もう少しでおさらばだ
執務室に入ると母は机に向かって忙しくペンを動かしていた。顔をあげる事なくヴィヴィアンに話しかける。
「今日は王宮に泊まるかと思っていたわ。お帰りなさい。もうちょっと待って、これ書いてしまいたいから。紅茶はまだ温かいから飲んでもいいわよ。夕食は早めにすんでしまったからもう少ししたら貴方の分が此処に運ばれてくるでしょうよ。」
「今日はまだそんなに忙しくなかったのよ。夜会の前の3日間くらいが地獄だわ。お母様も夜会に?」
「あ、いけない。こっちだったわ、ん?夜会なら行くわよ。殆どの貴族が家族総出で行くんじゃないかしらね。ヴィヴィアンはドレス決めたの?」
「ドレスはまた殿下が用意したって言ってたわ。お母様のは?」
「んふふ。いつもの通りよ、心配ないわ。さ、終わったわ。ハグさせてちょうだい。」
母はヴィヴィアンを小さな子供のように抱きしめキスをした。
「お母様、ストレスは溜まってない?綺麗な金髪に白髪なんて混じってないでしょうね?」
「貴方こそ働きすぎてその青い瞳にメガネをかける事になるかも知れないわよ。幸い私達の金髪も青い瞳もまだ無事だわね。」
そう言って母はヴィヴィアンの隣に座ると釣書を何冊かテーブルの上に置いた。
上から順番に目を通すがどれも似たような絵姿と爵位の持ち主でパッとしない。
「皆さん歳はあの子より10ばかり上だけれど見目は良い方だと思わない?しかも初婚なのよ。この方なんていくつもお店を持っているわ。中にはあの子の好きそうなドレスを扱っているの。食い付きそうじゃない?髪もまだまだフサフサだしお腹も出ていないんじゃないかしら。」
「誰でもいいから早く貰って欲しいわ。その方にしましょう。条件はあるの?」
「侯爵家と親類になりたいだけね。親類は無理だけれどまぁ知り合いにはなれるから良しとして貰わなくちゃ。」
「アレを貰い受けてもらうなんて少し心苦しいけれど殿方には愛想もいいし肉食系っぽいし胸も大きいから大丈夫でしょう。」
「偽物の胸じゃない事を祈るわ。」
「そうね、ドレスも宝石もイミテーションだものね、せめて顔と身体は本物じゃなくちゃね。」
もう少し。
もう少しで。
決してひとりでは成し得なかった。
10歳の時に父親が事故で命を落とした。
ヴィヴィアンが10歳、弟のジュリアンはまだ2歳になったばかりだった。
母は父の事業を受け継がねばならず幼い弟は母の妹夫妻に預けられ今でも我が子の様に育てられている。
ヴィヴィアンは母から離れたくなかったし手の掛からない歳だった為侯爵家で出来る限り母の手助けをした。
父が居なくなった事で傾きかけた事業だったが母が2年ほどで立て直し隠れていた才能を発揮したのだ。
その頃だった。
母の父、つまりヴィヴィアンの祖父が再婚の話を持ってきた。
その人も妻を亡くし娘が1人いる。
昔祖父の乗った馬車が転落事故を起こした際に助けてくれた命の恩人らしかった。
母は断り続けたが祖父の強い進めもあり渋々縁談を受けた。
その時の条件をあの柔和な男とその娘は覚えているだろうか。それよりも理解しているのだろうか。
(良く言えば扱いやすい。あれ?良く言えばなのかしら。それ以外良い所がないんだもの。この再婚劇のせいでお祖父様が大嫌いになったのよね。なんの援助もないしお葬式くらいは行くけれど。)
母の出した条件はいくつかあった。
⚫︎ヴィヴィアンは姓を変えない事
⚫︎夫婦の寝室は別にする事、すなわち子を作らないと言う事
⚫︎マリスが結婚するまでの婚姻である事
(マリスが結婚すればお母様は自由になれる。苦しい時に支えて下さったあの方と幸せになって欲しい)
母の執務室で食事を終えたヴィヴィアンは自室に戻って行った。
手癖の悪いマリスが出入りする偽の部屋ではなく本当の自室へ。