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執着の剣(2)


「以前にも話したと思うんだが、君らの友人であり斬人でもある照山さんの父、関井影正は、他の道場に対して異常なほどに敵愾心を抱く傾向が強かったんだ。そのもっとも顕著な例が、元をたどれば同門同士である我が色宮への対抗・敵対だ」

「うかがっています。確か、草樹さんから。何でも、稽古に真剣を用いるようになどと、無体な要求をしてきたとか」

「あったね。私自身もよく覚えてる。あの件が原因で、父は若くして隠居し、私が道場を継ぐことになったわけだからね」

「単に元が同門であったというだけで、とんだ災難でしたね……」

「いや。それがうちに限ったことで無い以上、そうとも言えない」

「?」


色宮道場に限ったことで無い?


そこは始めて聞いた。

ということは、どういうことだろう?


そんな疑問が東真の顔に浮かんだのを読み取ったのか、英樹は軽くうなずいて話を続けた。


「直接の矢面に立っていたのが私の家である色宮であったというだけで、実際には相当な数の道場が関井の敵対行為に悩まされていたんだよ」

「他の道場も……ですか」

「うん。結果として、看板を下ろさざるを得なくされた道場も多い。私の知る限りでも二十を下らない道場がね。すると必然、そうした道場の関係者から、関井は強い恨みを買っていたと見ておかしくない。ここまではいいかい?」

「……はい、分かります」

「ところが、知っての通り影正は、鬼も裸足で逃げ出すほどの怪物だ。道場破りの意趣返しに行っても、たちどころに返り討ちにあうのが関の山。そうして、道場を潰された人たちは皆、泣き寝入りするか、それとも玉砕を覚悟で関井に挑むか、そんな残酷な二者択一をさせられることになっていたわけなんだ」


なるほど。

いかにも影正らしい。


英樹とは人間的に真逆の存在。

というより、人間性自体を持っていたかどうかが疑わしい。


実の娘である紅葉すら、必要だからというだけで無理やりに剣の道を歩ませ、妾との間に男子が生まれた途端、不要と見るや紅葉と母親を捨てた人非人。


身内や同門に限らず、辺り構わず非道を通していたわけだ。

数多くの人間に恨みを抱かれて当然。

結果として娘である紅葉に、剣士としては廃人同様にされたことも因果応報だろう。


しかし……、

それが、どのように今回の斬人狩りに繋がるのか?


「この前のことだが、士道協会のほうから呼び出しがあって、草樹と一緒に出向いた時、警察の方々がいらっしゃっていてね。何事だろうと思ったら、どうやら今、頻発している斬人狩りの犯人、関井に恨みを持つ人間の仕業ではないかと考えられてたらしい。思えば、その推理は残念なことに当たっていたんだ」


あ……と、おぼろげだった斬人狩りの少女との会話が思い出される。


少女は東真に言った。

自分は斬人狩りではなく、関井狩りだと。


「その顔からすると、何か心当たりがあるようだね」

「え……はい。確か……斬人狩りは自分のことを、関井狩りだと、そう言っていました」

「関井狩り……か。文字通りなだけに、恐ろしいな」

「……?」

「草樹から聞いてるかもしれないが、私と草樹が呼ばれた理由は警察への情報提供。関井道場に恨みを持っていそうな人間を片端から聞き取りされた。その際、警察のほうでも目をつけている人物の情報も見せられたんだよ。双方の持ってる情報で、照合作業をしたわけさ」

「……それで、それらしき人物は特定出来たわけですね」

「そう。それがさっき、当たっていて欲しくなかった推理だよ」

「で、その人物って……?」


東真の問いに、英樹は少しだけ間を空けると、ふーっと長い息を吐き、何かを諦めたような顔をして答える。


「名前は士倉茜しくら あかね。もう五年ほど前、関井に潰された士倉道場の娘さんだ。今は十五歳になるだろう」


合致した。

斬人狩りの特徴と。


細かな容姿の情報は分からないが、少女であるという共通点はそうそう重ならないはず。


士倉茜。

それが斬人狩りの名。


東真は無意識に、頭の中でその名を反芻した。


「聞くところによれば、士倉道場の道場主だった士倉八郎しくら はちろう氏にはふたりの子供がいたらしい。ひとりは当時、地元の士道学校の三年であった息子の十也とおや。もうひとりは、その妹さんで当時、まだ十歳だった娘のあかね。母親は娘さんの出産時に亡くなったそうだ。典型的な父子家庭。それでも家族三人、小さな道場を営みながら仲良く暮らしていたようだよ」


そこまで言って、英樹は表情を曇らせた。


明らかに続きを話すことへ苦痛を感じている顔。

だが、彼は言葉を次ぐ。


「そんな小さな道場にまで……手をかける必要など無かったはずなのに、不思議だよ。人間というのはどうしてこうも業が深いのか……」

「……何が、あったんです?」

「名目上は決闘。実際は道場破り。うちに仕掛けてきたのと同じだよ」

「……」

「道場主の八郎氏は、残念だが影正に敵うほどの腕前ではなかった。それが悲劇の始まりさ。影正の奴……あいつは、力の無い人間には容赦が無い。弱い者いじめもいいところだ。結果、八郎氏は真剣での勝負で負けるに止まらず、右の手足に剣士としては致命的な傷を負わされたということだ」


