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第3章 亡霊王の魂【2】

 騎士団の訓練の視察が終わり城内に戻ると、さて、とエヴィヘットは首を捻った。

(昼食までのあいだ、何をしていればいいのかな)

 亡霊王のチートがある以上、エヴィヘット自身が鍛錬してもあまり意味はないだろう。チートは魂に備わっている。体を鍛えたところで能力値がより向上するのか、それは甚だ疑問だった。騎士団と訓練をともにしてもいいが、訓練のあいだ中、亡霊王がそばにいては、騎士たちが気疲れしてしまう。エヴィヘットとしては、人に気を遣わせることは好ましくなかった。

 今日はフォンガーレに呼ばれていない。いつもとは違う公務に出ているのかもしれない。そうなると自分は本当に暇なのだと、エヴィヘットはひとつ息をついた。

「殿下、お時間がおありのようでしたら、書籍室に行ってみませんか?」

 エヴィヘットが暇を持て余そうとしている空気を感じ取ったのか、グラディウスが彼を覗き込んで言った。ヴォラトゥスが同行していることに申し訳なく思い始めた頃だった。

「書籍室……。そうだね。もう少し、この国に関する知識が必要だ」

「ご案内いたします」

「あ、ヴォラトゥス」

 先を歩き出そうとしたヴォラトゥスが、エヴィヘットに呼ばれて足を止める。振り向いたその顔には優しい笑みが浮かべられており、エヴィヘットは、こんなに優しくされたことは人生で初めてかもしれない、とそんなことを考えていた。以前の人生では、ということである。

「昼食までのあいだ、僕にやることはある?」

「いえ。ご自由にお過ごしになられて結構ですよ」

「じゃあ、ヴォラトゥスは陛下のところに戻っていいよ。僕はグラディウスと一緒に書籍室にいる」

 ヴォラトゥスは少しだけ目を丸くしたあと、恭しく辞儀をした。

「仰せのままに。お心遣い、痛み入ります。また昼食の際に伺います」

 ヴォラトゥスはグラディウスに目配せし、またエヴィヘットに辞儀をする。ヴォラトゥスが去って行くと、こちらへどうぞ、とグラディウスが促した。エヴィヘットは、魔王国の勉強はもちろんのこと、異国の書物に触れることが楽しみだった。以前の世界にあった小説のようなものはないかもしれないが、エヴィヘットは本であればどんな本でも好きだと断言できる。興味があればなんでも読む。まさに本の虫だった。

 グラディウスの案内で訪れた書籍室は、エヴィヘットが想像していた“図書館”の三倍はあるのではないかと思うほど広かった。数えきれないほどの本が、数えきれないほどの棚に、所狭しと並べられている。いくら長命の魔族となったと言えど、不死ではない。その一生を懸けても読み切れるかどうかという量に、エヴィヘットはわくわくしていた。

「すごい量だね」

「国中から集められた本です。この書籍庫だけは、一般の魔族も立ち入ることが許されているんですよ」

 グラディウスが指差した先に、外に面したガラス張りのドアがある。その向こうは街に繋がっているのだろう。いまは誰もいないようだが、ここに来ればきっと困ることはないだろう。必要な知識がすべて集まっているのではないかと思わせるほど、本棚は端から端までびっちり本で埋まっていた。

「まずは何から勉強したらいいかな」

「どうぞお好きな本をお読みください」

「そんなこと言われると、勉強じゃなくなるよ」

「構いませんとも」

 グラディウスは朗らかに微笑んでいる。エヴィヘットが本好きであることはすでに見抜いているらしい。とは言え、亡霊王という称号を持ち、騎士団を率いている現在、ただ娯楽のためだけに時間を使うわけにはいかない。グラディウスによれば、本を私室に持って行くのも許されるらしい。娯楽は寝るまでのあいだの楽しみに取っておくのも悪くないだろう。

