勾魂使者(こうこんししゃ)その3
村長の娘さんの祝言からの帰り道で、李さんと張さんが遭遇したという「勾魂使者」。彼らはただ通り過ぎただけであったという。しかし、その不気味な出会いは、張さんをすっかり怯えさせるのに十分なものであった。彼は使者たちの姿が消えるや否や、悲鳴を上げながら夜の闇に消えていったという。
一方、李さんはというと、張さんの突然の逃亡に驚きながらも、ただ事ではないという緊張感の中、酔いもすっかり冷めてしまっていた。とはいえ、事態が全く理解できない李さんは、やや困惑しながらも一人家路を急いだのだ。
翌朝、李さんは張さんの家を訪れた。昨夜の様子が気になったのだ。張さんは家に戻っていて、夜の恐怖から幾分落ち着きを取り戻していたようだった。そこで、李さんは改めて昨日の出来事について問いただした。
張さんの話を聞きながら、李さんは半信半疑だった。仏教に深く帰依し、日々信心深い生活を送っている張さんが、そんな存在を信じるのも無理はないが、李さんには到底理解できない。結局、李さんは話半分に聞き流し、張さんも次第に落ち着きを取り戻していった。二人はそのまま解散し、日常に戻っていくはずだった。
だが、その穏やかさは二日後に大きく揺らぐこととなる。
「うちに勾魂使者が現れた」
張さんが突然、李さんの家を訪れ、震える声でそう告げた。張さんの表情は、かつてないほど青ざめていた。
「それは誰か他の村人の見間違えではないか?」
李さんはそう返してみたが、張さんは譲らなかった。
「いや、本物だ。俺の目で見たんだ……!」
どうやら、張さんは本気らしい。とはいえ、勾魂使者が何か直接危害を加えたわけでもない。李さんはとりあえず彼を落ち着かせ、しばらく様子を見るようにと諭した。しかし、それからというもの、張さんは毎日怯えた様子で李さんの家を訪ねるようになったのだ。
張さんは李さんの家だけではなく、村長宅をはじめ、村中の家をまわってはその恐怖を訴えていた。
そしてついに三日前、李さんは勾魂使者に冥府へと誘われた。村はずれの小さな湖で仰向けに浮かぶ張さんが、水汲みに来た村人によって発見された。
その話を聞いて李さんは愕然となった。勾魂使者を目撃した張さんが勾魂使者によって冥府へと誘われた。それであるならば、張さんと一緒に勾魂使者を目撃した自分もまた、次に勾魂使者に呼ばれるのではないか? と。
――李さんの話はここまでだった。話し終わった李さんは、その時の恐怖を思い出したのか、ブルッと身体を震わせていた。
「それでお前は怯えているというわけか、李よ」
と、先生が落ち着いた声で問いかける。
「はい、先生。張がああなった以上、次は私に違いありません」
李さんは真剣な顔つきで答える。先生はさらに訊ねる。
「しかしなあ、そうは言っても……お前、祝言の日以降、勾魂使者の姿を目撃したことはあったのか?」
「いいえ、先生。昨日までは決してそのようなことはありませんでした」
と、李さんは首を振る。
「『昨日までは』? つまり……昨日は見たということか?」
先生の声が少し鋭くなった。李さんは声を震わせながら告白する。
「はい。実は昨日の張の通夜の帰り道で、とうとう奴らに出くわしてしまったのです。あの白と黒の二人組に」
「それは見間違いではないのか?」
先生は慎重に尋ねる。
「見間違えるはずがありません。あの異様な姿は……」
張さんの通夜に参列しても、李さんは勾魂使者と張さんの死との関係を半信半疑でしか捉えていなかったという。しかし、昨日の帰り道で彼もとうとう、白装束と黒装束の不気味な二人組に遭遇したらしい。彼らは最初に出会ったときと同じように、李さんの前に現れ、静かに消えていった。
「彼らは何か言葉を発したか?」
先生がさらに詰め寄る。
「いいえ、先生。ただ白装束の長身の方が私を指さしたのです。まるで『次はお前だ』とでも言いたげに……」
李さんは不安を隠せないまま答えた。先生は一瞬、考え込むような表情を見せたが、すぐに李さんに向かって問いを続けた。
「ところで、張は村中で勾魂使者の目撃談を吹聴していたと言ったな?」
「はい。あちらこちらで話していました。今にして思えば、彼は助けを求めていたのかもしれません……」
「話を戻すが、昨日現れた勾魂使者は、最初に見たものと同じ奴らだったか?」
と、先生が再び確認する。李さんは言葉に詰まりながら答えた。
「遠目でしか見えませんでしたが……あんな奴らが何組もいるとは思えません、先生」
「まあ、そうだろうな」
先生は軽くうなずいた。そのやり取りを見ていた私も、なんとなく不安な気持ちが膨らんでくる。李さんは心配そうに先生の顔を見つめ、ついに尋ねた。
「先生、私はどうなるのでしょうか? 本当に死んでしまうのでしょうか?」
先生は穏やかな笑みを浮かべ、李さんに優しく語りかけた。
「李よ、心配するな。勾魂使者は今日にでも私が退治してやる」
その一言に、李さんの顔はみるみるうちに晴れやかな笑顔に変わった。村での先生の信頼は厚かった。方術に長けており、人柄も良い。だからこそ、彼がそう言うのなら――李さんも安心しきってしまったのだ。
「先生! どうか、どうか、お願いします!」
李さんは涙ながらに感謝を述べた。そんな李さんを安心させるためか、先生はにこやかに話題を変えた。
「ところで、李よ。村長の娘の祝言に行ったんだろ? どうだった? 美味い酒はあったか?」
「はい、それはもう。料理も酒も、この辺では滅多にお目にかかれないものばかりでして……」
李さんは急に明るくなり、祝言の話を始めた。おそらく先生なりに李さんを元気づけようとしたのだろう。しかし、その話の大半は酒についてだった。
私と李さんの奥さんは、そのやりとりを見て少し安心し、奥さんに誘われて客間でお茶を頂いた。お茶を楽しみながらの短い談笑が続き、しばらくして李さんの様子を見に寝室に戻ると、彼と先生はまだ話をしていた。今は昔話をしているようだった。
李さんと張さん、そして今回村長家に婿入りした吾さんの三人は幼馴染で、祝言もその縁で呼ばれたのだとか。昔の武勇伝や、宴会での暴露話など、彼らの昔話で盛り上がっている様子に、私は少しホッとしたものの、ふと心配がよぎった。
「先生、日が傾き始めました。そろそろ何か行動を起こすべきではありませんか?」
その問いに、急に真剣な顔になる先生。
「玉葉、悪いが彼らを呼んできてくれないか? 門を出てすぐ、塀のそばにいるはずだ」
「彼ら……?」
「そうだ、彼らだ」
先生は淡々とそう言った。