壺中天(こちゅうてん)その2
「そういえば、用件はまだ話していなかったわね」
おもむろに、太真様、いえ、姉弟子はおっしゃったわ。いえいえ、言ったわ。
「そうでした。いったいどんなご用件ですか? 太真様、いえ、姉弟子」
「これを、五行先生のところに届けて欲しいの」
そういって、姉弟子は座っていた長椅子の横にあった甕を指さしたわ。確かに部屋に入った時から気にはなっていたの。(なんで、甕があるのだろう?)って。
「その甕には何が入っているのですか?」
姉弟子は長椅子に横になりながら、長椅子のひじ掛けから腕を下に伸ばし、甕の蓋を指先でつつきながら話したわ。
「これはね、今回の件のお礼に、高さんが五行先生に『謝礼とは別に、何か欲しいものはないか?』と尋ねたら、先生が『お酒が欲しい』と言ったので用意させたものなの。先生曰く、『皇帝陛下がご愛飲なされている酒であれば、天下に並びうるもののない銘酒に違いない。それと同じものを是非一度試してみたい』と、切実に訴えたらしいわ。皇帝の許可はもらっているから大丈夫よ」
先生さぁ......もう何も言うことはないわ。
「あと、これね」
そういって姉弟子は私に茶色い巾着袋をくれたの。手に取った時に「ジャラッ」とした音が聞こえたわ。もしかしてお金が入っているのかしら?
「姉弟子、これって……」
「姉弟子からのちょっとしたお小遣いよ。ここに来てからまだ二週間だから、今月のお給金とかまだ頂いていないでしょ? せっかく街に出るのにお金がないと楽しめないものね。先生のとこへ行く道すがら、買い物でも買い食いでも楽しんでくるといいわ」
「姉弟子、ありがとうございます!」
姉弟子はなんて良い人なのでしょう。こんな良い人を悪く言う人がいるなんて信じられないわ。この人に付いて長安に出てきて本当に良かった。もう、この人に一生ついていくしかないわね。そう、固く決心をした十五の冬でした。
「それでは早速先生のところにこの甕を届けてきます」
二週間ぶりに外に出れる(しかもお金有り)ということで、浮足立っていた私。それを見てにこやかに微笑む姉弟子。
「いってらっしゃい、気を付けてね。お土産もよろしくね」
「はい!」
早速私は甕を担いで太真宮をとびだしたわ。
「いざ、西へ!」
大きな甕を担ぎ、薄気味悪い鼻歌交じりに跳ね回る少女の幽霊が官庁街に現れるという噂を聞いたのは、数日たってからのことでした。
ーー✳︎ーー✳︎ーー✳︎ーー
(西市に行ってみようかしら?)
長安は、東西あるいは南北にまっすぐに走る道路によって区切られ、碁盤の目のようにきっちりと区画整理された計画的な街。
朱雀大路をはじめ、長安にはいくつか人が多く集まりにぎやかな通りや区画があったけれど、中でも有名だったのは、市と呼ばれる繁華街。街の東と西に、それぞれ東市と西市という二つの市があったわ。
先生の建てた新しい道勧『霊泉観』は、西市の向こう側にあったわ。ちょうど通り道だし、西市で寄り道するのも悪くはないわね。
朱雀大路を横切り、そのまま西に少し行ったところに西市はあったの。
東市は、貴人や官人たち向けのお店が多かったのに対し、西市は庶民や外国人向けの雑多なお店であふれていたわ。
そう、西市は、胡や吐藩などの西国の人たちや、朝鮮や日本など、東の異国から来ている人たちも大勢いたの。まさに、国際都市って感じね。
「うわぁ、凄い」
思わず声に出してしまうほど、お店の種類と数、そして人も多かったわ。
生活用品や食料品を売るような、普通の庶民向けのお店も多かったけど、宝飾店みたいな高級品を扱っているお店も結構あったの。
これらのお店は見ているだけでも楽しい。ちょっと宝飾店に入ってみたのだけれど、きらびやかでとても華やか。まるで、天界にでも迷い込んだかのよう。
宝飾店には、金や銀、真珠などで装飾された、高級そうな首飾りや指輪なんかが多かったわね。
(さすがに手が出ないわね)
姉弟子に頂いたお小遣いくらいじゃ、とても買える値段ではなかったわ。でも、見ているだけでも楽しい。
(この大きな水晶玉は何に使うのかしら? お部屋の飾り? それとも占い?)
花模様などを彫刻した櫛、簪、これらは私でも手が届きそうね。燕雀にお土産に買っていってあげようかしら? 帰りにでもまた寄ってみよう。冷やかしはこのくらいにして、他のお店も見てみようかしら?
宝飾店を出て他のお店も見てまわる。
(飲食店も多いわね。でも、扱っている食材や料理は多彩だわ。あれは、何? 外国の料理かしら?)
外国といえば、外国の宝飾品や雑貨、衣類や日用品を扱っているお店や露店もたくさんあったわ。
段通(中国のじゅうたん)のもとになったと言われる、波斯絨毯。無造作に露店で山積みになっていたから、姉弟子のお土産になるかと思って値段を聞いてみたら......
「国が買えるわね、ペルシアおそるべし」
すごすごと引き下がるしかなかったわ。