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妖異の剣(6)


嫌な予感しかしない。


それがこの時の東真の胸中だった。


廊下を走りながらも、その思いはどんどんと大きくなってゆく。


もしも。

万が一。


そういったことが起こりそうな予感。

良いほうのことなら歓迎すべきことだが、心が告げてくるのはその真逆。


最悪の出来事。

その懸念。


教室脇のロッカーから、剣と下履きを取り出して身に付けている時も、

一段飛ばしで階段を駆け下りている時も、

考えてしまうのはそればかりだった。


何かを神仏に願うのは主義ではないが、思わず祈りたくもなる。

(どうか、悪いほうの予測だけは外れてくれ……)と。


さらに、廊下の先へ下駄箱が見えてくると、おかしなことまで思い始める。


現場にたどり着きたくない。

そんなことさえ思ってしまう。


無論、現場にたどり着こうが着くまいが、起きている現実は変わらない。

それどころか、自分の到着が遅れることで、事態がなお悪化する危険すらある。


分かってはいるのだが、

こればかりは道理や理屈の外。

完全に感覚的な部分。


本能的に欲求してしまう現実逃避の思考。

しかし当たり前ではあるが、東真はそうした精神の錯乱を無理やりねじ伏せて進む。


廊下を抜け、ようやく下駄箱の列。

そこまで来て、東真は意識的に加速した。


ガラス戸の先に見えてしまう光景を見まいと。

もし見るなら、せめて校庭に出てからにしたいと。


これもまた、何の意味も無い行為ではある。

単なる気分の問題。

もしくは、心の準備がまだ出来ていないからという理由が当てはまったかもしれない。


ともかく、

東真はガラス戸までの数メートルを、約三歩程度で走り抜け、ほとんど体当たりに近い形で戸を押し開くと、手前の段差を飛び越え、土埃を立てて校庭に立った。


その時点になってようやく気付く。


いや、意識的に見ないようにしていたがために、そうなったのだが……。


手前の段差。

着地した地面。

そこ以外にも、あちこちの地面が血で染まっている。


一体、ここでどんな惨事が起きたのか。

己が目を疑いつつも、何があったのかという疑問に露の間、思考が支配された。


が、次の瞬間。


目と耳が、持ち主の呆けた思考を無視し、優先順位の高い出来事へとその感覚を振り分ける。


耳に入る、鈍く打ち付けるような音。

小さく、短い苦鳴。

それらに気付き、音のする方向へ首を回した時、目にした。


地面に倒れた紅葉の姿。


そして、

その、倒れた紅葉を乱暴に蹴りつけている少女の姿。


よく見れば、少女は右手に抜き身の剣。左手に何故か紅葉の剣を持っている。

そうして見ている間にも、少女は紅葉を蹴り続けている。


顔も足蹴にされたのか、紅葉は鼻と口の端から出血しているのが見えた。


「……なぁに倒れてるのぉ。まだでしょお。まだ始まったばっかりだよぉ。ほらぁ、ちゃんと立ちなよぉ」

蹴りつけている少女の声が聞こえてくる。


「……立ちなってばぁ……立って……立って……立て……立て、立て、立て、立てぇっ!」

無感情な声だったかと思うと、急に怒りを剥き出したような声を上げ、さらに蹴る。


紅葉はといえば、もはや抵抗する力も無いようで、両腕ともに力無く、だらりと地面へ垂れている。


ただ、

蹴られるたびに小さな呻きを上げ、咳き込む。


そんな、

想像していた中でもかなり悪いほうの光景を実際に見せつけられ、東真は普段ならば心の中で叫ぶに止めておくはずの声を、思わず張り上げた。


「くそったれがっ!」

校舎の窓まで震えるほどの大音声。


それが聞こえたためか、少女は一瞬、固まるようにして蹴りつけていた足を止めると、ゆらりと揺れるようにして上半身を振り、東真へ顔を向けた。


「……あれぇ、おかしいなぁ。もう斬人が出てきてるんだから、追加で誰かが来るはず無いと思ってたのになぁ」

「お前の思ってることなんぞ知ったことか、とにかくもう止めろ!」

「止めろ……って、お姉ちゃん。わたいに何を止めろっていうのぉ?」

「自分のやっていることも理解出来てないのかお前は……その今、やっているそれだ!」

「これって……これぇ?」

言うや、一度は止めていた足でまた少女は紅葉を蹴る。


それを見て、東真は自分の理性が吹き飛ぶように掻き消えてゆくような錯覚を覚えたが、そこをどうにか耐え忍び、


「だから止めろと言っただろうがっ!」

周囲の空気がびりびりと振動するような大喝を放つに止めた。


「もう、どう見ても勝負はついているだろう。これ以上、死人に鞭打つような真似をして何になる!」

あくまでも言葉で少女を制そうとする。


気持ちの面のみで言うなら、今すぐ抜刀して少女に挑みかかりたいところだったが、そうした実力行使は最終手段だ。


