第一話 情報売買人との邂逅
都内某所。
平日の昼下がりのカフェ。
昼時のピークから少し落ち着きを見せ始めた頃
テラス席でノートパソコンを開きカタカタとキーボードを打ち込み記事を書いている。
私、七瀬 一縁はウェブサイトや雑誌で様々な記事を投稿しているフリーランスライターだ。
今は午前中に取材したある事件の被害者との会話を記事にしている。
普段は新しくオープンしたお店を紹介する記事や結婚式で起きた珍事などを取材しているが
今回は気になった事件について調べている。
その事件は、歩道橋の階段上から何者かに突き飛ばされるというもの。
既に6件の同様の事件が発生していて被害者の中には頭部を強打し亡くなった人もいる。
その内の一人と連絡が取れて数時間前に会ってきたのだった。
3件目の事件の被害者:田辺 歩乃華。
彼女は午後8時頃アルバイト帰りに事件に遭った。
犯人の顔や姿も見ていなかったそうで、他に被害に遭うような心当たりもないと言う。
幸いな事に田辺さんは大きな怪我はなく、手と膝を擦りむいた程度で済んだようだ。
こうした事件は残念な事に時々起こる事があるが、警察への取材によると多くは喧嘩や悪ふざけらしい。
色々なところに取材をしたが、犯人に繋がる情報が一切ない。
防犯カメラにも全く映っていないと、この一連の事件を担当するベテラン刑事の三木 良隆が話してくれた。
三木刑事はベテラン刑事でありながらフランクな人で
事件解決のためなら外部の人間にも可能な限り情報を開示して捜査の協力を扇ぐような人だ。
この事件を調べ始めて早い段階で三木刑事にお会いできたのは大きかった。
ネットの情報をかき集めるよりも早くそして正確な情報を得られたからだ。
被害者に関しては今回の田辺さん以外は報道で名前を公開されるのを嫌って公表はしないとの事で教えてはもらえなかった。
なので、今回の取材までで得られた情報で記事をまとめてはいるものの
それ以上の情報は期待できそうにない…。続報の記事が出せなければ最悪の場合この記事自体がボツになりかねない。
この記事を出すのも早く犯人が捕まってほしいと願ってのものだ。
それも公開すら出来なければ全く意味のないものになってしまうし、私の収入もゼロになってしまう…。
進展が期待できず頭を抱えていると近くの席でコーヒーを飲んでいたスーツ姿の中年男性二人組の会話が耳に入ってきた。
歩道橋の事件、営業二課の佐伯の嫁さんやられたって聞いたか!?
今まさに自分が調べている事件の話に思わず振り向いた。
その話!(詳しく聞かせて下さい!)と言うよりも早くすぐ横を通り抜けて一人の男が目の前に入ってくる
「その情報、買わせて下さい!」
そう言うと男は懐から名刺を取り出しスーツの男性に手渡した。
私、インフォメーショントレーダーのモガミ と申します。
モガミと名乗る男を押しのけて自分も割って入る。
私もその話詳しく聞かせて下さい!
スーツの男性二人は突然の事に驚き顔を見合わせて固まっていた。
はっはっは。この情報は私が買い取るので君はあっちへ行ってくれ!
そんな風にモガミにあしらわれて黙って引き下がれる訳がない。
こちらは生活にも直結するのだ。そして何より犯人の逮捕を望んでいる。
取材を受けてくれるかどうかはこちらの方次第ですよね?
そもそもアナタに情報を売るとまだ決まった訳では…
と言いながらスーツの男性の顔を見ると少し言いづらそうに眉間に皺を寄せながら
買い取って…くれるなら…お値段次第では…
と少し眉を上げて言う。でも引けずに食い下がる。
もちろん!私も取材をさせて頂ければ謝礼は…
するともう一人のスーツの男性が口を開いた。
では、お二人に話してそれぞれ情報料を頂く。というのは…
それにすぐに頷き返事をする。
ダメだ!それは容認できない。とモガミが首を横に振って答える。
頑なな態度に諦め妥協案を考える…。
貴重なチャンスをみすみす逃すなどそれこそ容認できないだろう。
分かりました!ではモガミ?さん。あなたからその情報を買えば良いですよね?
