プロローグ(1)
今も昔も、とかく不思議な噂話というものに人は魅了される。
それは日常を忘れ、非現実的なおとぎ話に心躍らせる子供の心境だろうか。
もしくは、退屈な日々に刺激を求める大人の欲求か。
どちらにせよ、それはよくある話だった。
都市伝説。
まことしやかにささやかれ、人から人へと伝播してゆく奇妙な伝え語り。
その事件も、発端はそんな話からであった。
始まりはこうである。
遡ること、今よりおよそ四百年前。
肥後熊本藩に仕える御徒組頭の狩野清兵衛という人物が、世によく聞かれる胴田貫に、自身が佩刀する剣を特注した。
今では刀剣の名としてよく知られる胴田貫だが、正確には地名を表すものであり、そこを中心に活躍した肥後刀工の一派がそう呼ばれたことが由来となっている。
さておき、
狩野清兵衛はこの際、奇妙な注文をしたという。
それは、
「どれほど扱いが困難な代物になろうとも構わない。とにかく、いかなる手練の者、いかなる多勢の者を相手としても、必ず勝てる創意の込められた剣をこしらえてもらいたい」
と、いうものだったらしい。
この注文に、胴田貫の刀工たちはひどく悩まされた。
あまりにも注文が曖昧かつ、無体であったからである。
確かに、侍と生まれたからには剣の強さを求めるのは無理からぬこと。
とはいえ、剣の実力は剣の質のみをもって決まるほど単純ではない。
どんな業物でも、使い手にそれを使うだけの技量が無ければ、単なる宝の持ち腐れとなる。
最終的には使い手自身の実力がものをいうわけであって、剣の質によって腕がどうこうなるということはまずもって無い。
それだけに、この注文を多くの刀工たちが請け負うのを拒み、半ば宙に浮いてしまった。
そんなある時、
ひとりの年若い刀工が、この注文に食指を動かされた。
彼は、「どれほど扱いが困難な代物になろうと構わない」という一言に魅かれた。
加え、「必ず勝てる創意」の件。
すなわち、既存の刀とは違った造りを示唆しているとも言えた。
若い刀工は、その若さゆえに想像を膨らませる。
勝つためのあらゆる創意。
手段を選ばぬ、ただひたすらに必勝を求めた創意。
日々続く試行錯誤の末、彼はひとつの完成形を導き出す。
そこからは剣の製作にまさしく一心不乱となった。
昼夜を問わず、寝食を忘れ、鍛冶場に居ついて離れることは無かった。
それほどに労を惜しまず造り続けること、瞬く間にひと月。
ついに、注文された刀は完成する。
出来上がった剣に、若者は己の名は刻まず、こう銘を彫ったという。
「五徳猫」
妖怪の名として知られる付喪神の一種。
由来は、その剣に施された細工を知ればおのず明らかとなる。
創意に次ぐ創意。
細工に次ぐ細工。
刀工からすれば、それはまさに渾身の作だった。
しかし同時に、乾坤一擲の作。
あまりに常軌を逸した刀。
およそ侍の帯するべきものとは到底言えぬまでに、その剣は異形に過ぎた。
それがゆえ、
ある意味では必然であろうか。
異形の剣は悲劇を生む。
注文の品が完成したとの報を受け、出向いてきた狩野は激怒した。
理由は言わずもがな。
とてもではないが、士道に照らして大いにはばかられるその作りのためである。
いささかの口論の末に、若い刀工はあわや狩野に無礼討ちされるところであったが、その場に居合わせていた別の刀工たちの弁明もあり、その場は事なきを得た。
だが、義憤をたぎらせていたのは何も狩野だけではない。
当の五徳猫をこしらえた刀工もまた、怒りに我を忘れようとしていた。
魂を削る思いで作り上げた一作。
身命を賭して作り上げた一作。
それを、自分の出した無理難題ともいえる注文に沿ってこしらえたそれを、士道に沿わぬからという、若者からすれば手前勝手な理屈で撥ねつけられた。
思えば逆上もやむなしであったかもしれない。
刀工は、「無作法者!」と罵られ、投げ捨てられた己が刀、五徳猫を拾い上げると、駆け足に狩野を追い、林の一本道でその姿を確認するや、一刀のもとに狩野を切り殺してしまった。
後に見分されたところによると、その遺体は背後から袈裟懸けに切られ、肉も骨もほとんどが両断されて、身が斜めに裂けたようになっていたという。
そして、
そのまま刀工は胴田貫から逐電。
行方をくらませる。
無論、狩野の家では大規模な捜索を出して刀工を追った。
このような真似をされては、刀工への仇討を果たさねばお家の大事となる。
名誉を挽回する意味でも、家名を保つ意味でも、狩野家に所縁の者はすみやかに仇である刀工を討ち取る必要があったのである。
追手はすぐに刀工を見つけた。
鍛冶仕事以外は素人である刀工を追い詰めるのに、時間はさほどかからなかった。
ところが、
またしても刀工は姿を消す。
囲みを作って討ち取ろうとかかってきた追手を返り討ちにして。
追手の総勢、伝えられるところによれば十余人。
いずれも腕に覚えの者ばかり。
二本差しに限らず、手槍や弓で武装した者もあったという。
それをわずかにひとりで。
剣に限らず、戦いなどは素人も同然の彼が、何故にこれほどの手勢を倒し得たのか。
生存者もおらず、伝えられる話も無い今となっては、その真実は知る由も無い。
ただ……、
十名を超す手練の追手を屠ったという事実だけは確実に語り継がれ、そのためこんな話だけがひとり歩きをしたという。
「あれは妖刀を用いたのだ」と。
付喪神とは、俗に物品が長い年月を経て、または人間の強い思いを受けて妖異へと変じたものだと言われている。
五徳猫。
その名の通り、それは妖怪変化と化した妖刀だったのではないか。
人々はそう考えたのかもしれない。
現在ではその刀工がその後、どこへ行ったのかを知る者はいない。
同じく、五徳猫の行方も。
だからこその伝え語り。
妖刀伝説。
いつの時代も、人は物への執着をこうした話に寄せているのだろうか。