第22話 今の実力とコンクール曲
ぱっぽんぱっぽん、とキィをパカパカ押しながら自嘲する。
「うーん。こりゃ重症だね……」
「そう、ですか? 全然、そんな風には感じませんでしたけど……」
アリスはいまいちピンと来ていない様子だけど、私には分かる。
やはり、アルフレッド・コルトーの言っていたことは正しかった。
「ううん、私すごく下手になってた……」
音が出た瞬間から、下手になったんだって分かった。
「そうなんですか?」
「うん、ダメダメだったよ……」
まず、息を吹き込んでから音が出るまでにタイムラグがありすぎ。
それに出た音が薄い。思った通り楽器が鳴っていなかった。無駄遣いしている息が多すぎて、それがノイズとなっている。
おまけに、ロングトーンが安定していない。息の吐き方を忘れてしまっているみたいで、不規則に音が揺れてた。
本当にダメダメだ。
「これじゃ、《《ゆいーの》》に笑われちゃうよ……」
「えぇっと……フルートの後輩でしたっけ?」
「うん、一ノ瀬結衣で、ゆいーの。今年で三年生だよ」
ゆいーのは、ポメラニアンみたいに可愛い後輩だ。
私のフルートに憧れていただけに、とてもじゃないけどあの子には聴かせられない演奏だった。
「ちょ、何膨れてるのよ~」
ふとアリスを見ると、頬をぷくーっと膨らませていた。
アリスフグ……うーん、なんだか語呂が悪い。そだ、フグアリスだ!
「つーん! 私がいるというのに、他のことを考えてる和奏ちゃんのことなんて知りませーん!」
「わー! ごめんって! あーりーすー!」
私がしょうもないことを考えていたのを、勘付かれたのだろうか。
「エルガー、吹いてください」
「へ? エルガー? え、愛の挨拶?」
「はい! じゃないと、今日はもう和奏ちゃんとは話しませんからっ!」
そっぽを向いてしまったアリスのご機嫌を取るため、私はヘロヘロになるまでフルートを吹くハメになったのであった。
ちなみに、今の私がまともに曲を吹けるわけもなく、演奏はボロボロのボロだったことを付け加えておく。
家に帰ってから、夕飯やお風呂を済ませて自室に引っ込んだ私は、ボフッとベッドに倒れ込んだ。
「それにしても下手になったなぁ、私……」
布団に顔を埋めながら、防音室での演奏を頭の中で思い返してみた。
いや、酷い演奏会だった。
「ア゙~~~~~~!」
あんまりに恥ずかしくて、湧き上がってきた羞恥心を誤魔化すために足をバタバタと動かす。
「――へくしょいっ!」
……騒ぎすぎて、くしゃみが出てしまった。
いけないいけない。落ち着け私。
仰向けになって、カーテンの隙間から天井に射し込む光をぼーっと眺める。
「はぁ……ブランクがあるから下手になってるとは思ってたけど、まさかここまで衰えてるとは予想外だった」
いくらブランクがあるといっても、簡単なエチュードくらいは吹きこなせると思っていた。
考えが甘かった。
途中から息が上がって、二小節ももたなかったし、何より運指のミスが多すぎた。
なにより私が衝撃を受けているのはエルガーの『愛の挨拶』を吹いた時。
あれはお気に入りの曲で、今日みたいにアリスやゆいーのにせがまれて、何度も何度も吹いた曲だった。
「頭の中で鳴ってる音と、私の吹いた音が盛大にズレてたんだよねえ……」
一番の問題は《《コレ》》。
私のイメージしてる音と、実際に出している音のギャップが大きいということ。
私が思い浮かべていたのは、中三のコンクールの時の音。
つまり、精神的にも実力的にも一番充実していた時の音。
だけど実際に私が出した音は、精々が中一レベル。
びっくりするくらい、技術がガタ落ちしている。
アリスのリクエストに応えて吹きまくったから、少しは感覚を取り戻せたんだけど、それでも酷い。
「変なクセが付く前に腕を戻さないと……」
今更ながら、この状態から一か月で戻せるか不安になってきた
とにかく練習するしかないけど、どうしよう……。
「――朝練、しかないか」
幸いにも、学校行きのバスはいつも私たちが使ってる便と、それよりも一時間くらい早い便がある。それを使えば、朝練の時間は確保できるはず。
「秋山先生に許可を取らないと……あとは、放課後と帰ってからもアリスの家で練習させてもらうしかない」
帰りのバスは、最速の便から一時間間隔で一便ずつ学校を通る。
ある程度時間の融通は利くから、放課後も練習しよう。
とにかく、今は量をこなすしかない。
ひとまず体験入部の期間が終わるまでは、アリスの家で練習させてもらって、正式入部になったら音楽室も使わせてもらう。うん、これでいこう。
「ヴィヴァルディの『ごしきひわ』ねぇ……」
一応、アリスから器楽コンクールで演奏する曲の楽譜をもらったけど、この曲の練習なんて出来るレベルにはない。
一か月くらいは、バインダーの中で眠っていてもらおう。
「そういえば……」
このまま寝ようかと思ったんだけど、何かが頭の片隅に引っかかってるんだよねぇ。
今日中にやらないといけない、大事なことを忘れてる気がする……なんだっけ?
えーっと、フルートの手入れはしたし、ご飯もお風呂も済ませた。
――あっ、おかき食べ損ねた。一日経つと湿気で少しふやけちゃうんだよね……って違う!
「そうじゃん! 課題だよ課題、課題やるの忘れてた!」
それを思い出して、私はガバッとベッドから起き上がった。
慌ててリュックからバインダーを取り出して、中身を机の上に広げる。
今日出された課題は、授業で返却され始めた実力テストの誤答の復習だったはず……。
「危ない危ない……」
デスクライトをつけて、カリカリとシャーペンを走らせた。
私たちの本分は学生。
両親にお金を払ってもらっている以上、勉強せずに部活に集中するのは、許されないのだ。