紅葉ですら勝てなかった相手という点はこの際、東真は気にもかけていない。

勝てるか勝てないかではなく、戦うべきか戦わざるべきかで悩んでいた。


こうした時、東真の形式やルールを順守する姿勢は逆に異常にも見えるが、それが彼女の性格なのだとしか言えない。


ところが、

ある種、当然ではあるが、そうした東真の計らいは少女にとって何の意味も持たなかった。


東真の話を、どこか不思議そうな顔をして聞いていた少女は、しばらく、東真の顔を見つめていたかと思うと、やおら口を開き、


「……お姉ちゃん、何言ってるのぉ。だって、まだ死んでないよぉ。ダメだよぉ、ちゃあんと壊さなきゃ。関井のやつらはみんな、ちゃあんと壊さなきゃ……」

そうつぶやくように言って、東真を絶句させた。


「でもさぁ……」

「……?」

思いがけず、少女は言葉を続けた。


もはや話し合いは不可能かと、諦めかけていたところだっただけに、これは違う意味で東真を驚かせた。


しかし、

やはり、一瞬でも抱いた希望は所詮、水泡と化す。


「止めたいんなら止めればいいと思うよぉ。したいようにしないと、人は後悔することになるからねぇ。だからお姉ちゃん。どうしても止めたいなら、わたいを……切って止めてみなよ」


偶然か。


少女が言ったその時、東真に強烈な向かい風が打ちつけた。


はらはらと乱れる己の髪に顔をなぶられながら、真正面に位置した少女が笑う。

血に狂った瞳を晒して。


選択肢は無い。

紅葉を助けたければ力ずくで、ということ。


観念し、

東真は姿勢を正した。


「……承知した。では、私は友人を助けるため、お前に決闘を申し込む」

「大袈裟だねぇ決闘なんてさぁ。ま、いいよぉ。お姉ちゃんの好きなようにやんなよぉ」

言い終えると、少女は左手に持った紅葉の剣から鎖を外すと、それを鞘の中へと収め、紅葉の剣は飲み終えたジュースの缶でも捨てるように地面へ抛り、右手へ握っていた抜き身の剣も鞘に戻す。


その動作を、東真はただ黙ってみていた。

すると、少女はクックッと含み笑いを漏らしながら、言う。


「優しいねぇお姉ちゃんは。こんな隙だらけの態勢の相手に、手ぇ出してこないなんてさぁ。それとも甘いのかなぁ。まあ、そういうのって、わたいは嫌いじゃあないんだけど……」

用意が終わったらしく、少女が構える。


見たところ姿勢を低め、半身で後ろへ引いた左腰に差した剣の柄を握り、狙いを定めている。


典型的な居合抜刀術の構え。


(抜き身の剣を手にしていたが、本来は居合使いか……?)

そんなことを考えつつ、東真も抜刀し、正眼に構えた。


それを見届けてか、少女は言いかけていた言葉を次ぐ。


「お姉ちゃん、その性格じゃあ……死ぬよ……」

言葉終わりに、


少女が飛び込んでくる。


(やはり……居合か!)


構えられた腕の位置。

体勢。

抜き身の時に見た剣の長さ。


それらを加味し、瞬時に少女の間合いを見極める。


右足を退き、剣を立てて半身の姿勢をとり、構えを八相へと切り替える。

少女の飛び込みは鋭かったが、この距離ならば初太刀を受けることは無い。


はず、だった。


だが……、


結果を先に言うなら東真は、


刺された。


切られたのではない。


刺された。


始め、東真自身も自分に何が起きたのかを理解出来なかった。

それほどの異常な事態。


居合の構えから、弧を描いて抜刀するかに見えていた少女は、剣を抜かなかった。


いや、

そうではない。


剣は抜いた。

ただし、


鞘から剣を抜いたのではない。


柄から。


柄から刃渡り一尺(約三十センチ)も無い、短い刃を抜き放ち、鞘を逆に柄として持ち、直線で突き入れてきたのである。


鞘が柄。

柄が鞘。


予想だにしない作りの剣。


その結果として、

東真は刺された。


深々と腹を。


「ぐっ……う……」

腹筋は直立した姿勢を保つためだけでも自然と使われる。


そのため、刺されればただ立っているだけでも激痛が走る。


呼吸すらままならない。


息をするだけで、逆に息が詰まりそうになる。

口など利けようはずが無い。

苦鳴を漏らすのがせいぜい。


それでも、

顔を上げ、東真は少女を正面から見据えた。


脂汗の滴る顔を向け、

苦痛で閉じそうになる目を無理に開き、

見つめる。


対して少女は……、

笑って、言った。


「……五徳猫が二徳目、騙しだましやり……」


五徳猫。


それは剣の名か?

それとも技の名か?


どちらにせよ、

今の東真にとって、それはどうでもよかった。


薄れかける意識の中、引き抜かれる剣の感触に、一瞬の鋭い痛みを覚えることしか出来ない。


出血を始めた腹部が、痛みより、じわりと広がってゆくような熱さで覆われる。


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