EP-013 SYNC ERROR: 黒のインビテーション
教団の『あの男』の後を付いて歩く。天パの男だ。
気分がすごく高揚していた。今なら何でもできる気がした。
だからこそ、人気のない、戦える場所に来たら『あの男』を叩く。その機会をじっと窺っていた。
住宅街を抜けたところにある駐車場に、男は入っていった。わたしは周囲を警戒しながら後に続く。その駐車場の奥まで歩いて行った後、そこに停めてある黒くて大きな車の前で『あの男』は立ち止まった。
「さあ、乗って」
車の後部座席側のドアを開けて、入るように促される。
さすがにそれは危険を感じるので、躊躇った。
車に乗ってしまっては、そんな狭い空間では戦えない。
教団のアジトを知るいい機会かも知れないけど、わたしが拉致られたり殺されるリスクの方が大きい。
「知らない人の車には、乗っちゃいけないってお母さんから言われているの」
「ぷっ、あははっははぁ……。きみ、そんな冗談も言えるんだね。あははっははぁ。ますます気にいったよぅ。じゃあどうしようか、歩いて行く?」
怒り出すかと思ったら、意外な提案をしてきた。どこまで本気なのかは知らないけど。
「案内したい場所って、遠いの?」
「そうだねえ。普通の人間が歩いて行くと――。二時間は掛かるかなぁ?」
二時間歩くのは、問題ない。
問題なのは、そんな長い時間こいつと仲良く歩いていく気になれないことだ。
「なぁ、早くしてくんないかなぁ? 僕は、早く帰りたいって言ったでしょ?」
どうする?
こいつだけでも、ここで倒しちゃう?
でもこいつ倒したところで、何も解決しないし。
『あの男』は話し終えると、わたしに向かって来る。
右腕で殴りかかるのはフェイント、本命は、左脚からの蹴り上げ。
『あの男』の挙動が、事前にはっきりと視える。
右腕のパンチを屈んで躱しながら、左脚の蹴りを転がって避ける。
「へぇ、きみって、見た目より速いんだねぇ」
『あの男』は、特に驚いた様子なく、呟いた。
「じゃあ、もう少し、スピードを上げようか」
あっという間に、アイツが目の前に迫っていた。
こいつの動き、先読みの時間を超えている?!
とにかく、奴との距離を取るために、勢いよく後ろに飛んだ。
でも、その間に何発か蹴りやパンチが当たっていたようで、腕や脚がじんじんと痛んだ。
「どうだい? 車に乗ってくれる気には、なったかい? なってくれないと、僕、不本意だけど、本気ださなくちゃいけなくなるからさぁー。きみも、痛いの嫌でしょう?」
さっきまでなんともなかったのに、急に身体が重く感じる。
『あの男』が突っ込んでくる。
何をしてくるのか、事前の動きも把握できない。
とにかくここは、アイツとの距離を取らないとね。今度は、右へ素早く移動して躱す。
『あの男』の突撃を躱せたものの、胸に刺すような痛みを感じる。心臓が激しく鼓動し、限界だと訴えている。手で胸を掴んで喘いだ。呼吸がまともにできない。身体がもう限界なんだ。
「はぁっ……、ぐっ」
さっきまで、全然余裕で勝てそうに思っていた自分を叱りたい。
全身が悲鳴を上げている。無理をし過ぎたんだ。
集中が途切れ、ゾーン状態が解除されていくのを感じる。
このままだと、やられる……
「よく躱したね。でも次はないよ。本気でいくからさ。死なないように、せいぜい気をつけな」
どうしよう……
『……ジ……ピ……ガ……ア……ィ……サマ――』
左耳から雑音が入る。
雑音? いやちがう!
