第26話 季節外れの『赤とんぼ』
本日は三話更新となります。
ゴールデンウィークの四連休は、ひたすらに基礎練習を繰り返した。
二日目からは、アリスもギリギリだけどバスに間に合ったし三、四日目と段々と顔色が良くなってきた気がする。
そして、あっと言う間に連休は終わった。
高校の授業にも慣れて来た。アリスが隣で勉強しているのも、見慣れた光景になりつつある。
アリスは、点字タイプライターを使ってノートを取ったり、イヤホンを片耳に突っ込んでAIの読み上げ音声を聞いて、勉強を進めている。
座学もいいけど、やっぱり勉強した後は体を動かしたくなるよねぇ。
ということで、本日最後の授業は体育。
女子更衣室で、制服を脱いで体操服に着替える。
一組の女子は、七人しかいないから広々と更衣室を使える。隣では、特別に用意された椅子に座って、アリスがゆっくりと着替えている。
「はぁ~、何だか肩が凝ってる気がするよ……」
「あはは! 肩凝るなんて面白いこと言ってるね?」
「んひゃっ! ちょ、どこ触ってるのよ、朱莉!」
ワイシャツを脱いで肩を揉んでいると、後ろから朱莉が抱き着いてきた。
しかも、朱莉の手はしっかりと私の胸を掴んでいる。
「中学の時と比べて、サイズは変わってないと思うけど?」
「何だか癪に障る言い方ね……それと、揉むな!」
「えーん、揉まれたら大きくなるって聞いたから、大きくしてあげようと思ったのに~」
なおも私の胸を揉もうとする朱莉の手をベシッと強めに叩く。
コラ! 下着の中に手を突っ込もうとしないで!!
自分の胸が大きいからって……けしからん。しかも、揉まれたら〜って話は都市伝説じゃない。
「こ、これからよ……私は、これからもっと成長するんだから」
「和奏ちゃん……」
こらアリス、なんで可哀想なものを見る目で私を見ているの?
言っとくけど、アリスは私より小さいんだからね?
閑話休題。
私たちは、七月にあるクラスマッチに向けてゴールボールなる競技を練習していた。
これはインクルーシブ教育の一環で、目が見えないアリスでも体育に参加できるように、と導入が決定されたパラスポーツだ。
ルールは簡単。
三対三で、互いに音の鳴るボールを投げ合って、相手より多く得点した方の勝ち。
ただし、全員目隠しをしなければならない。
というわけで今現在、睡眠用のアイマスクを被っている私の視界は真っ暗闇だ。
競技中は声を出してはいけないから、授業中なのにも関わらず体育館はシンと静まっている。
リン、リン。
相手チームがボールを持って移動している音が聞こえる。
直後、ダダッと体育館の床を蹴る音がしてリンッ――リンッと鈴の音を響かせながら、ボールが転がってくる。
恐らく、ボールは私の方に転がってきている。
右か、左か、それとも正面か。
――多分、左ッ!!
横長のゴールの左側を守っていた私は、やや遅れて左側に足を伸ばす。
直後、つま先に衝撃。
あ、当たった――けどつま先!!
身を投げ出した格好になった私は、耳を澄ましてボールの行方を追う。
リンッ、リンッ。
フローリングにボールが着地した音とともに、鈴の音がしたのは背後から。つまり――
「千代野チームに一点!!」
――相手チームの得点を許したということだ。しゅるり、と得点板の点数をめくる音が聞こえる。
ピッという笛の音と共に、審判をしていた体育の先生の声が体育館に響く。
自分たちの得点を知った相手チームから歓声が上がる。
その輪の中心にいたのは、アリス。
「姫、やるじゃーん」
「いっ、いえ! それほどでも……」
相手のチームには、朱莉とアリスがいる。
対する私のチームは、朱莉と同じくバレー部の太田さんに水野さん。
点数状況はこちらが三点なのに対して、アリスのチームは七点。
この四点は、全てアリスが得点源になっている。
普段から視覚に頼らずに生活しているからか、アリスは相手の位置を把握していて、絶妙な位置に投げ込んでくるのだ。
ピ、ピピー!
それからお互いに得点できないまま、試合終了となった。
アイマスクを額に上げると、体育館の照明が少し眩しく感じる。
先生の合図で、相手チームと簡単に握手を交わした。
そして、お揃いのアイマスクを付けたままのアリスに、後ろから抱き着いて話しかける。私より一回り体が小さいから、こうして抱き着くととすっぽりとフィットするんだよね。
「ふぁ~! アリス強すぎだってぇ……しかも、途中から私狙ってたでしょ?」
「えへへ……バレちゃいましたか」
アリスは、ぺろりと舌を出しながら笑った。
体育で体を動かしてリフレッシュした後は、音楽室で練習だ。
今日から、簡単な曲の練習に取り掛かる。この練習の狙いは、アリスと呼吸を合わせることと、立奏で曲を吹く勘を取り戻すこ。
曲は山田耕筰作曲の『赤とんぼ』。
ゆったりとしたリズムと、郷愁を誘うメロディーが秋空に漂うトンボの様子を思い浮かばせる。夕方のひと時にぴったりの一曲。
「ゆうやーけ、こやけーぇのーって曲ですよね」
「そうそう、中学の時歌ったよね」
この曲は一つのフレーズが長く、ブレストレーニングに持ってこいなのと、以前に二人で演奏したことがあったから選んだ。
それに、曲のテンポがゆっくりだから課題の洗い出しが容易なのも大きい。
しばらくは、童謡を吹いては課題を洗い出して基礎練習、童謡を吹いては課題を洗い出して基礎練習――を繰り返すことになりそう。
「あ、アリス。とんぼが飛んでる」
「あら、随分と早起きさんですね?」
帰り道、季節外れのとんぼが一匹、田んぼの上を気持ちよさそうに飛んでいた。
脳裏に蘇るのは、さっきまで練習していた『赤とんぼ』。空がオレンジ色に染まっているのも、タイミングがよかった。
「もしかしたら、私たちの演奏に釣られちゃったのかもしれないね?」
「ふふっ、そうかもしれませんね?」
「あのとんぼ、どこに行くんだろうねぇ……」
ふいに湧き上がってきた寂寥感。
気持ちよく飛んでいるように見えたとんぼは、何を感じているのだろうか。
「帰ろっか」
「はい、帰りましょう」
私たちは、互いの手を握りながら少しだけ帰宅の足を速めたのだった。




