12) 古き悪しき思い出
帰宅ラッシュが終わる頃。とある沿線の鉄道駅周辺は、夜の街に繰り出した老若男女で賑やかな雰囲気に包まれている。商店街のいたる場所にはクリスマスの飾り付けがキラキラと輝き、煌びやかな街灯りの下に行き交う者たちも、白い息を吐きながらも表情はどこかしら明るかった。
仕事帰りに同僚と一杯、会社の忘年会、久しぶりに集まった友人たちと、一足早い恋人たちのクリスマスなど……厚手のコートやマフラーで寒さを避けながらも、朗らかな空気に包まれる人並みの中、明るい雰囲気とは無縁そうな黒い影が一人、駅の改札から出て来た。
まるで黒い霧でも身にまとっていそうな雰囲気のその人物は学生。ブレザーの上には学校で指定された黒いコートを羽織り、それをペラペラと風で揺らしながら背中を丸めて歩く“冴えない”様相の少年だった。
寒さを弾き飛ばすかのような街の明るさと打って変わり、彼の表情や瞳には季節を楽しむ余裕が一切無い。改札から駅前のロータリーに向かう途中も、終始外界を遮断するように伏し目がちに歩き続ける様は、もはや歩道のタイルを数えているように見える。覇気も無ければ若々しさも無く、ただひたすら周囲の空気に当てられないよう心を閉ざしている。――それが欲を弾き飛ばす強固な意志から来ているのならば、それはそれで意志の強さを評価出来る。だが彼の負け犬のような弱々しい瞳からは“欲に振り回されたら、後が怖い”と言う恐怖が滲み出ているのだ。
何故この少年は意識して心を閉ざしているのか?そしてもし心を開いてしまった際に、どのような恐怖が待っているのか?……彼の歩むすぐ先に、その答えがあった。
「……隆弘!何もたもたしてるの!早く車に乗りなさい!」
駅前のロータリーで停車していた車の窓が開き、いきなり彼に向かって怒声が轟いた。声は年配の女性のもので、どうやらこの女性は少年の母親のようだ。
母親らしき人物の怒声を真正面で受けつつ、隆弘と呼ばれた少年は足取り重く“もっさり”とした動きで車に乗り込んだ。
「模試受けなかったそうじゃない。あなたは一体何を考えてるの!」
隆弘が助手席に乗り、車が走り出した途端に母親のカミナリが落ちる。もうそうなる事を承知していたのか、隆弘はどんよりとした表情でうつむいている。
「何とか言いなさい!もう受験まで後一年ちょっとしかないのよ!」
「……ご、ごめんなさい」
「おかしいと思ったのよ。模試の結果表を落としたなんて、ウソついたでしょ!カバンに入ってるのにそれだけ落とすなんて考えられない。成績が悪くてお母さんに見せようとしないか、わざと捨てたかしか有り得ないでしょ」
「……ごめん」
「おかしいと思ったから、私進学塾に電話したのよ!そしたら隆弘君は模試を受けてないって……一体何を考えてるの!」
帰路につく車内に響く怒声。母による“大”お説教タイムは永遠を感じられるほどに延々と続き、隆弘の心を痩せさせる。――弁解しても徹底的に怒られる、反省の意を示しても徹底的に怒られる。母親の怒りが収まるまでの間は、何をしても全てが逆効果なのだ。
隆弘はこの母親を心底嫌っていた。だからと言って父親に傾倒していた訳でもない。子育てに全く興味を持たないどころか、母親とも不仲で家庭内別居の状態が続いている。幼い頃から父親とロクに会話も交わさなかった隆弘にとっては、父親など同じ屋根の下で生活するだけの“おじさん”でしかなく、接点はその程度だったのだ。だからこそ隆弘にとっては、母親の強烈な介入が心の重みになってしまったのである。
「サッカー部に入りたい?あなたにスポーツは必要無い。高校受験から逃げてる!」
「吹奏楽に興味がある?あなたに趣味は必要ない。大学受験から逃げている!」
「隆弘、このアプリ内課金って何?ゲームは今すぐ削除しなさい!嫌ならスマホは解約します!」
「ネットテレビ?受験勉強に必要無いでしょ!」
「友達に誘われてる?あなたの受験勉強を邪魔する友人なんか本当の友人じゃない。今すぐ縁を切りなさい!」
幼い頃から隆弘の希望や主張は全て却下され、常に母親に従うよう強要された。そしてそれに続く言葉が、お前は東大に入ってキャリア官僚を目指せ、あの憎き父親を超えるのだと私怨タラタラ。“結局俺は自分の思い描く人生を歩む事を否定され、気に食わない夫への当て擦りに利用されてるだけなんだ”と、耐えるだけの日々を過ごすしかなかったのだ。
(俺は母親が嫌いだった、無関心な父親よりも嫌いだった。だけど彼女を説得して自分の道を進む勇気が無かったのも確か。模試から逃げたのがバレたあの日、俺が死んだのは結果としては呪縛からの解放。そう考えても良いのではないか)
……別に俺は自殺した訳でも殺された訳でもなく、帰宅後の入浴で心臓マヒを起こして旅立ったからだ……
隆弘時代の記憶が蘇りつつ、それを第三者視点で客観的に眺める夢。ひどく珍しく、それでいてひどく忌むべき過去を、傍観者のように淡々と見つめ直す夢は突如終わりを告げる。ほっ建て小屋の隙間を縫った朝日の光が、リュックの頬を優しく撫でたのだ。
「……夢……か」
乾いた瞼を無理矢理開けると、既に朝日の時間は終わり、太陽は天頂に昇り始めている。普段ならば日の出とともに目を覚ますのだが、どうやら悪夢に蝕まれて寝過ごしてしまったようだ。
「らしくないな。……うん、らしくない。何を今更過去に後ろ髪を引かれてるんだ俺は」
まるで、天涯孤独で生きている今よりも、毒親に支配されていた過去の方がまだマシだとでも言いたげな夢……つまり本人すら意図していないホンネの潜在意識。それこそ“リュック”として誕生して以来、自分で過去を全て否定して、今を生きる事に集中しようとした覚悟に反している。
「人の温かさが恋しくて求めるなら、隆弘の頃なんか思い出さないだろ。赤道直下のゴミの島で産まれ、たとえ極貧であっても家族愛はあそこにあった」
甕の蓋を開けてカップで水をすくう。水をゴクゴクと飲みながら、共同井戸に行って水浴びでもしようかと支度をし始めた際、何やら外がざわついている事に気付く。どうやら貧民街や奴隷街の街人たちが路上に出て、無秩序に会話を重ねているのだ。
(今日、今日らしいぞ!今日初登校の日だって)
(いよいよ人類も上位種たちと肩を並べられるのか)
(エリアス・ラスト、是非とも頑張って欲しいな)
(エリアス君って、金髪の凛々しい少年らしいよ)
――そう。人類の希望、人間種初の魔法能力者がいよいよ王立魔法大学に登校する日がやって来たのだ。




