妖異の剣(1)
「……というわけでして、対戦状況によっては真剣に対して木刀での立ち回りのほうが有利に働くことも多いわけです。とりわけ、例として挙げられるのが宮本武蔵と佐々木小次郎の戦いでしょう。小次郎はこの際、刃渡り三尺三寸の野太刀を用いたと言われますが、長刀になればなるほど取り回しは困難となり、有効な剣の威力を生む部分は切っ先の一部に限られてしまいます。それに比べ、木刀は重量も軽く抑えることができ、剣速は格段に早くなりますし、刃が無い代わりに取り回しが自在となる上、素材となる木を吟味すれば、多少の斬撃では断ち切ることはできず、逆に真剣のほうが刃こぼれを起こすのです」
実践授業が重視されがちだが、士道学校では当然、こうした机上の筆記授業も多い。
初老の男性教師が、黒板に細かな年代などを筆記しつつ、異なる得物による対決の、それぞれの優位性について語ってゆく。
内容の如何によらず、机に向かって受ける授業というのは大抵、退屈なものである。
今日も今日とて、実戦剣技の歴史授業という、楽しいような楽しくないような、微妙な授業を東真たちは受けていた。
まだ二時限目であるにも関わらず、撫子などは眠気すら催している。
そしてそんな時に、撫子のとる行為は決まっていた。
「……ねえ東真。昨日、草樹のバカが言ってたこと、どう思う?」
小声で後ろの席に座る東真に、ちょっかいを出すのである。
とはいえ、ちょっかいと言っても無意味なことはしない。
それなりに意味のある会話を心掛けるところは最低限、撫子なりの気配りなのだろう。
そして東真もそれを無視すればいいものを、まともに相手してしまう。
性格の問題ではあるのだろうが、なんとも世渡りが下手な性質と言える。
「……そうさな。確かに関井道場の残党も気にかかるが、草樹さんの勘も無視できん。もう例の斬人狩りが狙うような学校は、それほど残っていないのも事実だろうからな」
「あいつの言う通り、そろそろうちにも来るだろうって?」
「可能性は高いだろう」
「まあねえ……」
なんだかんだで、頭の痛い問題は増える一方だ。
一向に減る気配が無い。
そうは言っても、ことがことだけに対処法はどうしても後手に回らざるを得ない。
向こうの出方を見てからでないと、こちらからは基本、何もできないもどかしさは常にある。
出てくるのは溜め息ばかりである。
「どうしたもんだろねぇ。関井の連中に関しては楓に頼りっきりだし、斬人狩りだって、いざとなったら紅葉頼みになるのは目に見えてるし。どこまでも他人頼みってのが情けないわぁ」
「情けないのは私だって同じだ。我が身の無力が腹立たしくて仕方無い。だが、いくらそうは思っても、現実が変わるわけじゃない。悔しいが、自分の未熟を噛み締めるよりほかにできることなどないだろう」
「また悲観的なことばっか言って……と、言いたいとこだけど、ほんとその通りだわね。これだけとれる対策が限られてると、もはや身動きが取れない……」
「こらっ!」
急な叱責の声。
つい話し込み、注意が散漫になっていたところを狙い澄ましたように、抑制は効いているが、十分に大音量の喝が飛んでくる。
言おうとしていた言葉を言い切るよりも前に止められたことに加え、油断していたところへのお叱りというダブルショックのせいで、撫子は軽く肩が跳ねた。
然る後、
そろりそろり後ろを振り向くと、思った通り。初老の男性教師が厳しい顔で撫子を見ている。
「佐々さん。随分と楽しそうにおしゃべりをしていたようですが、それはこの授業と何か関係のあるお話ですか?」
「あー……いえ、特には……」
教師の質問に、有効な返答が思い浮かばず、口ごもる。
考えれば少し気の毒ではある。
確かに先に話を始めたのは撫子なのだが、もし仮に東真から話を始めたとしても、主犯として扱われるのは間違い無く、ひとつ前の席に座っている撫子だ。
教室における責任の重い軽いは、席順が教壇から遠いか近いかにも密接にかかわってくる。
この場合、自然と目立つ位置にいる撫子が貧乏くじを引く破目となった。