英樹の声に、怒気が混じる。

人格者たる英樹ですら。


それほど、影正の非道は目に余るものだったということだろう。


「そこからは悲惨の一言だよ。八郎氏の敗北がきっかけで道場は看板を下ろした。他に指導のできるような人間がいなかったのが決め手になってしまった。そしてほどなく、八郎氏は決闘の際に受けた傷が原因でこの世を去った。知ってるとは思うが、決闘でもし命を落とすようなことがあったとしても、相手は罪に問われることはない。無論、影正も例外じゃない。それも決闘からは大分、経過してからの死だったからね。余計に責められるいわれが無かったんだ。法律上はそうなってしまう」


聞いている側すら、胸が悪くなってくる。


士道の浸透。

復古主義。


それらは人々に道徳観念を取り戻させるために推進されたもののはずなのに。


現実は、

一部の不埒者のせいで、泣く人々は後を絶たない。


「ここまででも十分だ。十分すぎる。人の抱える不幸としては、これだけでも行き過ぎだよ。けど、現実はもっと残酷だ。話はここで終わらない」

「え……?」

「君らも、士道学校に通っているからには理解出来ると思うが、これは仇討をおこなうための条件がすべて揃ってる。決闘で親族が殺された場合、その理由の如何によらず、身内は仇討の資格を得る。そう、それがどんなに絶望的なものであっても……」

「……まさか……」

「恐らくは紅さん、君の考えている通りだよ。さっき言ったね。死んだ八郎氏には子供さんがふたりいた。そのうち、娘の茜は女の子だった上、まだ十歳。となると結論は簡単。士道学校に通っていた三年生の息子、十也が仇討に出たのさ。あの関井道場に。たったのひとりでね」


無茶にもほどがある。


自分たちでさえ、斬人である紅葉を筆頭に五人がかり。

そこを男の身とはいえ、ただひとり。


勝てる要素を見つけるほうが困難だ。


「玉砕覚悟で関井道場へひとり乗り込む。その意気やよし……と、いいたいところだが、悪いがそれはあまりに無謀過ぎた。結果も最悪さ。知っての通り、あそこの連中は影正の指導で、刀の刃引きをしていない。十也は多数の門人に囲まれ、全身をなますのように切り刻まれた。挙句、命だけは取り留めたものの、剣士としては父の八郎氏と同様に再起不能。それどころか手足をまともに動かすことすらままならなくなったという話だ」

「……ひどい」

「そうだね。ひどい。私ももう、ここで話を終わらせたいほどだ。でもまだなんだよ」

「まだ……?」

「仇討は失敗。切り刻まれた体はもう思うようには動かない。さぞや無念……いや、軽々しく彼の心情を分かったようなことを言うのは失礼になる。何せ、彼の絶望は想像を絶していた。病院での長い入院生活もひと月を過ぎた頃だったらしい。彼……十也は動かぬ手足を引きずるようにして、歩行器を足場に……病室の窓から……身を投げたんだ……」

「……!」

「不幸中の幸い……というには酷だが、ひとつだけ彼の願いは叶ったよ。命を絶つという願いはね。即死だったらしい。頭部の損傷が特にひどく、警察も残された娘さんの茜には身元確認させるのをためらったそうだ」


絶句。


言葉など無い。


ここまで徹底的にひとつの家庭が崩壊するさまを聞かされては……。


感想などという生易しいものすら頭には浮かばない。


「……思うに、ひとり残された娘さんの無念もまた、想像を絶するものだったろうね。道場を失い、家族を失い、天涯孤独の身になって、それでも……いつか仇討を果たそうと心に決めていたんだろう」


重苦しい……、


鉛のように重苦しい空気の中、それでも英樹の話は続いた。


「残された娘さん……茜には、もう身内がひとりもいなかった。それで、十歳から施設で生活していたようだよ。養護施設の人の話によると、彼女は毎日ひとりで庭に立ち、棒振りをしていたそうだ」

「棒振り……というと……」

「剣術の基礎中の基礎にして、要となる練習法。自覚しておこなってたかは分からない。でも結果は君らが見た通りだよ。関井道場への怨讐だけを糧として五年間、我流で研鑽した彼女の剣だ」


怨讐の念。


それだけを糧に。


憎しみと恨みで濃度を増した五年の歳月は、常人には計り知れない何かを彼女に与えたのか。


今となっては、

それらもすべて想像の域を出ない。


知るのは彼女自身のみ。


かといって、

聞いても詮無い。


答えてくれるかも疑わしい。


憎悪の五年間。


聞かれて人に話すようなこととは到底、思えはしない。



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