 どの本を読むかと吟味していたとき、ふと、足が勝手に動き出した。目は本の背表紙を捉えたまま、足はエヴィヘットを書籍庫の奥へ導く。書籍庫の奥には、古い木製のドアが待ち構えていた。そのドアの上にプレートが貼られている。

「禁書区……?」

「ここには王室の黒い歴史や、戦争の作戦の記録などが残されています。許可のない者の目に触れることがないよう管理された部屋です。こちらが鍵です」

 グラディウスが宙に手のひらを向けると、小さな光の中から鈍色の鍵が出現する。グラディウスはそれを、躊躇うことなくエヴィヘットに差し出した。

「僕が入ってもいいの?」

「はい。殿下はこの国のことを知り尽くす権利をお持ちですから」

 エヴィヘットは少々緊張しつつ、鍵を錠に差す。エヴィヘットはまだ、この国について知らないことが多い。この部屋には、この国のすべてが隠されている。亡霊王として、この国について熟知する必要がある。その責任のようなものが、エヴィヘットの丸い肩に圧し掛かるようだった。

 禁書区はエヴィヘットの想像に反して綺麗な部屋だった。掃除が行き届いており、高い本棚に並べられた本、窓際に置かれた机には埃ひとつなく、明るい陽を取り込むカーテンも清潔なものだった。

「よく手入れされてるね」

「大事な書物ばかりですから。黒い歴史に関する書物だろうと、国史は国史です」

 エヴィヘットは入り口から順番に書物の背表紙を眺めた。年代順になっているようで、亡霊王が魂を失った百年前の戦いに関する書物はすぐに見つかった。

 本を手に取ったエヴィヘットを、グラディウスは窓際の机に促した。少し窓を開けると、涼やかで穏やかな風が室内を吹き抜ける。読書にはもってこいの気候だった。

 最初のページには、戦争に入る前の魔王国のことが書かれていた。当時から王座に就いていたのはフォンガーレ王。その時点で、王座に就いてから百五十年が経っていた。フォンガーレが王となったとき、各地で暴動が起きたらしい。このとき、魔王には候補が三人いた。フォンガーレは三人兄弟で、そのときは長男で決まったと言ってもいいほどの空気であったが、フォンガーレは若者から多くの票を得ることとなった。フォンガーレの政策は若者たちの支持を集めた。それまで魔王国は凝り固まった政治であったため、若者たちはその均衡を崩すフォンガーレに期待したのだ。しばらくは各地で暴動が起きていたが、フォンガーレは根気強く国民に訴え続けた。その真摯な姿に国民たちは胸を打たれ、いまではほとんどの国民がフォンガーレを支持していると言っても過言ではない。

(フォンガーレ王陛下は最初から実力で押したわけじゃないんだ)

 そのとき、ふと、エヴィヘットの脳裏に輿に乗り民に手を振るフォンガーレの姿が浮かんできた。エヴィヘットの視点はフォンガーレを左後ろから眺めている。フォンガーレを乗せた輿は、紙吹雪が舞う中を進んでいく。おそらく就任のパレードだろう。

(……いまのは……もしかして、亡霊王の記憶……?)

 亡霊王が魂を失ったのが百年前。この時点で、フォンガーレはすでに就任から百五十年が経っていた。このときすでに、亡霊王はフォンガーレの配下だったようだ。

「失礼いたします」

 穏やかな声が聞こえ、エヴィヘットは顔を上げる。モーネがお茶を運んで来るところだった。集中していて気付かなかったが、どうやらグラディウスが指示を出したらしい。グラディウスもモーネの背後から部屋に戻って来た。

