第4章 竜王ケルレウス【1】
玉座の間に通された竜王ケルレウスは、躊躇うことなくフォンガーレの前に跪く。エヴィヘットはいまだケルレウスへの警戒を解くことができず、グラディウスとともにそばに控えた。フォンガーレはゆったりと肘掛けに頬杖をついている。その姿は王に相応しく、ケルレウスに対する敵意はないように見えた。
「久しいな、ケルレウスよ。実に百五十年ぶりか」
「はい。こうして魔王陛下に再び相見えることができ、身に余る光栄にございます」
ケルレウスは人畜無害に見える。だが、以前の亡霊王が封印したという経緯に、エヴィヘットは不信感を懐かざるを得なかった。
「して、どこにも属さぬお前がここへ来た理由は?」
「亡霊王殿下がお目覚めになられたということで、一目お会いしたかったのでございます」
ケルレウスは跪いたまま、横目でエヴィヘットを見遣る。その視線に害意や敵意は感じられず、ただ純粋にそう思っていることがエヴィヘットにもわかった。
「かつて亡霊王とお前は対立していた」フォンガーレが言う。「エヴィヘットはお前に会いたくなかっただろうな」
「承知しております。ですが、百五十年前の亡霊王殿下と現在の亡霊王殿下は別のお方……。一度お会いしてみたかったのです。あわよくば従属の末席に加えていただきたく存じます」
ケルレウスの薄い笑みには、王を欺こうという色は見えない。エヴィヘットはケルレウスが自分を油断させて亡霊王に復讐する腹積もりではないかと考えていたが、この表情にはそんな魂胆があるようには見えなかった。
「この城に勇者が攻め入ったとお聞きしました。この先、人間は魔族との争いを選ぶでしょう。そのとき、私の力がお役に立てるのではないでしょうか」
エヴィヘットはケルレウスの実力を知らない。フォンガーレの様子から察するに、その言葉は偽りのものではないようだ。
「エヴィヘット、お前はどう思う」
フォンガーレのその問いは、エヴィヘットに緊張をもたらした。こういうとき、エヴィヘットは自分の意見を求められるのが苦手だ。
「僕にはなんとも……。僕は竜王の実力を知りません」
「でしたら、しばらくおそばに居させていただけませんか?」
ケルレウスの黒を帯びた濃い赤の瞳が、真っ直ぐにエヴィヘットを見据える。その表情は期待に満ちていた。
「私が信用に値するかどうか、それを証明する機会をお与えください」
「目的は何? ただ人間と戦うためだけではないんでしょ?」
「それだけではいけませんか?」
ケルレウスが爽やかな笑みになるので、エヴィヘットは思わず気圧されたように引いてしまった。それは心からの言葉だった。
「私は人間を主食とします。魔族に仇為す存在であれば、食ってしまっても問題はないでしょう?」
「僕は人間と争うつもりはない」
「けれど、人間はそうではありません」
ケルレウスの表情が真剣な色に戻る。ケルレウスがそう答えることは、エヴィヘットにもなんとなくわかっていた。
「人間は必ず再び攻め込んで来ます。そのとき、民を守らなければなりません」
エヴィヘットは考える。ケルレウスの言うことは正しい。フォンガーレは「人間が魔族を一方的に敵視している」と言っていた。書籍室での資料によれば、人間は不定期的にこの国へ攻め入っている。百年前の戦いでは、亡霊王がひとりで人間軍を蹴散らした。だが、人間の侵攻はそのあとも続いたらしい。ほとんど小競り合いのようなものであったが、今回のように勇者を名乗る者が現れれば、百年前と同規模の争いが起きる可能性は否めない。そのとき、魔王軍にもそれを打ち破る力が必要だ。
「……わかった。けど、僕は積極的に人間と争おうとは思わない。二度と人間を相手取ることがなかったとしても、陛下と僕に忠誠を誓える?」
「もちろんです。隷属契約をお結びいただいても構いません。魔王陛下、亡霊王殿下への終生の忠誠を誓います」
「契約については私が判断を下す」フォンガーレが言う。「まずはエヴィヘットの信用を勝ち取れ」
「はっ」
ケルレウスは深く頭を垂れる。その姿は偽りではない。ケルレウスは百五十年、亡霊王の手によって封印されている。いまの亡霊王であるエヴィヘットは、異世界転生のギフトとしてチート能力を持っている。再び封印することも可能だろう。ケルレウスは、そのことを敏く感じ取っているはずだ。
フォンガーレが軽く手を振る。それに合わせ、ケルレウスは立ち上がった。ケルレウスの姿勢に、フォンガーレは満足したようだった。
「勇者という者たちに会わせていただけますか? ご安心を。取って食おうという気はございません」