もうそれしかないと藁にも縋る思いだ。だが、とんでもない額を請求されたら…
ふと頭をよぎってゾッとした。もしかしたらとんでもない事を言ってしまったのではと。
はは!と快活な笑いを漏らし得意げな表情を浮かべ顔をグッと近付けてきた。
良いだろう!後で連絡するから。とりあえず今すぐここへ行け。
そう言うと小さな手のひらサイズのノートから1ページを破り手渡してきた。
訳も分からずメモを見ているとモガミが早く行けと追い払うように背中を押された。
強引さに少しムッとしながらも僅かながらの抵抗でコーヒーとクロワッサンを頼んだ伝票をモガミに突き付け逃げるように退店した。
メモに記された住所に来てみたが、なんの変哲もない普通の住宅街の路地だった。
場所を間違えたのかと思いスマホで地図を開きもう一度確認をする。
確かに記された住所で合っているようだ。そこでふっと疑念が湧いてきた。
もしや、私を離すために意味のない場所に来させたのだろうか…
あー!やられた!そう叫んでモガミに文句を言おうとしたのだが
連絡先聞いてない!! 完全にハメられた…
せっかく次へ繋がる手がかりだったのに、情報を知っている人物の名前すら聞けなかった。
急に疲労感が全身を襲い立っているのも辛いくらいに感じた。
肩を落としうなだれていると急に手に振動を感じた。着信だ。
知らない番号に不審に思いながらも電話に出た。
「おう!迷わず着いたみたいだな」この声はモガミだ。
アナタ!騙したでしょう!
つい大声になってしまう。
それより自分の電話番号なんて教えていない…。
そう思うと同時にモガミが笑って続けた。
なんで番号知ってるかって?そりゃ情報を扱う商人だからな。俺は。
何を言っているんだこの男は…。個人情報を抜き取っているのか?犯罪ではないのか…
次々と疑問と怒りが湧き徐々に恐怖すら感じてきた。
アンタ何者…?
思わず口に出てしまったが聞くのも怖く感じる。
だから俺はインフォメーショントレーダーのモガミタカシだって。さいじょうにすうこうな…最上崇だよ!
そう冗談のように言って笑っているが得体の知れない人物に返す言葉もなく沈黙してしまった。
そろそろ時間だろう。後で詳しく話してやるから、とりあえず今はその住所の家の前で待て。
それだけ言うと電話は切れてしまった。
なによ…意味わかんない…
そうぼやきながらもとりあえず近くの電柱にもたれかかる。
そろそろ時間と言っていたが何の時間なのか。
何か起こるのか、誰か来るのか、何も分からないから不安でいっぱいだ。
時々自転車や宅配業者が通る事はあるが、何かが起こるような気配はない。
周りをキョロキョロとしているとこちらに向かって歩いてくる中年女性がいた。
ただの通行人ではなく明らかにこちらの顔を見ている。近くまで来ると中年女性の方から声を掛けてきた。
あなたが話を聞きたいって方?
どこにでもいるようなまさにおばちゃんという印象の人だ。
えっと…多分?
と曖昧な返事に中年女性も怪訝な表情になる。
最上さんというのはあなたですよね?と聞かれて慌てて答えた。
あ、えっと代理?みたいな感じだと…思います。私も詳しい話は聞いてなくて…
と素直に話すと中年女性の表情が少し緩んだ。
あらそうなの?まぁいいわ。とりあえず家に上がって!何もないけどお茶くらい出すわ。
と目の前の家の庭へと入って行く中年女性に着いていく。
そんなお気遣いなく。恐縮気味にお宅へお邪魔させていただく。
築30年くらいだろうか、懐かしい雰囲気の日本家屋だ。
初めて見る家なのにどこか実家のような感覚になる。
玄関を上がってすぐ横の客間へ通され用意された座布団に座る。
中年女性はすぐに奥へと消えて行ってしまった。
戻ってくるのを待つ間部屋をじっくり見まわす。
客間だから特に目を引く物はなくサッパリとしている。
お盆を手に中年女性が戻ってくると私の目の前に湯呑みと数種類の茶菓子の入った木製の椀を置いた。
こんな物でよかったらお好きにどうぞ。と言いながら中年女性もテーブルの反対側へ座る。
いえいえ!お構いなく!と頭を下げてから中年女性の顔を見て続けた。
えっと、まずはお名前を…あ!私はこういう者です。と慌ててカバンから自分の名刺を取り出し手渡した。
どうもご丁寧に…七瀬…ひよりさん?一つの縁と書いて"ひより"と読むのね。素敵なお名前
と朗らかな笑顔をしている。
ありがとうございます。私もこの名前は気に入ってます。と照れくささに少し笑いながら答えた。
それで、えっとお名前から伺っても宜しいですか?
