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真実

 私は一瞬呆然と立ち尽くした後、煙が襖の隙間から入って来るのを見て気を取り直すと、すぐに恋人を必死に起こしにかかった。


 幸い、何度か強く身体をゆすったところで、彼はようやく起き上がる。彼は状況を把握すると一言、簡潔に言った。


「逃げるぞ!」


 怯む私の手を取って、彼は寝室の隣にある風呂場に溜めてあった水を頭から被ると、私にもかけた。そしてそのまま煙で周囲が見えない廊下を走って抜けた。


 外に繋がる窓を手探りで探し、火の熱で熱くなった金具で手が焼けるのをものともせずに、窓を開くと、これまで聞いた中で一番大きな声で叫んだのだ


「助けてくれ!」


「助けて! 助けてください!」


 私も必死で叫ぶ。声が枯れるまで。炎の燃え盛る音に負けないように。


 先に逃げ出していたアパートの住人の一人に、私たちの声はどうにか届いた。そこから先はあまりはっきりとは覚えていないが、私も、私の恋人も——数ヶ月後には夫になったのだが——現在も生きている。


 煙を多く吸ってしまっていたから、多少の入院生活は余儀なくされたが、私は自身の身体が回復すると同時に、それまであまり近づきたくもなかったおじさんとおばさんの家へ行った。


 そして、私がまだ三歳の頃の悲劇を知ることになった。恐らくその記憶は私自身で封じ込み、その代わりに炎がトラウマとなって残ったのだろう。これは予想の範疇を出ないが、母がよく私を複雑な視線で見ていた理由もこの辺りにあるのではないかという気がしている。


 私は頭を下げて、おばさんに当時の話をしてもらった。彼女は今まで一度も見たことがないほど、大きな後悔と罪悪感をないまぜにしたかのような表情をしていたが、根気強く待っていたら、どうにか話し始めた。


「私の従兄は——あんたの父親は、あの女の不注意で死んだのよ。そう、あんたにそっくりなあの女の不注意で起きた火事で」


 その話を聞いて、火事のさなか頭をよぎった朧気な記憶が、現実のものであったことを確信した。


 私が三歳の頃、私が家族と住んでいた家は火事で燃えたのだそうだ。その火事で父は亡くなった。そして、私の兄も。怖がる私の身体を抱きしめて、私の代わりに燃えて死んだという人。私を愛し、自身の命と引き換えに私を生かしてくれた人。私がこれまで存在すら忘れていた、私の二つ年上の兄。その名前が、新だと聞いて、私はその場にほとんど崩れ落ちた。


 後から、後から、涙が留めなく零れてくる。知らなかった。今まで何一つ思い出せずにいた。


 彼の最後の表情が、「幸せに生きて」と言った声が頭から離れない。私に口付けようとして、そして躊躇ったのは何故だったの。私の兄であったことがあなたを躊躇わせたの。


 一つ一つ、全ての記憶が鮮やかに蘇ってくる。死んだ自分の代わりに生きている妹を見て、そしてその少女があろうことかその人生を終わりにしたいと言うのを見て、本当は何を思っていたのだろう。どうしてそんな我儘な私を憎まずに愛してくれていたのだろう。彼は、一体、どこまで優しい人だったのか。それなのに、私はその愛に応えなかったのだ。——けれど、シンは最後にはそれすらも許した。




 私がシンと出会ったのは火事の日が最後だった。そしてこの先もきっと二度と出会わないだろうことを確信していた。私はあの日、知らないうちに大きな岐路に立っていたのだ。彼と一緒に終わるのか、それとも彼を私の中から消し去って生きていくかの、とんでもない分かれ道に。私は生きることを選び、だからこそシンは終わりを選んだ。あるいは、私が終わりを選ばせた。


 私は、全ての真相を知ったその日から二度と、もう終わりにしたいだなんて思わなかった。幸せに、これ以上ないほど幸せに、大往生してみせる。彼の全てに報いるために。


 だから、いつか本当に終わる瞬間が来たら、どうか、もう一度私に会いに来て。その時は、私から彼を抱きしめて、口付けをあげる。驚いたあなたの顔を覗き込んで「愛してる」と言ってあげる。私だけじゃなくて、シンも幸せになれるようにと、かつての私は願ったのだから。

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