ、そうだった。じゃあお話を戻して、水神の盗難騒ぎのことよ。話くらいは聞いてるでしょ?」
「太刀様が盗まれたって話だろ?」
「そうそう、央田川水神に祀ってあったあの太刀様よ」
「小学生時代に曰く因縁なら少し聞いてる。昔、穏やかだった央田川が氾濫した時、旅の僧侶がひと振りの太刀を近くの神社に奉納して水難を沈めたって伝説だろう」
「うん。それであそこは水神を祀ってるはずなのに、普段は太刀様って呼ばれることのが多いのよね」
東真と話しているにも関わらず、まるで独りごちるように葉の落ち始めた桜の木を眺めて撫子が声を空へと飛ばす。
松若校に通う学生たちの多くが登下校の際、よく使われるのがここ、央田川に沿った堤防横に走る桜の並木道である。
元々、央田川は上流にある穏川の支流に当たるのだが、特にこの地域では河川を用いた交易が盛んであったことから、近くの央田村の名を取り、央田川と名付けられた。
対してその隣にあった松若村は、現在では土地の名としては残っていない。
わずかに、学校や商店街などの名としていくつか残されているのみで、あとはまさしく歴史の中に埋没している。
「確か……松若伝説とやらだったか、その話。最初は近在の松若村から人柱を捧げるとかって話だったところに、折良く旅の僧侶が同じ松若村に滞在していて、生贄になりかけていた村の娘が助かったとか」
「へえ、さすがに地元のことには詳しいねぇ東真は。あたしなんてそんなのいちいち覚えちゃいないわ」
「お前も、松若校に通う人間なら少しは地元のことぐらい勉強しておけ。ただでさえ軽い頭がどんどん軽くなってくぞ」
「へいへい。まーた嫌な言い方してくれちゃって、このベニア……」
言い止して、撫子は前を向いて歩きつつ、拳を後ろへ突き出している東真の様子を見、途中で口を閉じた。
すると、
「あ、紅さんに佐々さん。おはようございます」
背後からたりに呼びかける声がする。
ふたりとも声から相手の正体をすぐに察したらしく、素早く振り返ると、挨拶を返した。
「おはよう、色宮。それに照山」
「おはよ。今日もふたりお揃いですか。ほんと仲良いねぇ、あんたらってば」
挨拶を返され、東真と撫子の背後に現れた少女が微笑みながら頭を下げる。
腰辺りまではあるだろう艶やかな黒髪が朝日を反射して眩しい。
これでもし、すらっと仕立ての良い着物のひとつでも着ていたら、まさしく(撫子)という感である。
なまじ同じセーラー服姿であるだけに、文字通り楚々とした彼女とでは見比べるのは酷というものだろうが、撫子とは名前の交換を真剣に考えたほうがよいレベルだ。
そんな彼女の名は色宮純花。
まあ、これでも十分すぎるほどに立派なわけだが。
そんな純和風美少女の後ろに控えるもうひとつの影。
ともするとその存在に気付かない危険性すらある地味な少女がひとり。
純花の影の如く、その後ろへ隠れるようにして頭を下げている。
肩ほどの、こちらは気の毒なほど艶の無い緑がかった藍色の黒髪を、顔全体に垂らした異様な容姿。
目鼻の位置すら、正確には特定できない。
唯一、はっきりしている口元に、なんともたどたどしい笑みを浮かべているのが見えるだけである。
「まあた、紅葉ったらいつまで純花の背中に引っ付いてんのよ。内気なのは男子に受けがいいなんて話も聞くけど、あんたの場合は度を越し過ぎよ」
冗談めかしではあるが、半分以上は本音といった風で撫子が溜め息交じりに言う。
それに対し、自分の前髪でセルフ目隠し状態の少女は、ただうつむいてうなずくのみ。
彼女はすでに呼ばれた通り、照山紅葉という変わった名である。
お馴染み、童謡の「紅葉」を想起させる名のため、何かと撫子には弄られているが、実際には元からこの名であったわけではない。
それだけに、このことでからかわれるのは彼女としては大いに不本意だろう。