三池 恵子です。お聞きしたいのは亡くなったサトミの事ですよね?
そこまで言うと恵子さんは明らかに暗い表情になった。
サトミさんは…娘…さんですか?すみません。話したくなければ言って下さいね。
歩道橋の事件の被害者であれば亡くなったのは2件目の事件の被害者だ。
転落時に頭を強く打って通行人が発見し病院に運ばれたものの亡くなってしまった。
でも他の事件、事故の話かもしれない…最上から何も聞かされていなかったから確証がない。
当時の状況を知りたいのですが、分かる範囲で構わないので。
何も知らない状態で話を聞きにきてると分かったら機嫌を損ねてしまうかもしれない…
とりあえず探りを入れてみよう…
娘は仕事を終えて帰宅途中だったみたいです。その途中の歩道橋で…最後に連絡を取ったのは事件の三日前で、その時は特に変化もなくストーカーとかそんな話も聞いたことはありません。
やっぱりサトミさんは帰宅途中に歩道橋で事件に遭った。あの事件に間違いはなさそうだ。
犯人について心当たりは全くない…という事ですか?
恵子さんの心情を思うと事件の話は聞きだしたくはないのだけれど…
そうですねぇ…。人に恨まれるような…そんな子じゃないんです、絶対。
少し目を潤ませて答える恵子さんにこれ以上聞いて良いのかと心苦しくなる。
分かりました。では、他に気になる事などはありますか?
うーん…と恵子さんが天井を見上げて考え込む。
会社でも順調に行っているみたいでしたしお付き合いしてるという人もいなかったようです。
犯人に繋がる重大な情報はないか…。
そうですか…。分かりました。他に話したい事がなければ今日は一旦これで。
とカバンを手に取り立ち上がる。
恵子さん、名刺に連絡先書いてあるので気になる事とか何でもいいので何かあれば連絡下さい!
そう言って廊下へ出ようとすると恵子さんがすぐに駆け寄って戸を開けてくれた。
ありがとうございます。引き続き犯人に繋がる手がかりがないか探ってみます。
と深々と頭を下げた。
こちらこそありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。
恵子さんも同じく深く頭を下げた。
三池宅を出ると家の塀にもたれている最上がいた。
あ!あなた!
思わず声が出た。
よう!どうだった?
まるで昔からの付き合いかのように軽く接してくる。
どうって…どうしてここが…って情報屋ですもんね。
聞いたって素直に教えてはくれなそうだと言っていて気付いた。
情報屋じゃない。インフォメーショントレーダーだ!
別に一緒じゃん…そう心の中で突っ込んだが、実際に言葉にしたら面倒そうだ。
まぁ…犯人に関しては何も。奥さんの心情を思うとあれこれ深く聞くのも気が引けて…
ため息をつく。
まぁどんな情報でも集めていけば必ず何か形になってくる。
そう言う最上の顔が少し凛々しく見えた。
何かを見据えているような目。
ふざけたおじさんと思っていたけど、この人にも芯はあるようだ。
まぁ引き続き情報収集あるのみだな!じゃあ俺は行くわ。
と言って私の制止する声も聞かずに去って行ってしまった。
はぁ~と深いため息が漏れて体から何かが抜けるような気がして急に全身がだるくなった。
もう夕方だ。暗くなる前に帰宅して今日の出来事を記録しておかないと…。
帰路の途中で歩きながら脳内で整理する。
歩道橋で突き飛ばす事件
亡くなった三池 サトミさんは2件目の事件の被害者だ。
そして午前中に取材をした田辺 歩乃華さんは3件目の被害者。
それとスーツの中年男性二人組が話していた営業二課の佐伯さんの妻。
そういえば最上からこの話について何も聞いていなかった…。
これも後ほど詳しく聞かねば…
この一連の事件の担当の三木刑事に亡くなった三池サトミさんについてまた聞きに行くのもアリかもしれない。
前回は何も情報がなかったけど、今回は名前が分かっているし母親と面識もある。
警察側でも新たに判明した事があるかもしれない。
あと最上 崇という人物に関しても調べてみる必要がありそうだ。
今のところ謎の人物でしかないし、あの人のペースに巻き込まれてる…
でもあの人ならもっと色々知っているのかもしれない…。
あぁ…凄く疲れた…もうすぐで家に着く。
もう着替えもせずにそのまま眠りたい気分だ。