リングと十九のルール《しずり雪外伝》
ムーンライトノベルズ【しずり雪】の外伝です。
オンスグローブなんて使えねえ。
いや──使わねえ。
リング・ヴェーダにルールは絶無だ。カッププロテクターもマウスガードも存在しねえ。
軋んだ椅子に座り、バンテージを手の甲から外側に向けて巻いていく。拳には二回巻き付ける。手首に下ろしていく。手が開きにくい程度に両手を巻き終える。同時に立ち上がった。
ざらついたコンクリートスラブを、裸足の足裏が感じ取る。暗雲が漂う細く長い花道を、独りで進んでいく。
今日も帰らなければ──必ず同じ道を辿り、戻ってやる。血塗れのバンテージの拳を振り上げながら。
「おい、はやまるなよ」
「──なんのことです」
「前回みてえなことだよ」
いつの間にか隣に並ぶ後藤に、視線を投げた。
「ダウン奪えば、なんでもありじゃないんすか」
「違ぇよ、のっけから攻め過ぎんなってことだ」
「ラウンド数も存在しねえのに? はやく奪うに越したことないでしょう」
「トキ、おまえいくつだっけ?」
「十九ですけど……」
「はや過ぎんだよ」
「はあ?」
「十九歳にも、ルールや鉄則はねえのか」
「よく分かんねえよ後藤さん、俺のやり方があんた」
遮るように後藤が語気を強めた。
「ゴングで前に出過ぎんな、もっとガード固めろ。ハイキックばっかに頼んなよ、ジャブでリーチとステップ幅キープしとけ。てめえ如きを過信すんな、そーいうことだよ」
舌打ちを呑み込んだ。後藤の言い分も解る。
しかし一歩でも怯めば、奪われるのはこっちだ。ダウンだけじゃねえ。命ごともってかれるんじゃねーのかよ。このコロシアム──。
「ほら行け、待ってんぞ。今夜の対戦相手は世界バンタム級王者──に憧れてた、プロライセンスをお持ちの三十八歳リーマンだってよ。ああ、そうかトキ──」
「……なんすか」
「知らねえのか」
「何を──」
「実はよ、俺も待ってんぞ。此処からよ──」
立ち止まった後藤を振り返らなかった。派手な歓声と野次でよく聴こえなかった。
前を見据えた。
リング・ヴェーダと俺のルールだと? 勝敗が全てじゃねえか。今夜も勝ちを譲る気はねーよ。後藤さん、あんた勘違いしてねーか。俺はさ。
俺は──ただ、十九年間、生にぶら下がってきただけだ。眼の前でヒラヒラしてっから仕方ねえ。
でも今は十九の脈動が波打ってんだよ。身体中に起因してんだ。星の収縮と誇張みてえによ。いつ終わりがくるか分からねえから、はやく行けってよ。
俺のルールは、確かに存在する。俺はここを何としても走り抜ける。
ヤツよりもはやく。失くした光よりもはやく──駆け抜けてやるよ──。