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第3章 亡霊王の魂【3】

 エヴィヘットのそばのテーブルに読み終えた本が山積みになった頃、ティストナードが書籍室に訪れた。

「殿下、昼食のご用意ができております」

 その言葉で時計に目を遣ると、確かに昼食の時間だった。読書に熱中するあまり、時間を気に留めていなかった。グラディウスも、エヴィヘットの集中力を途切れさせることはなく、窓際に立って本を読んでいたらしい。

「ありがとう。つい熱中しちゃったよ」

「勉強熱心なのはよろしいことです」

 いまエヴィヘットに必要なのは、この国に関する知識だ。書籍室にはこの国の歴史、魔法の成り立ちなどの本が充分に揃っている。まだ読むべき資料は山ほどあるだろうが、エヴィヘットはつい誘惑に負け、最後の一冊は物語の本となった。本の片付けをしているあいだ、ティストナードもその本を見ただろうが、特に咎められることはなかった。

 自分の意思が尊重される。それだけでエヴィヘットは涙が出そうなことだった。

「陛下を待たせてしまってるかな」

「いえ、陛下にはまだお声掛けをしておりません」

「じゃあ僕を先に呼びに来てくれたんだ」

「はい。殿下がダイニングにお越しになる頃に公務を終えられるはずです」

「そっか。ティストナードが呼びに来てくれなかったら、まだ本に熱中してたかもしれないよ」

 エヴィヘットが先ほどまで読んだ本は、書籍室の1パーセントにすら満たないかもしれない。どんな本が並べられているのかはまだ把握していないが、魔族の寿命が長いことはエヴィヘットにとって僥倖であった。

「本を読むのがお好きなんですね」

 朗らかに言うグラディウスに、エヴィヘットは小さく笑う。

「食事を忘れるくらいには好きかな。本があればあるだけ読んでしまうんだ」

「では王宮では退屈しないかもしれませんね」グラディウスが言う。「書籍室はあと五部屋あります」

「そんなに……」

 エヴィヘットが呆気に取られると、グラディウスは穏やかに微笑んだ。

「魔族の一生は人間よりはるかに長いですから、楽しむことができると思いますよ」

「それは楽しみだな」

 前世の自室も積読で溢れていた。どれも読みたい本だったため、すべての本を読みきれずに命を落としたことはエヴィヘットにとって残念なことだった。それも、王宮の書籍室に並ぶ本に夢中になっているあいだに忘れてしまうことだろう。

 廊下を歩いている最中、エヴィヘットを見つけた者たちが足を止めて辞儀をする。ひとりひとりに応えながらそろそろダイニングに着こうという頃、エヴィヘットは不意に肌がピリと痺れる感覚に足を止めた。

「待って」

 硬い表情で呼び掛けるエヴィヘットに、グラディウスとティストナードも何かを感じ取ったように立ち止まる。

「何か嫌な感じがする……。肌がピリピリする」

 それはただならぬ気配だった。何かが王宮に近付いている。

「グラディウス、来て!」

「はっ」

「ティストナードは陛下のもとに!」

「かしこまりました」

 辞儀をするティストナードと別れ、エヴィヘットはグラディウスを伴って駆け出す。嫌な気配を辿っていくと、騎士団の訓練場に出た。そのはるか上空、何かがこちらに降りて来るようだった。

「殿下。どうなさったのですか」

 ステュルカが駆け寄って来る。騎士たちはちょうど午前の訓練を終えた頃だったようだ。

「何かが来る。備えて!」

 厳しい表情で言うエヴィヘットに、ステュルカは即座に騎士たちを振り向いた。

「第四騎士隊、警戒態勢! 第二、第三騎士隊は城内警護へ!」

 ステュルカの指示に短く応え、十数人の騎士たちが城内へ向かう。ラーセリとエルドがエヴィヘットのもとへ駆けつけると、残った騎士たちは各々の愛剣を手に警戒態勢を取った。

 エヴィヘットは上空に意識を集中する。何かが着実に近付いて来る。騎士たちも固唾を飲んでそのときを待つ最中、雲を抜けて黒い物体が姿を現した。それは大きな竜だった。

「あれは……」

 ステュルカの小さな呟きに、エヴィヘットは目を逸らさないまま問いかけた。

「知ってるの?」

「あれは竜王です。この城の北側に位置する山を住処とする魔獣です」

「僕たちにとって敵?」

「どちらとも申せません」

 騎士たちの警戒が続く中、竜を黒い旋風(つむじかぜ)が包み込む。徐々に細くなった旋風(つむじかぜ)が訓練場に降り立つと、その中から姿を現したのは黒髪と赤い瞳の人型の男性だった。男性が足を踏み出しても、騎士たちが剣を構えることはない。竜王は、そう簡単に切っ先を向けることのできないほどの権限を持っているのだ。

