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妖異の剣(7)


刺された後、東真が明確に認識できた事柄は少ない。


足が力を失い、膝を突いた際、腹部の出血が増したことと、またもや激痛が走ったことくらいだろうか。


あとは、刺されたにも関わらず出血は思っていたより少ないと感じた程度。

腹に力を入れられないと、体のどこにも力が入れられない。


膝を突いた姿勢のまま、首が下がる。

もはや、首すら座らなくなってしまったとは……。


どんどんと言うことを聞かなくなっていく自分の体がうらめしい。

何より無念なのは、紅葉を助けに来たというのに、この体たらく。

情けないにもほどがある。


斬人である紅葉が敵わなかった相手だったからというのは、ただの言い訳だ。


条件、状況、実力差。

それらは勝てなかった理由にはなるが、勝たなくていい理由にはならない。


自分は勝たなければいけなかった。

何が何でも。


それなのに……、

負けた。

完膚なきまでに。


ひざまずいた状態で、首をうなだれ、腹は刺されている。

傍から見たら、切腹して介錯を待っている状態にでも見えるだろう。


そう思った途端、

ケタケタと笑い声が聞こえた。


「ああっははっは、どうしたのお姉ちゃん。介錯でもして欲しいのぉ?」

どうやら、思った通りの姿に見えていたらしい。


「どうしようかなぁ。介錯、しようか。それとも、やめとこっか」

少女のそんな言葉と一緒に、首の後ろへペタペタと刀身を当てられているのが分かる。


本気か冗談かは分からない。

分かりたくもない。


ただ、

ここで切り殺されるとしたら、正直、無念だ。


士道不覚悟と言われるかもしれないが、この期に及んで頭に浮かぶのは、後悔ばかり。

やり残したことしか頭に浮かんでこない。


自分の安い覚悟のほどが知れて、慙愧に堪えない。

意識も薄れていることだし、もういっそ……。


そんな、投げ遣りな気持ちに胸中が支配され始めた、まさしくその時、


遠くに聞こえた。

はっきりと。


混濁した意識でも、聞き慣れた友人の声は、耳にしっかり響く。

撫子の声。


「東真ぁっ!」


ひどい叫び声だ。


まるで泣きそうな声。

それでも、

何か安心する。


これで助かったとか、そういう意味ではない。

親友の声が聞こえたことがうれしくて。

不思議と心が安らぐ。


そこまでで、

意識が埋没する。


そこに駆け寄る。

撫子が。


少し遅れ、レリアと純花も到着した。

現場を見た感想は、恐らく三人とも同じ。


その代わり……というわけではないが、感情面はまず確実に別だ。


どのような感情が湧きあがったか。

どのくらいの強さで生じたか。

それに関しては個人差による。


さておいて、

撫子の叫びに反応し、そちらへ向き直った少女は、やはり笑っていた。


ニヤニヤと、ことの重大さなどまったく感じさせずに。

それゆえにその表情は、三人に共通した感情を抱かせた。


怒り。


もちろん、繰り返すがこの感情もそれぞれに強弱はあるだろう。


さらに細かく言えば、

質も異なるだろう。


悲しみをともなう怒りなのか、

憎しみをともなう怒りなのか、


または、

発狂をともなうほどの怒りなのか。


そこについては、ひとりだけ早くに駆け付けたため、感情の質が早めに確定した人間がいる。


撫子だ。

彼女の場合はある種、典型的。


憎しみをともなう怒り。


東真と紅葉が倒れている場所まで足を運んだところで、彼女の行動はほとんど決められたもののようにおこなわれてゆく。


東真と紅葉の様子を目で見てから、そのままその視線を少女へと移す。

燃えつくような視線に変えて。


そして問う。


「あん……た、東真と紅葉に……何したのよ……!」

馬鹿げた質問だとは自覚していた。


聞くまでも無い。

細かいことは分からないが、この目の前にいる少女が、東真と紅葉を痛めつけた。


必要な事実はそれだけで十分だ。

だから自分で質問しておきながら、答えが返ってきたことで、さらに怒りは増した。


「何をって、まだほとんど何もしてないよぉ」

「これで……まだ、何もしてないですって……?」

「うん。そっちのお姉ちゃんはお腹を刺したけどそれだけ。関井の娘なんか、まだなんにも。切ってもいないし、突いてもいない。起きないから、ずっと蹴ってただけ」


一瞬、


視界が赤く染まったような錯覚を覚えた。


怒りで頭に血が上ったせいだろう。

持参した剣は、鞘口を握る手に力が入りすぎ、鞘口が割れてしまうような気すらした。


それほどに冷静さを欠いている自分を感じる。


ところが、

思っているよりも現実の人間というのは複雑な動きを強いられる。


ふと気づく。

知らぬ間に後ろからレリアが追い付いていたことに。


理性が軋んでいたはずの撫子だったが、レリアの様子はそんなものではなかった。


言葉すら無く、紅葉と東真のところへと駆け寄ったレリアは、紅葉についてはそのボロ雑巾のような姿を見て。


東真については、腹部に広がる血染みから、腹部を刺されたことを察し、

レリアは……、


一瞬で怒りが、


爆ぜた。


「あぁぁああああああっっ!」


