第18話 二人きりの音楽室
一ヶ月後の放課後、いつも通り下校しようと準備をしていると、不意にアリスから声を掛けられた。
「和奏ちゃん、それじゃあ行きましょうか」
「へ? どこへ?」
「秋山先生のところへ、ですよ」
そして、私はアリスに連れられて職員室へやってきていた。
実力テストの日以降、偶然部活のことを思い出せた私は、何度か尋ねてみたんだけど……アリスは唇に人差し指を立てて、可愛らしく「内緒ですっ」と一点張り。
「だ、大丈夫なんだよね、アリス?」
「はい。どうしようもなければ、私の家で練習すれば良いと思いますよ」
アリスが何を企んでいるのか、私は一切知らない。
「失礼します、秋山先生いらっしゃいますかー?」
「失礼します」
職員室に入ると、給湯室と書かれた部屋から秋山先生がでてきたところだった。
片手に湯気の立つコーヒーカップ、もう片手にはコピー用紙を持っていた。
「おや、あの日ぶりですね。南條さんに千代野さん。どうされましたか?」
「その――部活のことについてお願いしたいことがあって……」
「ふむ、それではこちらの生徒指導室で、お話を聞かせていただきましょうか」
何も悪いことをしたわけではないのだけど、少しドギマギしながら、職員室の隣にある『生徒指導室』と室名札が掲げられた部屋へ入った。
多分だけど、一年生で一番最初に生徒指導室のお世話になったのは、私たちで間違いない。
「さて、わざわざ私の下を訪ねてくるとは、どうされましたか?」
「はい。実は、吹奏楽部の件なんですが――」
「――ほう、吹奏楽部ですか」
吹部の名前を出すと、秋山先生のメガネのフレームがキラリと輝いた。
「私とアリスは、吹奏楽部に入部させていただこうと思いまして……」
「ほうほうほう、それは喜ばしいことです。部員が一人でもいれば、なんとか休部を免れることができます……ですが、二人だけでは吹奏楽部の活動は満足に行えないのではありませんか?」
先生に真っすぐと見つめられて、うぐっと言葉が詰まる。
「は……はい。実は、吹奏楽部の活動内容を、私たちで決めさせていただきたいと思いまして……」
「去年は三年生だけでコンクールに出場していましたが……確かに、今年は参加することすら難しいでしょう。お二人には、何か代案はありますか?」
まずーい。
言い出しっぺなのに、今の今まで何も思いつかなかったんだよね……。
「――はい。あります」
「アリス?」
今までずっと口を閉ざしていたアリスが、静かに話し始めた。
「秋山先生。六月に、全日本ジュニア器楽コンクールがあるのはご存じでしょうか?」
「いえ。そこまでは存じ上げません」
「私たちは、一年に三度開催される全国規模の音楽コンクールに出場することを、活動内容として認めていただきたいと思っております」
音楽コンクール……そうか、中学の吹部でもソロコンに出てた子はいるし、吹部だからって集団で活動しないといけないわけじゃないよね。
中学校からの習慣で、吹奏楽コンクールに出ること=吹奏楽部の活動だと考えていたけど、そうじゃなくても良いんだ。
これなら、アリスとコンクールに出られる……。
中学の頃の私じゃ、考えつかなかった。
「なるほどなるほど……うん、いいんじゃないですか」
「本当ですかっ!?」
「えぇ。活動内容の変更に関して、生徒会に申請する必要はありますが、そちらは体験入部の締め切りを待って、私が済ませておきましょう」
今年は、特に文化部希望の生徒は少ないですしね……と先生が呟いた。
そうなのだ。クラスメイトに聞いても、全員運動部希望だった。吹奏楽部に入る、なんて話は聞いたことがない。
「あ、あはは……運動部、人気ですもんね……」
「私が顧問をしている美術部も、とうとう入部者が一人になってしまいました……」
「ご、ご愁傷様です……」
がっくりと肩を落とした秋山先生に、私とアリスは何と声を掛けていいのか分からなかった。
「どうやら、今年は茶道部が人気らしいですよ」
「あ、アリス……!」
我ら文化部の中で、一つだけ部員数がおかしい部がある。
それが茶道部。活動が週二日で、楽なのが女子の人気を集めているらしい。
「まあ、青春を謳歌したい、という学生の気持ちも分かります。勉強だってしなければいけませんしね……それをとやかく言いはしません。ちなみに、吹奏楽部の入部希望者は今のところゼロです……」
「ま、まぁ、部員が少ないと音楽に集中できるので、私たちからすればむしろありがたいと言いますか……」
すっかり落ち込んでしまった秋山先生を元気付けながら、生徒指導室を後にした私たち。
「やったねアリス」
「ええ、やりました」
静かにアリスと手を合わせる。
こうして、私とアリスは放課後、音楽室を使用する権利をゲットした。
「アリス、バスの時間間に合いそうだよ」
「急いでバス停に向かいましょう!」
リュックを背負い直すと、アリスに無理のない速度で歩き始めた。
「お願いしまーす」
「よろしくお願いします」
秋山先生とあれだけ話をしたのにも関わらず、帰りのバスは最速の便に乗ることができた。
「はいよ」
運転手さんに定期券を見せながら、バスに乗車する。
「わーぉ……」
体験入部期間も、あと三日で終わり。
部活に参加し始めた生徒も多いからか、この時間はガラガラに空いていた。
「移動が少し大変ですけど、この席は広いですね」
いつもだったら、上級生が座ってる一番奥の座席を私とアリスで占領してみた。
絡んだ指先をシートに投げ出して、私はチラリとアリスの様子を窺う。
そして、バスが発車したタイミングで、思い切って口火を切った。
「――ねぇアリス」
「どうしたんですか、和奏ちゃん?」
「いつから、考えてたの?」
何を、なんて言うまでもない。
ほっそりとした指先を顎に添えながら、アリスはつらつらと話し出した。
「えぇと、コンクールの存在を知ったのは中学一年生の頃です」
「そんな前から……ごめん、アリス。私が中学校で吹奏楽部に入ったからムグッ――!?」
私の唇に、アリスの人差し指が立てられた。
「和奏ちゃん、それは言いっこなしです。私だって、もっと早く教えようと思えば教えることはできました」
じゃあ、なんで――ローファーをカツカツと打ち鳴らすことで、アリスに抗議した。私、フグになってやるんだから。