シンクロア! そうだ、わたし、どうして忘れていたんだろう――。
「シンクロア! いままで、何してたの?!」
『おかえりなさい、愛衣様。先程まで、愛衣様に取り込まれておりました』
そういえば、以前にそんな事があった気がする。
どうしてこんなに高揚していたのか、今なら分かる。わたしは、気づかぬうちに『ゾーン』の奥に入り込んでいたんだ……。シンクロアと連絡が取れないほどに。
「なにぶつくさ言ってんの? 行くよ? このままだときみ、死んじゃうよ? いいの?」
「ちょっとごめん、タイム! 少しだけ待って。お願い!」
シンクロアと対話する時間を稼ぎたかったので、あいつに待ったを掛けた。
「おいおい、なんだよーいったい」
「すぐ済むから! いいでしょ! ちょっとぐらい!」
半ば強引に、破れかぶれだけど、待たせてみる。どうだろう? 待ってくれるだろうか?
「ああー、めんどうな女だねえきみは本当に……。じゃあ……少しだけだよ。ほんとに。次はないからね」
「ありがと」
あいつに礼なんて言うことになるとは、とっても癪だけど、いまは我慢。
「シンクロア、どうしたらいい?」
『現在、愛衣様のお身体は限界を超えております。これ以上の酷使は、修復不可能な損傷が発生する恐れがあります』
「この異常な身体の重さって、そのせい? シンクロア、どうしたらいい?」
『現状、あの男と戦って勝てる見込みはありません。しかし、あの男は、愛衣様を害する目的はないように思えます。ここは大人しく、彼の言う通り車に乗るのも有効かと。そして、時間を稼いで身体を回復させるのが最良の方法と思われます』
「あいつに従うの? すごくイヤ……なんだけど……」
『このまま戦うケースと比較した場合、従う方が勝算があります』
たしかに、このまま戦ったら負けちゃうのは、わたしにもわかる。
だったら、少しでも勝算がある方を選んだ方がいいよね。うん。
両手を軽く上げて、『あの男』に合図する。
「お待たせ……わたし、車に乗るわ。それでいいんでしょう?」
「わかればいいんだよう。はじめからそうしてくれてたら無駄な時間使わずに済んだのにさー。今度埋め合わせしてよねぇ」
埋め合わせってなんだろう? まさかデートしろとかじゃないわよね。ぞっとするんだけど。
わたしが車の方に近づくと、『あの男』は中に入るように促した。
中を覗くと、車の中はとても豪華だった。四人掛けの黒いシートに、中央にテーブルが設置されている。
これが映画で見たことあるリムジンってやつだろうか?
後部座席は、豪華そうなふかふかしたシートだった。
奥に乗り込むと、『あの男』も後から入ってきて、向かい側に座った。
横に座られるよりはいいけど、向かい側も、ずっと見られているようで落ち着かない。
「それじゃー出して」
後部座席からは遮られている運転席に向かって、『あの男』は出発するように命令すると、車は静かに動き出した。
窓の外は真っ暗で見えない。これは外が見えないように窓ガラスが黒く塗られているんだ。
わたしに、行き先を知られないためとかだろうか?