「僕も同行します。少し様子を見て来ます」
「うむ。では、ヴォラトゥス。お前も同行しろ」
「かしこまりました」
こちらへどうぞ、とヴォラトゥスが歩き出す。エヴィヘットとグラディウス、ケルレウスはそれぞれフォンガーレに辞儀をして玉座の間をあとにした。あの三人がどうなっているか、エヴィヘットはその報告も受けていない。特に興味があるわけではないが、ケルレウスには同行する必要があるだろう。
ヴォラトゥスの先導で地下牢に行くと、勇者を名乗ったあの三人はまだ牢屋に閉じ込められたままで、憔悴しきっているのがよくわかった。エヴィヘットの姿を認めた三人は、恨みがましい視線を彼に向ける。
「お前、何様なんだ」タクヤが唸るように言う。「どうして俺たちがこんな目に……」
「絶対に許さない」と、ミカコ。「こんな目に遭わせたこと、後悔させてやるわ」
タカオは相変わらず壁際で震えている。タクヤとミカコほどの気力は残っていないらしい。
「僕は許される立場ではないよね」エヴィヘットは言う。「許しを乞うのはそっちだよ」
「お前がその能力を手に入れたのは俺のおかげだろ!」
噛み付くように言うタクヤに、おやおや、とケルレウスが悩ましげな声を漏らす。
「亡霊王殿下がお目覚めになられたのは、この者たちのおかげでしたか。とても活きが良いですね」
その途端、ひい、とタカオが甲高く息を呑んだ。
「こ、こいつ……竜王、ケルレウス……!」
震える声で言うタカオに、タクヤとミカコも目を見開いてケルレウスを見つめる。
「おや、よくご存知で。亡霊王エヴィヘット殿下の新しい従属です。以後、お見知り置きを」
「……なんで、お前が……」
項垂れたタクヤが、大きく揺れるほど檻に拳を叩きつけた。見張りの兵が槍を突き付けるのも気に留めず、涙目でエヴィヘットを睨め付ける。
「お前なんて、なんの力も持たないくせに!」
「なんと無礼な。エヴィヘット殿下――」
「食べちゃ駄目」
冷静に言うエヴィヘットに、さすがのタクヤも喉を引き攣らせた。ミカコも言葉を失い、怯えた視線をエヴィヘットに向ける。
「この三人は生かしておく必要があるんだ」
「さようですか。では仰せのままに」
エヴィヘットがいなければ、ケルレウスはグラディウスやヴォラトゥスに止められても聞く耳を持たずに三人を食っていたかもしれない。この三人にとってエヴィヘットは恨むべき相手であるが、エヴィヘットによって生き永らえていることには気付いていないらしい。
「……ふざけるな……。俺たちをもとの世界に帰せ!」
鬼気迫るその表情は、もとの世界のエヴィヘットであれば怯えていたことだろう。亡霊王の魂を有するいま、それが恐るべきものではないことがよくわかる。彼らを捻り潰すことは、いまのエヴィヘットには簡単なことなのだ。
「きみたちは望んで転移したんだよね」エヴィヘットは冷たく言う。「僕は望んでいなかった」
タクヤたちがどこで異世界転移の方法を見つけたのかは知らないが、エヴィヘットは異世界転移など望んでいなかった。もとの世界でただ平穏に暮らせればそれでよかった。
「まして、きみたちの道楽で死ぬなんて。きみたちは僕の命を奪ったんだよ」
刺すような視線を三人に向ける。彼らの行為が許されざることであると思い知らせなければならない。心の底から後悔するほどに。
「その報いを受けるのは当然だよね。人間を殺した人間は裁かれる。当たり前のことだよね」
「それなら、お前だって俺たちを殺しただろ!」
「だから生き返らせてあげたでしょ」
「生き返らせれば許されると思ってんの⁉」
堪えきれなくなった様子で、ミカコが大粒の涙を零す。その姿に、ケルレウスが憂いの溜め息を落とした。
「なんて物分かりの悪い……。それはそちらの世界のルールでしょう。こちらへ来たのなら、こちらのルールに従わなければ」
タクヤとミカコは言葉を失う。この世界、特に魔族は人間のルールが通用しない。エヴィヘットが魔族となったいま、エヴィヘットに人間のルールは適応されないのだ。
「ま、私の胃の中で溶けるよりマシでしょう。溶けても生き返らせられるのですから」
ケルレウスは爽やかな笑みで朗らかに言う。それは三人に気力を失わせるほどの脅威であることは明白であった。もしエヴィヘットがこの三人と同じ立場であったなら、すでに気が狂っていたかもしれない。この三人は、チート能力で勇者となったことで、ある程度の胆力を持っているのだ。それが余計に自分たちを苦しめるとも知らずに。