 騎士隊の中を抜け、男性はエヴィヘットと距離を取ったまま跪いた。

「亡霊王殿下。お目覚め、心よりお慶び申し上げます」

「きみは?」

「竜王ケルレウスにございます」

 男性から、先ほどのような嫌な気配は消えている。おそらく、注目を集めるためにわざと強い気配を発していたのだろう。そうする理由がエヴィヘットにはわからないのだが。

「ここに何しに来たのですか」

 警戒を解かない声でグラディウスが問う。竜王ケルレウスは顔を上げ、真っ直ぐにエヴィヘットを見据えた。

「亡霊王殿下に一目お会いしようと思ったのです。亡霊王殿下は私を討伐し、封印されたお方ですから」

 強い気配を発していたのはそのためか、とエヴィヘットは納得していた。強い気配は敵意を表したものだったのだ。声は穏やかであるが、その言葉はエヴィヘットを挑発するような色が見受けられる。

「僕の魂はきみを敵と見做した」エヴィヘットは言う。「ここから早急に立ち去るように」

 亡霊王の魂がエヴィヘットに教える。ケルレウスの言うように、かつて亡霊王とケルレウスは敵対していた。それがエヴィヘットの肌を痺れさせたのだ。

「私は心を入れ替えたのです。魔族と敵対しようというつもりはありません」

「じゃあ、どうしてここに?」

「私を亡霊王殿下の眷属の末席に加えていただきたいのです」

「どういう風の吹き回しですか」

 ステュルカもまだ警戒を解いていない。ケルレウスの表情は穏やかで、先ほどまでの敵意を消している。それでも、騎士たちは剣をしまうことはできなかった。

「私とてものを考えます。魔族は守りを固めるべきです」

「どういうこと?」

「先日、人間の勇者が王宮に攻め込んだそうですね。人間が再び魔族を敵視しているのです」

「けど、勇者は捕らえた。勇者ほどの脅威となる人間はいないんじゃない?」

「あの勇者軍は先発隊。例え弱き人間だとしても、軍隊を組めば脅威となり得るでしょう。人間はさらなる兵を用意しています」

 確かに、とエヴィヘットは心の中で呟く。人間が魔族軍を凌駕する軍隊を作り上げれば、この国も多少なりとも被害が出ることだろう。魔族は人間より数が少ない。だが、量で押したとしても魔族が負けるとは思えなかった。

「勇者に勝る人間はいないはずだよ」エヴィヘットは問う。「あの三人は特別な力を持っている」

「あの者どもが異世界の人間のためでしょう」と、ケルレウス。「渡航の際に力を手に入れた……。ですが、異世界渡航者が彼らだけとは限らないのです」

「……確かに……。他に異世界渡航の成功者がまだいる可能性はある……」

 魔法の存在しない世界からの転移が成功したとなれば、魔法の存在する世界であればその成功率は上がることだろう。あの三人は魔法の存在しない世界の住人であったため、チート能力を手に入れたとしても、人間の中では他の渡航者に比べて能力値が低い可能性もある。人間の国がさらなる勇者を隠し持っていてもおかしくないのだ。

「人間はいずれ、この国へ攻め入ることでしょう」と、ケルレウス。「揺るぎない魔王軍を結成する必要があります」

「……けど、亡霊王()ときみが対立していたのはなぜ?」

 亡霊王がケルレウスと戦い、その末に封印したのであれば、それは明確に敵対していたということ。そのような存在に心を許すには、まだ時間を要することだった。

「記憶まで引き継いでおられるわけではないのですね。私が魔族を食糧としていたためです。竜族は人間や魔族を主食とします。亡霊王殿下は、私の行いを看過できず、私を封印したのです」

 エヴィヘットは背筋がぞくりと寒くなった。だが、先ほどの竜の姿を思い返せば納得だ。魔族だろうが人間だろうが、簡単に丸飲みできてしまうのだろう。

「その封印はどうやって解いたの?」

「数日前、私は目を覚ましました。おそらくですが、亡霊王殿下のお目覚めに引き寄せられたのかと」

 亡霊王は百年前の抗争で魂を失った。それがエヴィヘットの魂を宿し、以前の亡霊王とは別の者として目覚めたことで、封印の実績が解除されたのかもしれない。エヴィヘットに想像できるのはそれくらいだった。

「私に魔族と敵対しようというつもりはありません。いまは人間軍の侵攻を防ぐため、手を取り合うべきだと存じます」

「……話はわかった。けど、魔王陛下に伺わないと、僕には判断ができない。まずは魔王陛下と謁見してもらうよ」

「かしこまりました」

 ケルレウスは深くこうべを垂れる。エヴィヘットは手振りで騎士隊の警戒を解いた。ケルレウスから偽りの気配は感じられなくなった。

「グラディウス。陛下にこのことをお伝えして。僕はここで待ってる」

「承知致しました」

 グラディウスは辞儀をして姿を消す。フォンガーレ王はすでにダイニングに到着しているはずだ。すぐに謁見の準備が整うことだろう。それまでのあいだ、エヴィヘットはケルレウスを見張っている必要があった。ケルレウスと真面まともに戦うことができるとすれば、かつて竜王を封印した亡霊王である自分だけだろうと考える。謁見の準備が整うまで、警戒を解くことはできなかった。




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