問題は、こいつらのアジトに着くまでの間、わたしはこの男の相手しないといけないのかということだった。下手に戦いにならないように、こいつを刺激せずに到着までやり過ごさないといけない。
シンクロアが修復しているわたしの身体が、万全になるまでの時間を稼がないと。
「さて、どうして、乗る気になったのかなぁ? なんか都合悪くなった?」
いきなり確信を突いて来た。小首をかしげなら、ニヤニヤした顔でわたしを凝視している。
しかし、こいつに弱みを見せたらだめだ。
「戦うの疲れたの。わたし、戦うの好きじゃないし。それにあなたと一緒。わたしも早く家に帰りたいから」
本心を混ぜながら、知られたらまずい事だけは隠す。
「なるほど。僕たち、気が合うね」
ぞくりとした。こんな奴と気が合うなんて――最悪だわ。
こいつに喋らせたら、気持ち悪い事ずっと言われそうだったので、こちらから話を振る。
「どのぐらいで着くの?」
「そうだねぇ。一時間ぐらいなぁ。まあ、僕と話してたら、あっという間さぁ」
こいつ、一時間しゃべり通すつもりなの? とても耐えられないわ。
「そんなに固くならなくていいさ。きみもよく知ってのとおり、僕は紳士的だよ」
「あなたの事、教えてよ」
特に興味はなかったけど、わたしの事をいろいろ聞かれないように、こっちから質問責めにしようと思っただけ。
「ん? なんだぃ? 僕に興味があるのかい? うれしいなあ。じゃあ、特別に教えてあげよう。僕はね、雲川昴成って言うんだ。つまらない名前だろう? だからさあ、みんなには、イジェクトって呼ばせてるんだよ。きみもそう呼んでくれていいよ」
自分の事を聞かれたのがそんなに嬉しいのか、こいつは実に楽しそうに話し始めた。
「そうそう、聞いてくれよー。僕はさ、こんなに頑張ってるのに、教団の奴ら、僕をただの使いっ走りにするんだよね。ひどいと思わない?」
「あはは……。それは、たいへんだね。あなた、えっと、イジェクトさんは、あんなに強いのに、下っ端なの?」
わたしはがんばって、話を合わせる。キャバクラ嬢のように……。って、キャバクラ嬢のことよく知らないけど……。なんか話に付き合って、相手をいい気持にさせる仕事? みたいな? 合ってる?
「僕は下っ端じゃないさー。きみ、ひどいねえ。僕はこれでも幹部の一人なんだよ? ただね、能力のある人ってのはさ、組織に使い潰される運命なんだよね。僕が優秀なのがいけないんだ」
「あ、そうなんだ。へえ……」
その後も、『あの男』は、目的地に着くまでずっと、意味のないくだらない話を喋り続けた。
どの音楽が最高だの、あの彫刻の造形は素晴らしいだと、よくわからない話まではじめた。
男の無意味なお喋りが続くあいだ、シンクロアは少しずつ、わたしの神経や筋肉を補修しているようだった。ここまでは計画どおりだった。
しかしその一方で、わたしは、この男の話に合わせてるだけで、すっかり精神が摩耗してしまった。
怒らせたら面倒。そう思って、必死に笑顔を作って話を合わせていた。
相手の機嫌を取るのって、想像以上に疲れる。夜のお仕事をする女性って、こんな気持ちなのかな。わたしには無理だわ。
「着いたようだね。さあ、降りようか」
『あの男』は素早く、後部座席のドアを開けて外へ出る。
「さあ、どうぞ」
そう言って、手を伸ばし、わたしが降りるのをサポートした。
「ど、どうも」
ぎこちなく謝意を示す。こういうところはいいんだけど……こいつでなければ。
「当然のことさ。女性をエスコートするのは紳士の役目だからねえ」
こっちへという感じで、右手で行く先を指す。
車を降りた場所は、足元は砂利が敷き詰められていて、少し歩きづらい。
周りは木々で覆われていて、山の上のようだ。夜風も冷たい。
男の後を付いて、砂利道を進むと、その先に、木造の社が見えてきた。
そこは神社の本殿のようだった。
そして、その本殿の中に男は入って行った。
「おいでよ。中に入るんだよ」
男に促されて、本殿の中に入る。こんなところに入ったのは生まれて初めてだ。
さらに本殿の奥まで進む。こんなところに入っていいのかと、少し緊張する。
ふつう神社の本殿の奥って入らないじゃない? こんな状況でなければ、あちこちを観察して周りたいところだけど、いまはこの男から目を離すわけにはいかないので仕方がない。隙を見て、逃げるか倒すかしないとだし。
突き当りに扉があり、男はそれを開けてその先へ進む。
付いて行くと、そこに地下へ降りる階段があった。降りていく先は、真っ暗でなにも見えない。
底知れない暗闇が、わたしの足をすくうように、ずっと下へ続いていた。
一歩踏み出せば、戻れないような気がした。それでも、行くしかない。帰るって言っても帰してくれないだろうし……
踏み出したその足先から、氷のような冷たい風が這い上がり、胸の奥にまで染み込んできた。




