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10) 最大勢力“死の地平線” 前編


 とある街のとある悪党がひっそりと死んだあくる日、透き通るように晴れた朝の事。

 これから仕事に向かおうとする荘園農奴や奴隷労働者たちや、今日も仕事にありつこうとブローカーたちに群がる貧民たちの一日が始まる中、むせ返るような熱気に溢れる被支配者層の街をすり抜けたリュックは、王都東区のとある公園にいた。

 腐臭や悪臭の漂う貧民街や、むき出しの土の道やゴミがプカプカと浮く運河の被支配者層の街とは違って、王都東区は貿易商や商店主などファールンテリエ王国政府から認可を受けて商いをする者たちつまり、中流階級層の住む街であり、レンガや切り出し石で造られた家々を石畳の道が東西に無数に伸びて公園や広場が計画的に作られた街である。実はこの街こそが王国が対外的に唱える「標準的な庶民」のモデルケースであり、完全なる封建主義から脱却し、経済面にのみ資本主義を取り込もうとするような、将来的な展望の溢れる“希望の街”となっていた。


 貧民の孤児であり、尚且つ苗字すら持たないリュックにとってみれば、この清潔感溢れる街は場違いな場所である事に変わりはない。雨が降って道がぬかるみ、足が泥だらけになる事も無ければ、貧民街のように精霊灯すら設置されない真っ暗闇で野犬に襲われる事も無いのだが、行き交う人々の好奇の視線が痛いのだ。「あの身なりは貧民ね」「あらやだ、貧民街から迷い込んだのかしら」と、同情とも侮蔑(ぶべつ)とも呼べる嫌悪の視線で全身を舐め回して来る様には、さすがの冷静なリュックも浮き足立っていたのである。

 ――ではなぜ、こんな場所にリュックがいるのか――

 答えは簡単、彼は呼び出されたのである。貧民で家族もおらず、苗字も無い少年がそうせざるを得ない状況になる理由とすれば、“裏の顔”で繋がる組織から呼び出しを受けたと考えるのが順当であるのだ。


 東区のとある公園、野球グラウンドが一つすっぽりと入るほどの広さを持つその公園で、リュックは鳩の群れを見詰めている。街の人々、、、特に旦那を仕事に送り出した奥様方が豪華な噴水の前で雑談に興じているのだが、リュックは噴水から距離を取って石造りのベンチで視線を落としている。街の奥様方から好奇の視線も浴びたくないし、清水をふんだんに使う噴水が嫌いなのだ。――貧民街には井戸すら無いのに、と


 ベンチに座って(うつむ)いたままのリュック。足元に寄って来た鳩たちの姿を眺めていたのだが、その鳩たちが慌てて飛び去る。何者かの気配を察知して飛び立って行ったのだが、リュックだけは余韻を噛み締めるようにゆっくりと視線を上げる。そこには三人の男女の姿が――違和感溢れるこの場所に呼び出した張本人の登場だ。


「だいぶ待たせたようだね、リュック」

「遅い、遅いよ。自分からこんな所に呼び出しておいて、申し訳ないと思わないのかクラウス?」

「申し訳ないと思ってるさ、だから優しく声を掛けただろ?」


 左右を少女に挟まれて真ん中に立つ青年が、おどけながらそう答える。リュックよりひと世代上のその青年は、高圧的な態度を一切取らずに極めて穏やかな口調でリュックに語りかけている。――だが、穏やかな表情で接して来る者こそが危険だと察しているのか、リュックの態度は距離を置くように冷たいままだ。


「……要件だけ言ってくれ。あまり長居はしたくない」

「そうだろうね、ここの空気は綺麗過ぎる。闇に潜む首狩りの鬼には眩しいかもね」

「分かってるなら早くしてくれ。どうせ昨日の件だろ?エンゾ・バロテッリの事務所を”お前のカラス”が覗いていた。そう言う事だよな?クォーターエルフのビーストテイマーよ」


 石造りのベンチに座り、背中を丸めたまま力強く眼球だけをクラウスに向ける。彼の瞳に映るのはまさしく草色の混ざった金髪をなびかせるエルフの青年。だがエルフにしては“とんがり耳”が大きくはなく、人並みサイズの耳の先端が尖っている程度。リュックがクォーター(四分の一)と評したのも頷ける。


「おやおや、剣呑(けんのん)だねリュック。それじゃエダとロッタが可哀想じゃないか。君と会うのを楽しみにしていたんだよ?」

「可哀想と言うか……悪いけど近すぎるから離れて。そもそも、何で毎回連れて来る?」


 推定十五歳の少年、まだあどけない顔付きの少年ではあるのだが、異常なほどに大人びた雰囲気を放つリュック。それだけならまだしも、普通の大人ですら腰が引けるような残酷な行為を平然と行なって来たリュックが、今非常に弱っている。冷徹な視線の先にクラウスを見据えながらも、冷や汗と脂汗を滴らせているのだ。何故ならば、クラウスと共にやって来た少女二人が左右からリュックに急接近し、頬を朱く染めながらうっとりと彼を見詰めているのだ。


「何を嫌がっているんだい?美少女二人から詰め寄られるなんて最高じゃないか。おまけに、この世界の伝説にある九尾の末裔と言われてる銀髪の獣人姉妹だよ?君なら内心歓喜に打ち震えていると思うんだが」

「俺はオタクじゃない、お前と一緒にするな。そもそもこの子たちはお前の趣味で集めたんじゃないのか?愛人たちをけしかけるなんてタチの悪いジョークだぞ」

「この子たちが私と愛人関係だって?いやいや、エダとロッタは間違いなく生娘(きむすめ)だよ。組織と私がとあるルートからの依頼で、責任を持って護っている子たちだ。だから私が手を出すはずがない」


 ――ただね、彼女たちの自由恋愛を止める権利を、私たちは持ち合わせていないのさ―― 「オタク」と言うキーワードがリュックの口から出ても、それがどう言う意味なのかと首をかしげる訳でも無く、当たり前のように受け流しつつおどけた表情でそう話すクラウス。つまりリュックだけでなくクラウスも訳ありな過去を持つ人物なのだと想像に難しくはないのだが、今は“リュックをからかう”と言う行為に愉悦を感じているのか、クラウスはひどく楽しそうだ。


「私ね、リュック……好き」

「ロッタも、リュックの事好きよ」

「分かった、分かったから!ちょっと落ち着こう」

「ははは、異世界転生能力者なら、異世界ハーレムもたしなむものだと思っていたのだがね」


 クラウスのおどけた笑いが広場に響く中、何かに気付いたリュックの瞳が鋭さを増す。自分は何故呼び出されたのか?自分は何故呼び出された先で喜劇に巻き込まれているのか?そもそもビーストテイマーのクラウスがカラスで偵察していた先は?……これらの点が線となって繋がったのである。


「クラウス、クラウス・カッレ。王都で最大勢力を誇る非合法組織“死の地平線”の若頭(わかがしら)、つまり実行部隊のトップであるお前は、仕事先として紺色の血を俺に紹介しながらも、エンゾ・バロテッリの暗殺まで絵に描いたな?描いてないとは言わせないぞ」



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