「まともに授業を聞いていなくても、内容が頭に入っているとは大したものですね。よろしいでしょう。それでは佐々さんには特別に、日本刀対鎖鎌での対戦における、それぞれの武器の優位性について説明していただきましょう」
「……」
教師からの無理難題に、撫子が沈黙するのに反比例し、教室は小さく、ざわざわとざわめく。
聞こえてくるヒソヒソ話の内容も千差万別。
やれ、可哀そうにとか、
やれ、自業自得だとか、
やれ、どう誤魔化す気だろうかとか。
そうした雑音を耳にしつつ、教壇の男性教師に向かい直した撫子は、しばし目を瞑ると、机に置いた右手の人差し指をリズムでもとるようにトントンと叩く。
そうしてしばらくし、
「どうしました佐々さん。回答は?」
ピシャリと厳しく問う男性教師の声が再び撫子に向けられたのと同時。
やおら目を開いた撫子は、その目で教師をしっかと見据えると、話し始める。
「……それでは、説明をさせていただきます」
この答えには、男性教師も少しばかり驚きの反応を見せたが、撫子はそんなことに一切、気をかけずに一言、
「日本刀だろうが、鎖鎌だろうが、強いほうが勝ちます」
迷いも無くの断言。
対し、
「……え?」
当然、教師の反応はこれである。
が、撫子は黙らない。
「だーから、得物が何だろうと、強いほうが勝つ。ただそれだけですよ」
「……いえ、佐々さん。私が聞いているのは、各武器の特性についての見解をですね……」
「特性なんてそれぞれ違うの当然ですよ。その上で、有利不利を決めるのは腕の違い。それに尽きます」
「……」
「刀を持って勝てないやつが鎖鎌を持ったって、慣れなきゃ勝てないだろうし、鎖鎌を持って勝てないやつが、刀を持ったって、慣れなきゃ勝てない。ただそれだけですって。武器が強いか弱いかじゃなく、使い手がすべて。使う人間が強けりゃ、どんな武器でも強いでしょうし、使う人間が弱けりゃ、どんな武器を持ったって勝てやしませんよ」
完全な屁理屈。
それは教師も絶句する。
授業内容を根本から全否定しているのだから。
しかし、男性教師も負けていない。
「佐々さん……その理屈は必ずしも正しいとは言えないでしょう。極端な話、歴史的には鉄砲の発明によって刀などの近接戦闘用武器はその役割をほぼ失いました。現在ではそれこそ、銃と刀とで戦った場合、銃が勝るのは言うまでもないことです。私が教えようとしているのは、つまりそういう部分のことなんですよ」
「でもほぼゼロ距離での戦闘で、双方とも武器をまだ取り出していないという条件下でなら、銃よりナイフのほうが有利というのも事実でしょ?」
「……う……」
またしても絶句。
屁理屈の中へ突然、正論を混ぜてくる。
元より、撫子は口ゲンカには絶対の自信がある。
道理に適ってるとか、理屈が通ってるとか、そういうこととは別次元で、自分の意見を無理にでも通す手段に、彼女は無駄に精通しているのだ。
はっきり言って、口論する相手としては最高に性質の悪い手合い。
ここまで来ると、教師のほうが気の毒に思える。
「それに、最初の出自は明確じゃないですけど、よくいろんな人が言いますよね。『強いから勝ったのではない。勝ったから強いのだ』って。そこから考えても、総合的な条件が重なって勝敗が決する戦いについて、武器っていうただひとつの要素だけを抜き出して有利不利を語るのってナンセンスな気がするんですけどねぇ」
これにて決まり。
チェックメイト。
もはや男性教師は話を続ける気力も失っていた。
あまりにひどい。
ひどすぎる屁理屈。
これ以上、話を続けても、ああ言えばこう言うという状態がどこまでも続くだけ。
最低最悪の水掛け論。
となれば、時間的猶予の無い教師側が引くほかないのは自明の理。
これを分かっていてやっているから最悪なのである。
「……分かりました。佐々さん、この議論についてはまたの機会にいたしましょう。授業時間が無くなってしまいます……」
屈辱の白旗を教師が上げる。
負けてないのに、
間違ってないのに、
それでも白旗。
さぞ無念だろう。
しかし、当の撫子は得意顔で後ろの東真へ振り返ると、
「ざっと、こんなもんよ」
平然として言ってのける。
それを聞き、東真はただ呆れ顔をして撫子を見ていた。