自分の喉を潰してしまうような絶叫を発し、レリアは真っ直ぐに少女を睨みつけると、銃弾のような勢いで突進した。


完全に正気を失っている。

全身を包む狂気が目に見えるほど。


今なら確信して言える。

レリアは……相手を、突き殺す気だと。


鎧通よろいどおし

刃引きされ、切っ先を丸められた西洋剣……レイピアを用いながらも、容易く防断服を貫く、危険極まりない技。


決闘で使う場合にも、腕や足など、急所は外して使う思慮が普段のレリアにはある。


ただし、

ことこの状況では例外しか考えられない。


確実に相手の頭か心臓を貫く気なのが分かる。


人間とは不思議だ。

自分よりも格段に激怒した人間を見ると、何故か理性を取り戻す。


間違い無く殺し合いになると判断した撫子は、急いでレリアを追った。


止めるため。


確かに相手は憎い。

正直を言うなら、八つ裂きにしてやりたいほど。


しかしそれは例えだ。

実際にそうするのとは意味が違う。


あくまでも気持ち的にそうだというだけ。


対して、

レリアのそれは語弊無し。


真実の意思。

可能であるなら、本気で八つ裂きにするだろう。


慌てた。


そちらの場合ももちろん困る。

が、もうひとつの状況も困る。

しかも、その可能性のほうが高いように思える。


猛烈な勢いで迫るレリアに対し、件の少女はすでに剣を抜いて構えていた。


見たままの印象だけでいうなら、東真と紅葉のふたりをここまでズタズタにしていることから考え、悔しいがこの少女の実力は自分たちを束にして合わせたより上と判断するほかない。


それゆえにレリアを止めようとした。

この上、レリアまでどうにかされたらと、すがりついてでも止めようと思った。


だがすでに両者の距離は激突寸前。

もうさすがにダメかと、半ば諦めかけた。


その時、

まさしくその時、


撫子は息を呑むような場面を目にすることになる。


レリアと謎の少女。

双方が間合いへ入るまさに直前。


ふたりの前に立ち塞がった。


純花が。


気がつかない間に撫子とレリアに追いついていた純花は、いつものように剣も持たず、両手を広げて少女の前へ立っている。


向けられた白刃に、一切ひるむことなく。


その後ろ姿を見、レリアもギリギリで理性を取り戻したらしく、レイピアを持った手を震わせながらその場で停止した。


その間、

純花は見つめていた。

少女を。


このような状況でも、毅然とした態度を崩さず、怒りに曇りこそしていないが、厳しい視線を送り、微動だにしない。


そんな純花を奇妙に思ったのか、少女の反応にも少しばかり変化が起きる。


「……何やってるのお姉ちゃん。剣も持たないで、何のつもり?」

珍しいものでも見たような目をし、話しかけてくる。


「見れば分かるでしょう。止めているんです。これ以上の暴力は私が許しません」

「許しません……って、お姉ちゃん。丸腰でそんなこと言っても意味分かんないよ。何なの、切られたいの?」

そう言うと、少女は剣の切っ先を純花の喉元に突き付けた。


当ててこそいないが、あと一センチでも動かせば喉を切り裂ける距離。

恐怖感を感じないはずはない。


それなのに、

純花はなお態度を崩さず、


「切るというなら、切りなさい。ただし、私の大切な友人たちにはこれ以上、指一本たりとも触れさせません」

「……」

この言葉を受け、少女はしばし沈黙した。


動きも固まり、結果的にその場の人間は純花を筆頭に全員、彫像の如く静止する。


その状態がどの程度すぎたか。


突然、

少女は、ふーっと、気抜けしたような息を吐いたと思うや、


「……やーめたぁ」

気だるそうに言って、剣を下ろした。


「得物も持ってない女子供を切るなんて……人間のすることじゃあないもんねぇ……」

今までと違い、真顔でそんなことを言いつつ、何かポケットをまさぐって取り出す。


背後にいた撫子とレリアにはよく見えなかったが、純花はしっかりと見ていた。

どうやら、何か紙切れのようだ。


それを何も言わずに、広げられた純花の右手へ握らせると、少女は踵を返した。


「でもぉ……」

そう、言葉を次ぎながら。


「勝負はまだ終わってないからさぁ。三日間だけ、日延べしてあげる。今度はそっちから来てくれていいよぉ。場所はこの面白いお姉ちゃんに渡した紙に書いといたから。そんで、もしも来なかったり、警察を呼んだりしたら、次はこの学校の生徒、男だろうが女だろうが関係無く全員、ひとり残らず切り刻むから、気をつけてねぇ」

とてつもなく物騒なことを言い残し、少女は振り返りもせずに校門へと進んでゆく。


遠く、救急車のサイレンが聞こえる中、撫子、純花、レリアの三人は少女の背中を見送る。


撫子は、また思い直して戻ってこないことを祈って。

純花は、渡された紙を握りしめつつ、少女の真意が何なのかを考えながら。


一方。

レリアは、


自分自身の狂気と戦っていた。


今にも踏み出しそうな足を止めるため、

今にも突き出しそうな剣を止めるため、


三日後に開放するためという名目で、胸に充満する殺意と怒りを無理やりに縛り上げていた。


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