にしても、
撫子に限らずとも紅葉を弄りたくなる衝動は想像に難くない。
あまりに引っ込み思案な彼女の性質を見かね、いろいろと口出ししたくなる心理は万人に共通するところのようにも思える。
しかし、
そんな彼女の公然の秘密を知れば、驚かぬ者は少ないだろう。
「ったく、これが剣を持ったらあのおっかない斬人になる人間と同一人物だっていうんだから、世の中は不思議なことばっかだわ」
「あ、ちょ……ちょっと佐々さん。あまり人のいるところでその話は……」
「なによう。今さら隠そうったって、あんたの正体をまだ知らない人間なんて、もうこの学区にはいないでしょうよ」
焦り気味に撫子の言葉を遮ろうとした紅葉だったが、これは撫子の言うことが一理ある。
斬人。
決闘制度の制定によって生まれたこの役職は、各士道学校でおこなわれる決闘の際、暴力的なトラブルが起きた場合の裁定者として機能するため生まれた。
その業務の特殊性と危険性から、一個人で複数人の手練者を相手にしても問題無く撃退できるほどの実力を持つ者にしか資格は与えられず、そこまでの実力を有する者自体が絶対的に不足しているため、どこの士道学校でも斬人の欠員が慢性化している。
当初、松若校の斬人であることを隠し、身元を伏せていた紅葉だったのだが、数か月前の事件で正体が明るみになってしまい、今では同じ学区内で彼女が斬人であることを知らない人間はほとんどいない。
「とにかく、そのうじうじした態度を改善するためにも常に刀ぐらい持っときなさいよ。何で斬人のくせに普段から剣を持ってないかねぇ」
呆れた声を発しつつ、撫子は自分の肩に担いでいる剣の収納ケースを叩いてみせた。
先ほども言った通り、自分用の刀剣をケースで持ち歩くのは士道学校の生徒であるなら極めて当たり前の姿である。
それゆえ余計に異常なのだ。
純花と紅葉。
ふたりは揃いも揃い、士道学校の生徒でありながら普段、ほとんど剣を持たない。
理由は、似ているが微妙に違う。
純花は剣術嫌い。
紅葉は刀恐怖症。
「もうその辺にしておけササキ。人は人だ。自分のやり方を無理に押し付けるのは傲慢だぞ」
「だあってぇ……」
「まあ……言いたくなる気持ちだけは察するが、そこを押さえるのが正道。物事の良し悪しを一方的に決めつけるのはそれこそよろしくない」
「へーい……」
ふてくされたように、撫子は諭す東真の言葉へ返事をする。
だが頭ではちゃんと分かっている。
気分的に納得した態度をとれないだけで、理解はしているということを、東真は撫子との長い付き合いから承知していた。
それだけに、東真もそれ以上は強いて撫子へ注意をしない。
勝手知ったる知己の心中である。
「そう言えば、おふたりともついさっきまで何かお話しされてませんでしたか?」
話の切れ目を見極めてか、急に純花が東真と撫子へ問うてきた。
「あ、そうそう。ほら、けっこうこの辺りじゃ噂になってるでしょ?」
「噂……というと、もしかして……」
「うんうん」
「例の、(斬人狩り)のお話ですか?」
「……うん?」
思っていた話題とは違うものが飛んできて、撫子は一瞬、目を丸くした。
「斬人……狩り?」
「されていたのって、そのお話じゃなかったんですか?」
「ううん。そんなの今、始めて聞いたわ」
「あら……」
撫子も純花も、互い違う形で意表を突かれ、しばし沈黙する。
話を聞いていた東真と紅葉はさほどに興味無し。
噂話や流行の類に食指が動かないという点では、東真と紅葉の心理は近しい構造をしているのかもしれない。
だが、
他の共通点もある。
四人の共通点。
四人はまだ知らない。
太刀様の盗難。
斬人狩り。
この事件が、思わぬところで繋がり、そして、
遠くない先、
自分たちの身にその火の粉が降りかかることになろうとは。