「ありがとう、モーネ」

「どうぞごゆっくりなさってください」

 モーネは恭しく辞儀をして去って行く。グラディウスはエヴィヘットの背後に控えるようだった。

 エヴィヘットは書物に意識を戻す。次の項目は百年前の人魔抗争について書かれていた。

 百年前、人間はすでに魔族を敵視していた。その理由としては、魔族が人間の脅威となり得るため、とされている。魔族は人間より優れた能力を持っている。魔族にとって、人間の国ひとつを滅ぼすのは簡単なことであった。魔族と人間は互いの領地に踏み込まないという条約のもと、不戦の均衡を保っていた。それを崩したのが魔王国と隣接する人間の国であった。人間は魔王国の国境にある小さな町から攻撃を始めた。魔族としても民に手を出す者を野放しにしてはおけず反撃。それをきっかけに戦争が始まることとなった。人間軍は一団となり、王都を目指して徐々に進行した。人間はひとつにまとまらなければ魔族とまともに戦うことができない。このとき、亡霊王はすでに戦地に向かっていた。魔族軍は防衛に徹底して民を守り、亡霊王と人間軍の邂逅を待った。そして、亡霊王は数百人と交戦し、魂を失った。亡霊王という切り札があったため、魔族軍は民の被害を最小限に抑えることができた。亡霊王の表面的な死は魔族にとって損失であったが、魔族は亡霊王の目覚めを待った。

「ねえ、グラディウス。亡霊王は魂を失ったけど、遺物として鎧が残ったんだよね」

「はい」

「魂を失っても、亡霊王は完全に消滅したわけではなかったってこと?」

「仰る通りです。亡霊王殿下は魂を失いましたが、核を失うことはなかったのです」

「核?」

「はい。魔族には魂とは別に核を所有しています。その核を失えば、魔族は完全な死を迎えます。亡霊王殿下の核は自分です」

 なるほど、とエヴィヘットは呟く。グラディウスは亡霊王の遺物である鎧とともに百年の眠りに就いた。亡霊王の核として鎧に留まり、亡霊王の生命を維持していたのだ。戦いでグラディウスが折れていれば亡霊王は死に、こうしてエヴィヘットが亡霊王となることもなかった。亡霊王は、魔王国も、自分の()も守ったのだ。

「でも……前の亡霊王は、本当にすごい人だったんだ。僕なんか、数百人の人間軍をひとりで相手取るなんて、きっと無理だな」

「現状ではその通りでしょう。ですが、亡霊王殿下の魂がその御身に定着すれば、それは無理な話ではなくなりますよ」

「うーん……」

 亡霊王が人間軍を壊滅させると、人間側の降伏により争いは集結した。それから百年、魔族と人間は膠着状態にある。歩み寄ろうというつもりはどちらにもなかった。それでも、人間軍は魔王国の切り札に隠された亡霊王の存在を知った。再び攻め入るのは容易なことではないだろう。

「……亡霊王は、魂を失ってでも魔族を守りたかった……」

 頭の中に浮かぶ思いが心に流れ込んで来る。グラディウスはただ微笑んでいた。

「それが、亡霊王の矜持だったんだね」

「亡霊王殿下は民思いのお方でした。愛する民のため、そして魔王陛下のため、粉骨砕身の覚悟で戦いに挑まれたのです」

「立派な人だね。僕もそうなれるといいんだけど……」

「きっとなれますよ。エヴィヘット殿下は、あの愚かな三人組に慈悲をお見せにならなかったのですから」

 亡霊王は人間に対する慈悲を持ち合わせていない。それはエヴィヘットも同じこと。もともと人間だったというのに、あの三人組と戦っているとき、なんの躊躇いもなく剣を振るった。情などというものはない。それはきっと、亡霊王という称号がそうさせるのだろう。

「あの三人はどうなったのかな」

「エヴィヘット殿下はご覧にならないほうがよろしいでしょう」

「そう……」

 エヴィヘットとあの三人は、もうすでになんの関係もなくなっている。この国にとって、あの三人は歴史に遺ることもない。あの三人には相応しい結末だ。それも、亡霊王となったこの魂がそう思わせるのかもしれない。




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