第34話 違和感
翌朝、何か言われるかと思ったけど、アリスは普段と変わらない様子だった。
学校前のバス停で下車して、最後尾を歩きながら学校へ向かう。
「おはよー和奏、姫」
「おはよ、朱莉」
「おはようございます」
中間テストの後からが本番だとでもいうように、グングン進み始めた授業に苦労しつつ、放課後になったら、音楽室で『ごしきひわ』を練り上げる。
「じゃ、また明日ねアリス」
「おやすみなさい、和奏ちゃん」
「おやすみー」
淡々と日常が過ぎて行く。
週も後半に差し掛かった頃、自室のカレンダーに斜線が引かれていないのは、残すところ三日だけ。
夕飯後、コンクールの予選会場までの移動手段を確かめながら、私はベッドに倒れ込む。耳にはめたイヤホンからは、今日の私たちの演奏が繰り返し流れている。
「うーん。調子が戻り切ってないのもあるけど、なんか足りないんだよねぇ……」
イメージは共有している。
曲の練度も上がってきている。
だけど、何か大事なピースが欠けているような、そんな感じがする。
……いや、分からないふりをするのは止めよう。
「ハァ……本当は分かってる。アリスの演奏に負けてるってことくらいは」
最近、アリスのピアノにある種の凄みのようなものを感じる時がある。
練習中、何度鳥肌が立ったことか……。
「これじゃ、全国なんて夢のまた夢」
アリスは残りの三日で、さらに演奏を仕上げてくるはずだ。
正直、今のままでは予選落ちは確実だ。
伴奏に主旋律が負けているなんて、演奏として成り立っていない。
そんなこと、誰が聴いても分かること。コンクール参加以前の問題だ。
このままでは、せっかくここまで練り上げてきた演奏が台無しになってしまう。
なんとか、なんとかしなければ……。
「でも、どうやって?」
コンクールまで残り三日。
今更ジタバタしたってどうしようもない、なんて開き直れるほど私は努力を重ねたわけでもないし、思い切りも良くない。
テストの終了直前まで悩んだ選択問題を、最後の最後に書き換えてそれが不正解だったりするタイプ、それが私だ。
「でも私って、諦めは悪いのよ」
とにかく考える。
目を瞑って、再び最初からリピートされ始めた演奏に、神経を集中させる。
何か、何かあるはずだ。
アリスにあって、私にないもの。
音量?
いや違う。
技術?
それも違う。
精神、とか……?
アリスとは同じイメージを共有しているから、これも違う。
じゃあなに?
アリスと私には、何か決定的な違いがあるはず。
でないと、ここまで演奏に差は生まれない。
「んーーー…………それこそ解釈、とか?」
いや待って。
いやいやいや、それはダメでしょ?
なんでコンクール一週間前という時期に、解釈を変える必要があるのか。
あの時、アリスも私の解釈に賛同してくれていたはずだ。
「でも、これ以外に考えられない」
バイアスが働いているのかもしれないけど、考えれば考えるほどそうとしか思えなくなってきた。録音を途中で止めて、もう一度最初から聴きなおす。
「――やっぱり。ズレてたのは私たちの解釈だ……アリス、あなたには何が見えているの?」
アリスはきっと、無意識に近い部分で解釈に手を加えているに違いない。
そしてそれをさせているのは恐らく……
「誓いの口づけ、だよね」
そっと、自分の唇に触れる。
あの時唇で感じた柔らかな感覚は、今でも鮮明に思い出すことができる。
「~~~~~っ!!」
あの時の光景を思い返す度に、顔が熱くなる。
枕に顔を押し付けてボフボフと布団にバタ足をしながら、羞恥心を心の内から追い出していく。
「ぷはっ……ぅくショイっ!」
埃が舞ってくしゃみが出てしまった。
ダメだ、一旦冷静になろう。
「思い返せば、ちょっとした違和感みたいなのはあったんだよね」
アリスの演奏が変化したのは、ピクニックの翌日の練習から。
その時は違和感に気付くことができなくて、コンクール前の貴重な時間を無駄にしてしまった。
「アリスも、違和感を感じてたとは思うんだけど……」
正直、明日にでもアリスに解釈のことについて聞いてみたい――が、それは躊躇われる。
「無意識っぽいから、聞いてもややこしいことになるんだと思うんだよねぇ」
多分、聞いてもうまく言語化できないはずだ。
解釈に影響を与えているのはフィーリング、というか感性? というものだと思う。
これは音楽家としてのセンス、と言い換えてもいい。
「『一流の料理人が、素材と対話しながら味付けや調理方法を微調整するように、音楽家もまた、音と対話しながらより良い演奏を求めるものなのよ』――そういえば、先生の口癖だったっけ……」
中学校の先生のことではなくて、私が通っていたフルート教室の先生がよく言っていたこと。
昔は、先生が何を言ってるのか分からなかったけど、今ならその意味が痛いほど分かる。
アリスは音と対話してるんだ。そして私にも語りかけてきている。。
『和奏ちゃん、期待していますよ』って。
対する私は、アリスについて行くことと曲の練度を深めることに精一杯で、その合図に気付くことができなかった。
これが、私の感じていた違和感の正体だと思う。
「ふぅ……原因は分かったけど、どうしよう?」
土曜日の午後は移動で潰れるから、残された時間は二日と半日。
幸い暗譜もできているし、練度もこのままなら問題はない。
……となれば、明日からはひたすらアリスと対話を重ねるしかない、ということか。
「あと三日、頑張りますか!」




