04) ただの殺し屋 後編
「しかし、その若さで凄いな」
リュックをまじまじと見詰めながら、そう言ってしきりに感心する青年。言われた側のリュックは、雑談をしに来た訳ではないと背を向けたまま、ひたすら街路の奥の暗闇に集中している。
「それでさ、その百発百中の戦技。オレ達の間でもだいぶ話題になってるんだぜ」
「技に興味を持たれても困る。求めるべきは結果じゃないのか?」
「そりゃそうだけどさ、“誰もが瞬きしてる間に決まる暗殺術”なんて聞いた事無いし。それに言い方は悪いけど……リュックって貧民街出身だろ?戦技を授けてくれる師匠だっていないだろ」
……ましてや貧民なんて、セレスト教の祝福すら受けられないから、戦技なんて会得出来るはずが……
リュックを見詰める青年は、そう言おうとして慌てて口をつぐむ。あまりにもストレート過ぎて、リュックの不興を買ってしまうのではと警戒したのだ。
この青年が言うように、確かに【戦技】を会得するのは並大抵の努力では叶わない。先に戦技を会得した師匠に弟子入りして、血の滲む努力の末に会得するか、この世界の絶対神である“全能神セレスト”を祀るセレスト教に入信し、神官戦士としての祝福を受けなければ、戦技を授かる事は出来ない。
絶望的に魔力に乏しく、体格や体力が中庸で凡庸な人間種が「人外の者」と相対するには、体術を昇華させるしか方法は無い。そしてそれが叶うのは、ごく一部の剣士や神官戦士クルセイダー、または騎士団に属する者だけ。彼らは過酷な修行の果てに「ダブルスラッシュ」や「マルチプルスタブ」などの戦技をやっと自分のものに出来るのである。
だからこそこの組織の青年は、リュックの戦技に興味津々なのだ。どんな内容の戦技で、誰から授かったのか、、、それも今日生き延びられるか分からない貧民が、と。
リュックは好奇の視線を背中に感じながらも、一切意に介さず自分の仕事に集中している。
(戦技だと思ってくれてるなら、そっちの方が都合が良い)
背後の青年すら気付かぬほどの声で呟くリュック。しかしこの後に続くであろう二人の会話は成立しなかった。なぜならば、いよいよターゲットがリュックの視界に姿を現したからだ。
「来た、来たぞリュック!」
「静かに。そしてこの場で人の名を呼ぶのはもうやめろ」
ハッと我に返り口を手で押さえる青年。いくら深夜と言っても、まだ起きている者がいるかも知れない。そこで固有名詞を連呼していれば誰かが耳にしていてもおかしくないのだ。つまりそれはプロ失格、リュックを窮地に立たせる愚かな行いなのだ。
反省したのか一切の言葉を吐き出す事無く、リュックの動向を見続ける青年。『目標』は徐々に徐々にとこちらへ近付いて来る。
「二頭付きの立派な馬車、やって来た方向もあんたと同じ。ラファール商会の会長で間違いないな?」
濃霧に包まれた街路の先に現れたのは、馬車に据え付けられたランプのボンヤリとした明かり。霧に反射して丸々と拡散するその明かりは、まるでレンズ越しに覗いているような錯覚を起こしている。そしてそれに続いて見えて来たのは二頭の馬に引かれた立派な馬車で、従者が手綱を引くその後方の客車に老齢の紳士が座っているのが確認出来る。
「穀物貿易で財を成したラファール商会。表向きは適正価格で仕入れた穀物を適正な値段で王国各地に販売する仲買商。しかし裏では貴族と結託して人身売買を行う奴隷商人。色んな怨みを買ってもおかしくない奴って事か」
リュックが口にした言葉をそのまま読み解けば、奴隷にされた本人と家族の怨みや、人間が人間を家畜のように扱う事への社会的な怒りが内紛しているように思われるのだが、実はちょっとだけ違う。彼が口にした“色んな怨み”とは実は、競合相手や商売敵の事も含んでいるのだ。――つまりリュックが“組織”より依頼されて今ここにいるのは、社会的な正義の執行などではない事を自覚していたのである。
路地裏から見詰めるリュック
待ち受ける存在になど気付かずに蹄を鳴らして走る馬車
リュックがどう動くのか固唾を飲んで見詰める青年
この三者が最接近した時、事が起きた。
馬車に乗る紳士を睨むように見続けていたリュックが、何やら独り言を呟く。どうやら彼は「ディメンショ……」と言うような単語を口にしたのだが、背後の青年にも聞き取れないほどにか細く小さな声。しかしリュックがそれを呟いた瞬間に、突如馬車に異変が起きたのだ。
ギンッ!と金属同士が軋むような音が鳴り響き、馬車に乗っていた老齢の紳士の“首が消し飛んだ”のである。
手綱を握っていた従者は、最初それに気付かなかったのだが、とある理由を持って主人の異変に気付く事になる。
「……うん?雨が降って来た?」
自分の頬や手に液体が降り注ぎ、最初は雨が降って来たと感じた従者。振り返りながら「幌をお出しいたします」と語りかけるや否や、見るも無惨な主人の姿に盛大な悲鳴を上げながら腰を抜かしたのだ。
つまり従者の浴びた液体とは血液。カミソリ以上の鮮やかな切れ味で切断されたラファール商会会長の首から、ピュウピュウと吹き出る血液が、まるで雨のように従者を濡らしたのである。
「ひ、ひゃあああ!だ、だ……誰かあ……!」
腰が抜けて身動きが取れず、空気の漏れたような声で助けを求める従者。もちろんリュックたちの存在などに気付く訳がなく、リュックたちもそのまま街の暗がりに溶け込むように、闇へと姿を消した。
【ラファール商会会長殺人事件】
首から上の顔や頭部が行方不明となったこの事件は、あっという間に王都を席巻する話題に躍り出た。「姿の見えない暗殺者」「一瞬でもたらされる死」「首から上が行方不明」など、様々な謎を含むこの猟奇殺人的な殺人事件は、実はこれが最初ではない。実は過去にも同じケースが何件もあり、王都の人々はこれを「首狩り鬼の仕業だ」と噂し怖れてていたのである。だがその首狩り鬼の正体がリュックである事を知る者はごく僅か。そう、クライアントしか知らない事実であった。
組織などに属さず、単独で殺し屋を営む貧民のリュック。組織の構成員、リュックの顔を知る者たちは彼を『アサシン(暗殺者)』と誉めそやすのだが、彼はその賛辞に首を振る。
「アサシンなんかじゃないよ。俺のそれは洗練された殺しの芸術なんかじゃない。俺は人を殺して報酬を受けるだけの単なる殺し屋だよ」
そう言っては話を聞き流し、背中を向けながら街の雑踏へと消えて行くのであった。
◆ 苗字の無い暗殺者 編
終わり