第10話 ダ・カーポ
本日五話目です!
あ……。謝れた。
思ったよりすんなりと、ごめんと言えた。
「ねえ、アリス」
今なら、あの時のことをアリスに謝れるかもしれない。
「――あの時は、ごめん。変な意地張っちゃってた。多分、私は私の理想をアリスに押し付けてたんだと思う……」
……謝れた。ちゃんと、謝れた。
静かな部屋に、私の声がぽつりと響いた。
言いたくても言えなかった、ごめんの三文字が、私たちの雁字搦めに絡まった心を解かしていく。
「私も……運が良かった、なんて言ってごめんなさい。他の人が全国に行った方が良かった、なんて言ってごめんなさい――!!」
私のお腹に回された腕に、ギュッと力が込められたのを感じる。
「私、和奏ちゃんにも他の人にも、酷いことを言っていたんだって、家に帰ってから気付きました……」
ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返すアリスの腕を、そっと撫でる。
「ううん、いいよ。いいんだよ、アリス」
良かった……私、アリスと仲直りできたんだ。
また、気兼ねなくアリスと話ができると思うと、目頭が少しだけ熱くなる。
アリスに気付かれないように、パシパシと何度も瞬きをして、涙を引っ込める。
「あの、そろそろバスの時間も近いし、離れ――」
「――いやです……まだ、私から聞きたいことがあるんです」
食い気味に拒絶するアリスから、遅刻上等という意志がひしひしと伝わってきた。
「えっ?」
「和奏ちゃん。また、前みたいに一緒に演奏してくれますか?」
その問いに、私は即答できなかった。
「この春休みも、和奏ちゃんと演奏するために沢山練習したんです」
嫌な予感がする。
これ以上、アリスの話に付き合ってはいけないような、かすかな予感。
「ねえ和奏ちゃん、私に言ってないことがありますよね?」
うまく、喉を言葉が通らない。だって、あまりにも心当たりがあり過ぎたから。
チコチコと動く時計の音が、やけに遠く感じる。
「な、なんで……」
視界がぐらぐらと小刻みに揺れて、足元が覚束なくなる。
危険だ。アリスが後ろから抱き着いている状態で、転ぶのだけはダメだ。
アリスが、耳元にささやきかけて来た。
「和奏ちゃんが私の事を分かっているように、私もまた、和奏ちゃんのことをよく分かっているんですよ?」
何も答えられないまま、時は流れる。
私は今、どんな顔をしているのだろう。
「和奏ちゃんに言わせるのは酷ですから、私が言ってあげます」
ハッと我に返った私が、やめて――と制止しようとしたけど、時すでに遅し。
私の心の内を見透かしたように、アリスは《《ソレ》》を口にした――してしまった。
「私が奨励賞を取った時から、和奏ちゃんは急に余所余所しくなりましたよね」
「…………っ!!」
――それは違う、とアリスの言う事を否定できたら、どれだけよかっただろうか。
ずしり、と部屋の空気が重たくなったように感じる。
季節外れのジメジメとした雨の日みたいに、呼吸がもたつく。
「悲しかったです。寂しかったです」
私の耳元へ顔を寄せ、アリスはささやく。
喉がヒュッと音を立てて引きつり、何も弁解することができない。
アリスの言う通りだ。
あのコンクール以降、仲が拗れているのをいいことに、私は意識的にアリスを避けていた。
休み時間には、アリスと話をしに特別支援教室へ行っていたのを止めた。登下校の時も、音楽の話題は避けるように神経を尖らせていた。
あの時、私が感じたもやもやは、一つだけではなかった。
心の奥底に眠っていたその気持ちは、嫉妬。
私がアリスの演奏を聴いていた時、ちくりと感じた心のささくれ。
コンクールが終わり、家に帰って数日。気が付いた時には、ドロドロと真っ黒で嫌な気持ちとなって、溢れ出して来ていた。
『どうせアリスは才能があったんだ』
『私は所詮、アリスの添え物なんでしょ』
『先に音楽を始めたのは私なのに、なんでアリスばっかり……』
どれもこれも、聞くに堪えない醜い嫉妬だった。
自分の未熟さを棚に上げて、どの口が言うのやら。
だから、万が一にもアリスに八つ当たりしないように、距離を取った。
この気持ちが落ち着くまで、私が音楽に諦めが付くまで、アリスに合わないつもりだった。
その時の選択を、私は間違いだとは思っていない。
あのまま、あの精神状態のまま、アリスと接していたら――私は、アリスにどんな酷い言葉をぶつけていたか、分からない。
そんな私の醜い気持ちは、とっくの昔に見抜かれていた。
もう、耐えきれなかった。
ひんやりとしたフローリングに、へなへなとへたり込む。
すると、背中にのしかかってくるもう一人分の体重を感じた。
サッ――と全身から血の気が引いた。
そう、アリスだ。
私がへたり込んでしまったということは、私に抱き着いていたアリスも覆いかぶさる形で、倒れこんでしまっていた。
「だ、大丈夫!? アリス、今――――」
怪我がないか確認しようとすると、アリスはことさらに私をきつく抱きしめてきた。
「く、苦しいよ…………」
「ぐす……ごめんなさい。私、和奏ちゃんを傷付けるつもりなんて、無かったんです……」
「……アリス、泣いてるの?」
鼻声になりながら、アリスは言う。
「私、昔の約束を守るために、和奏ちゃんと一緒に演奏したくて、和奏ちゃんのフルートに負けないくらい、上手くなりたかっただけで、ぐすっ……」
約束?
私、アリスと約束なんて結んだ……?
すると、走馬灯のように昔の出来事が、脳裏に蘇ってきた。
十話目までお読みいただきありがとうございました!
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